第九話 統括者とお兄様と
これは、それからしばらく後の話だ。
バライアの新しい統括者に、なんとディーター・ファスマンが選ばれた。彼は商家の跡取りで、平民だ。民が許さないだろうと固辞したディーターであったが、予想外にも反対意見は然程多くなかった。何故なら彼を選んだのは、バライアの神獣たるフェンリルだったからだ。あの断罪劇で威風堂々たる姿を見せたフェンリルと、王国民として荘厳な一席をぶったジェイドの後ろ盾も大きかったのだろう。また反対が予想された有力な旧貴族達が軒並み粛清されていた事も理由のひとつだ。
そして血筋でいうならば、ローレンスとイザベルの生家であるグローブ家は元々有力なバライアの貴族であった。かつては王家との婚姻関係もあったし、その意味で言っても文句のつけようはない。
バライアは戦後10年の時を経て治世を整え、王国の庇護と支援の下で堅実な運営が軌道に乗り始めた所だ。ここにきて大きすぎる権力は再びの混乱を生むだろうし、むしろディーター程度の者がちょうど良かったのだ。
「ディーター様は商人としてとても優秀ですし、その人当たりの良さや相手の懐に入る技術は必ず役に立つと思いますわ」
「うーん……正直まだこの状況を信じられないし、自信もないんだが……それに、俺はいまだに独身だしなぁ」
「確かにそれは問題かもしれませんわね。権力に擦り寄ってくる者はどこにでもいますから。ディーター様をお支えできる様なご令嬢が近くにいてくれた方が心強いかも……」
今日は王国からの親書を届けに、コーラルはサンに乗ってファスマン家を訪れている。もちろんアルベルティの騎士の護衛付きだが、残念ながらジェイドは他の任務が入ってしまい別行動だ。
何故わざわざコーラルが来ているかというと、ディーターの後ろ盾にアルベルティがいることのプロモーションと、コーラル自身がディーターの従妹にあたること。また、伯父であるローレンスにも会いたかったのでこの役目を任せてもらったのだ。
今はとにかく忙しいディーターだが、コーラルが顔を出すと必ず時間を作って会いに来てくれる。これまで家族との縁が薄かったコーラルにとっては、彼らとの気の置けないやり取りは心安らぐひと時であった。
「──やっぱりバライアの血筋の方の方が民衆の受けが良いかしら。でも政略的な意味で言えば、王国からお嫁さんを取るのも悪くはないけれど……どちらにしてもやっぱりお互いの信頼関係がないと難しいし……」
顎に手を添え、コーラルはうぅんと首を傾げる。ディーターは現在37歳だ。バライア人はもちろん、王国から見てもかなりの晩婚になる。
そもそもなぜディーターはこの年まで結婚していなかったのだろうか? そう考えてコーラルははたと動きを止めた。
「ディーター様は、過去に結婚されていた経験が……?」
「恥ずかしながら1度も」
(ということは、ということはよ。もしかしたら私、とても繊細かつプライベートな問題にずけずけと口を出していたのではないかしら?!)
「あの、えっと、もしかして、ディーター様は……いえあの、もちろん話したくないようでしたら話していただかなくても結構なのですけれど、うーん……なんと言っていいのかしら? ディーター様は、もう既に、心に決めた方がいらっしゃったり……?」
ちらりと様子を伺えば、ディーターはほのかに顔を赤らめて、すらりとしたその身体を心持ち小さく縮めている。
(やっぱり! やっぱりそう! 私ったらなんて失礼なことをしてしまっていたのかしら!)
「……このまま墓場まで持って行こうと思っていたはずなのに、俺は存外欲深かったようだ。──コーラル。実は、俺は……きみの──」
「ごめんなさいっ! 私ったら何の偏見もないつもりでいましたのに、うっかりご令嬢だのお嫁さんだのと勝手なことを言ってしまって! 大丈夫ですわ、王国でも最近では多様性が尊ばれておりますし、個人の性的指向など他人にどうこう言われる様なものではなくなっているのです! だから安心なさって、ディーター様を信頼して支えてくださる方であれば、性別など些事ですわ!」
コーラルが両手を胸の前で硬く組み、心なしか頬を赤らめてそう言い切れば、控えていた執事がぶふっと吹き出した。
「──コーラル、一応言っておくが、俺の恋愛対象は女性だぞ……?」
「……まあ、そうですの? あら、あら? 私ったら、てっきり……」
「ははは。ははっ……! ありがとう、これだけ意識されていないとなんだか逆に吹っ切れた気がするな。はぁ……笑った。俺がこれまで結婚せずにいたのは、ただ仕事が楽しくて後回しにしてきただけのことだ。ちなみに信頼出来る従妹殿がしばらくこっちにいて手伝ってくれたら、とても助かるんだけど?」
「ごめんなさいね、私はアルベルティでのお役目がありますから、そう簡単には来られませんのよ」
「辺境伯夫人の役目は、後継の子を成すことだって聞いたことがあるけれど。それでいえば、コーラルはもう役目を果たし終わったと言えるんじゃないかい?」
どこか意地悪そうに笑いながらディーターが言う。けれど。
「いいえ。私は辺境伯夫人ですけれど、それ以上に……ジェイド様の妻でいたいのです。あの方と共に生き、あの方の力になりたいのです。その為に……ほら、ご覧になって?」
左手に持ったペンで、トントンと右手を叩く。するとその手のひらには、どこからか現れた小さな翡翠色の鳥が止まっている。
「ふふ。上手になったと思いませんか? ディーター様に教わって、あれから沢山練習もして、力も上手に使える様になりました。これでいつだってジェイド様にお手紙をお届けできるわ。──私が努力したいと思えるのは、全てあの方の為なのです」
「ああ、こんなに早く身に付けてしまえるとは思わなかったな。──君たちは本当に思い合っているんだね……俺もそんな相手が見つかるといいと思うよ」
「ええ、きっと見つかりますわ。だってディーター様、見た目も素敵ですし。女性も男性も、どちらだって虜に出来るわ。そうね……ディーター様は商人でいらっしゃるのだもの。自分を商品だと思って売り込めば良いのよ。バライアで今1番の目玉商品ね!」
「……確かに、そう考えた方が俺としては気が楽かもしれないな。……なるべく大事にしてくれるところに売り込むとしよう」
「ええ!」
ある日突然人生が変わってしまって、混乱もするだろう。戸惑うのも当然のことだ。けれど、知り合って間もないコーラルから見ても、ディーターには人を導くカリスマ性がある。愛嬌もあるし、信頼を裏切らない為の努力も出来る人だ。彼はきっと良き統括者になれる。だからこそ、きっちりと捨てていってもらわなければ。
「私は、いつだってお兄様の味方ですからね」
「……ありがとう。可愛い妹の為に、やれるだけのことはやってみるよ」
「アルベルティ辺境伯夫人としても、応援しておりますわ」
「心強いお言葉ですね。精一杯、努めます」
一度深く頭を下げて、ゆっくりと身体を起こしたディーターは、既に人当たりの良い商人の顔に変わっている。そしてそこには、上に立つ者としての覚悟も確かに滲んでいて。一線を引いた後に残ったのは確かな信頼と、綺麗な微笑み。
こうして2人は、それぞれの行く道を固めた。




