第十一話 未来と温もりと
「お母様、見て下さい!」
エドアルドが手のひらに小さなリスを乗せている。
「まぁ……! その子はエドが使役したの?」
「仲良くなれそうだったので友達になりました!」
「そう……。エドはお母様の血を濃く継いだのかもしれないわね。でもまだ貴方は魔力が安定していないから、あまり多くのお友達を作ってはいけないわ」
「……フェル兄様にはステッレがいるのに、ずるいです」
長男のフェルディナンドは先日、サンとアゲートの子供である竜のステッレと契約した。フェルディナンドが邸から姿を消し、大騒ぎになったところでエドアルドが「兄様なら竜舎にいるよ」といじけたように言ったのだ。慌てて向かえば、ステッレの丸いお腹にしがみつくようにして眠っているフェルディナンドが発見された。
アルベルティの血を継ぐ者は、いずれ竜騎士として騎士団を率いていかなければならない。それはフェルディナンドでもエドアルドでも良かったのだが、ステッレがフェルディナンドと契約した今、契約者を持たない竜はアルベルティにはいない。契約者を失った竜が新たにパートナーを選ぶ可能性はあるし、また番の竜が子を産むかもしれないけれど、それがいつになるかは分からない。仲が良い兄弟で、共に騎士になる為の訓練を受けて来たからこそ、エドアルドはまだ自分の心に折り合いを付けられていないのだ。賢くて物事をよく分かっているから普段は忘れがちだが、彼はまだ7歳なのだ。
「──だからね、今は少し距離を置いて、エドには魔術の勉強をさせた方が良いんじゃないかと思うの」
「そうだな。エドはコーラルに似て魔力も強いようだし。ただ俺には魔術は教えられないしなぁ……コーラルもファスマンとの交渉が忙しいだろう。どこかで教えてくれるような所があれば……」
「魔力を持っていて、教えられるだけの知識があって……時間があって……」
「「あ」」
「行って来ます!」
「行ってらっしゃい、エド」
「しっかり学んで来るんだぞ」
真新しいローブに身を包み、竜の鱗を使った杖を腰に携え、エドアルドは今日から魔術学園に通う。
バライアは多様な魔道具を売り出し、それはあっという間に全世界に普及した。金の流れと共に人の流れも生まれ、今やバライアの血が流れる魔術師はそれほど珍しいものでもなくなった。しかし長年継承してきた魔術を家庭内で教育してきた時代は終わり、魔力を持つにも関わらず上手く魔術を使う方法が分からないという者が増えていた。そこでコーラルとジェイドが思いついたのは、魔術を学べる学園を作るというものだ。自分に流れる血の力と、その制御。また魔術の危険性と、それを行使する責任や義務。
また同年代の子どもたちがひと所に集まって切磋琢磨することで友人も出来るし、ライバルがいることで対抗意識からやる気が上がることもある。
ずっとフェルディナンドと2人領地で過ごし、座学では優秀だと言われ続けてきたエドアルド。しかし学園に行ってみれば、自分より優秀な者は沢山いるし、質問をすれば思った以上に深い回答を返してくれる教師もいる。今まで心のどこかで「自分は優秀だ」と驕っていた気持ちがあったことに初めて気が付いたのだった。
フェルディナンドはフェルディナンドで、ずっと後ろをついて来ていた可愛い弟がいなくなり、思う所があったらしい。いつか共に父のような竜騎士になるものだと思っていた弟は、魔術師になる為に家を出た。2年か3年程度のことだけれど、エドアルドが帰って来た時、ステッレの契約者として相応しい自分でなければいけないと唇を引き結ぶ。エドアルドは優秀だ。フェルディナンドには思いもつかないような策略を考え付くし、家庭教師にしている質問も何を言っているのかが分からない。──それでも。竜に選ばれたからには、それに恥じない自分で居続けるよう、努力を惜しんではならないのだ。
魔術学園の教壇に立つのは、元バライア国の王族達だ。王族としての強い魔力と豊富な知識を持つ彼らは、予想以上に優秀な教師を勤めているらしい。
今の所彼らに反意は見られないが、幽閉を解かれたとはいえ一応の見張りは必要だ。そこで活躍しているのは、あれからずっと子犬のような姿でコーラルにまとわりついていた神獣フェンリルである。コーラル曰く使役しているわけではないらしいが、森に住んで他者との交流に飢えていたフェンリルは、思うままにコミュニケーションを取ることが出来る環境が気に入ったらしい。王族達もバライアの神獣であるフェンリルを崇拝しており、そのフェンリルの近くで過ごせることは幸福なことと感じているようだった。
「あっという間に大きくなって、俺たちの手を離れていくんだろうな」
「そうですね……。私はあの子達のために良い親でいられているのか、自信はないけれど……」
「フェルもエドもコーラルの事が大好きだろう、それが答えだ。君はいつだって良くやってくれている。アルベルティ辺境伯夫人としても、子供達の母としても。だから──これからはまた、俺の妻として、一緒にいてくれないか?」
「ジェイド様……。はい、もちろんです。仕事をするのも子供達と過ごすのも好きですけれど、やっぱり私はサンに乗って、ジェイド様と一緒に飛ぶのが1番好きなのですから」
ジェイドと抱き合い、その翡翠色の瞳の中に映る珊瑚色の髪を見つめる。錆のようにくすんで、ボロボロに傷んでいたあの頃の自分はもういない。
白み始めた窓の明るさに心地よい疲れを感じながら目を開けると、目の前には数多の傷と逞しい筋肉の付いた広い胸がある。
「……あったかい」
そっと頬を擦り寄せれば、ジェイドはむず痒そうに身を捩り、筋張った大きな手で身体をぐっと引き寄せられた。抱き枕のように包み込まれると少しだけ苦しいのに、そのしっとりとした肌と温もりに心がゆるりと解けていく。
口付けることもなく淡々と抱かれ、朝目覚めると冷たくなったシーツをするりと撫でていたあの頃。不幸ではなかったし、コーラル自身も愛ではなくて恩を返したいと思って日々を過ごしていたのに……。
もうこの温もりを手放す事は出来ない。コーラルに愛を教えてくれたのはこの人で、コーラルが愛を返せるのもこの人だけなのだから。
「愛しています」
そっとその胸元に唇を寄せれば、未だ目を覚さない最愛の夫は口元だけをふわりと綻ばせた。
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