第十話 商談と春と
トントントンとノックが響く。扉は開けたままだったから、そこには既に朗らかに笑みを浮かべる伯父の姿が見えている。
「やあ、コーラル。一刻も早く君とのおしゃべりを楽しみたかったのに、なかなか手が離せなくて遅くなってしまった」
「こんにちは、伯父様。お兄様とお話ししておりましたから、大丈夫ですわ」
「──そうか。その顔を見れば、ディーターも楽しい時間だったようだね。それで今日は私に話があるとか?」
「ええ、今日は──ファスマン家から頂いた貴重な品の代金を支払いに参りましたの」
取り出したペンで手のひらをトントンと叩くと、数十匹の蝶がキラキラと光を振り撒きながら飛び立った。これは使役した蝶ではなく、幻影と光の魔術を組み合わせてコーラル自身が作ったものだ。今の所別段役に立つ訳でもないが、パフォーマンスとしてなかなか華やかで目を引く出来だと思っている。
「ほう……聞こうか」
ディーターは目を丸くし、ローレンスはその横で一気に商人の顔になる。やはり巨大な商家を支えて来た歴戦の商人は、商いの匂いに敏感なのだ。
「私は王国で生まれ育ち、これまで魔術というものに触れたことはありませんでした。戦後もバライアとの交易は限定的で、人の往来もまだまだ少ない。ですがやっと交易路も整備されて、次の時代はお兄様がこの国をまとめていくことになります。バライアには、まだ誰も気付いていない商材が山と眠っています。私はそれをもっと広げていきたい。この地をもっと開かれた地にしていくべきだと──その価値があると思っています」
「なるほど、魔術を当たり前として来た私達には見えていない価値が、ここにはある?」
「ええ、その通りです。例えば、このランプ。光の魔術を使えば火を使わずに灯を点せるのですよね。油を使うよりよほど長く使うことが出来るし、火を使えない場面でも使えます。それに、熱くないから安全でもある。これは必ず売れます。本体を売り、その後は魔力が切れた時に魔術を掛け直す専門の業者を作っても良い。そうすれば例え全国民に器具が行き渡っても、継続的に利益を生み出すことが出来ますから」
「……バライアでは光が消えたランプに魔術を掛け直すのは、子供の役目なんだ。お小遣い稼ぎだったりね。それほど身近なもので……そこに価値があるなんて思いもしなかったよ」
「バライア人以外の野営風景をご覧になったら……きっと驚くことでしょう。魔術師でなければ、火をつけるのも水を得るのも、本当に大変なことなのですから」
「私たちは生活に必要な程度の小さな魔術なら、平民でさえ使えるからな……」
「これからはバライアの在り方も大きく変貌していくでしょう。魔術や魔道具が広がるのも遅いか早いかの違いです。ただ一歩間違えると……魔力を持つバライアの民達が搾取されるだけの奴隷のようにされてしまうかもしれない。それほど大きく、危険な魅力を孕んでいる……。けれど、私はそうなって欲しくないのです」
「そのために先んじて、我々が商品を売る、と?」
「ええ。希少価値があればあるほど、人はそれを欲します。隠されれば暴きたくなる、取り上げられれば奪い返したくなる。最初はきっとどんな高値でも売り捌けるでしょう。お金が動くのは良いことだわ……でもこの場合のそれは、品物を売るのではない。バライアの民の未来を削り取って売り払うことです」
ローレンスとディーターが、ひゅっと息を吸う。商人として様々な経験を積み、見たくないものを見たこともあるだろう。きっとコーラルよりもずっとリアルに想像できる、来て欲しくない未来が脳裏に浮かんだはずだ。
「このままでは国が開かれると同時に、魔力を持つバライアの民が自由と尊厳を失われてしまう。ならばその前に、その価値を下げてしまえばいいのです。誰もが手に取れるくらい、当たり前に使えるように。私は、ファスマン家ならそれが出来ると思っています」
「確かにうちはバライアで最も大きな商家だ。そしてこれからは、ディーターの力と……アルベルティの、ひいては王国の後ろ盾もある。そうか……これは……確かに。うちにしか出来ないこと、なんだろうな」
バライアの魔道具は、革命的に世界のあり方を変えるだろう。そしてそこにはとてつもない責任も伴う。大きな力や金が動けば、そこには嬉しくない妬みや嫉み、妨害だって受けるはずだ。
新しいものを生み出すのは難しい。新しい仕組みを作るのは苦しい。でも──それ以上に、商人の血を滾らせる引力があるのだ。
「これで、私にグローブ家の魔術を教えて頂いた分の対価になりますかしら?」
「──私の商人としての人生において、最大の取り引きになりそうだな……。ああ、十分だよ。お釣りが出そうなほどだが?」
「ふふ、バライアとアルベルティは隣り合ってますのよ? バライアが栄えればアルベルティも栄えます。それに、アルベルティは金属加工が得意なの。選りすぐりの職人を用意してお待ちしておりますわ」
コーラルがにこりと笑えば、ローレンスも目を細めて微笑んだ。そしてずっと横で話を聞き、俯いていたディーターが徐に顔を上げる。
「俺は……正直今の状況に納得がいっていなかった。これまで商人として父さんに教えを受けて、その仕事が好きだったし誇りも持っていたから。それが急にバライアの統治がどうとか、神獣に選ばれたとか言われても……これまで積み上げて来た努力を突然奪われたような気がしていた。──でも、違うんだな。俺が積み上げて来たものはずっと俺の中にあるし、立場が変わったとしても俺はずっと商人だ。それで……いい、のかな?」
「ええ」
「もちろんだ」
太腿の上で固く握られていたディーターの手がふわりと弛んだ。
「バライアが出来るだけ長く、出来るだけ魅力と価値溢れる土地であれるように磨き続ける。それが、俺の出来る統治の仕方なのかもしれないな」
その後、バライアの魔道具は全世界で爆発的に売れ、普及した。
また、ディーターは「王政ではないのだから血統に拘ることもない」と、とうとう生涯独身を通した。その代わりと言ってはなんだが、血筋を問わず聡明な若者を見つけて来ては様々な教育を施し、後の優秀な後継達を幾人も育て上げたという。
バライアは実力主義だ。結果さえ出せば、誰もが成り上がっていける。それは近隣諸国の若者達にも夢を見させた。自分の技術を信じて魔道具作りの工房に弟子入りする者や、家を継げない優秀な次男次女達は政に携わった。領地を接するアルベルティとの交易路も整い、商売関連の行き来も盛んだ。
先の戦争まで、バライアは他国との国交を断つ鎖国状態であった。魔力を持つ血筋を守る為、狭い国土の少ない国民同士で家を存続させて来た結果、血が濃くなり過ぎた為に国民は総じて身体が弱く短命となった。それが今や、世界各地から人が集まる一大商業都市である。
「お待たせっ、エレノアちゃんっ!」
「マルセロ様、こんにちは」
「会いたかったよーっ! 抱きしめてもいいかな?!」
「えっと……昨日も会いましたよね? 手を……繋ぐ、くらいなら?」
「やったー! ありがとうっ! 今日も好き、可愛いっ、エレノアちゃん!」
竜騎士、マルセロにも春が来た。アルベルティの領地で加工を請け負った装飾品にバライアの魔術師が魔力を込めて販売しているのだが、その品物の運搬で訪れた際にマルセロが若い魔術師に一目惚れをしたのだ。空気の読めないところがマルセロの短所だけれど、こと恋愛においてはそれがうまく作用することもあるらしい。
今やバライアの血は世界各地に広がっている。それはいつか薄まって消えゆくのかもしれないし、もしくは他の力が作用して変容していくのかもしれない。今確実に分かっているのは、バライアの血を引く子供達は、限りない夢と未来への希望を内に抱いているということだけだ。




