第八話 断罪と神の使いと
「なんなんだお前達はッ! 不敬だ、不敬だぞ! 俺を誰だと思っているッ!」
「はいはい分かりました分かりました。凄い凄い、偉い偉い」
「なっ……! ば、馬鹿にしやがって……! 今に見ていろ、杖さえ取り戻せばお前達など、あっという間に呪い殺してくれるわ!!」
「あ、やっと来た、団長ー。お客様の準備、出来てますよぉ」
イグナツィオが用意した晩餐会場には、唾を飛ばしながら喚き散らす成人したてくらいの青年の姿があった。その周りには、流石にこちらは状況を把握しているのだろう、同じく拘束された青い顔の旧貴族達の姿も。
「なんかぁ、1時間くらい前から急に馬鹿が加速しましてぇ、聞いてもいないことまでべらべらべらべらと話してくれちゃってるんですけどぉ」
「ああ、神獣殿の呪いを返したからだろう」
「ははぁ! おかげさまでこの馬鹿はともかく、周りのオジサマ達なんてちびっちゃいそうな顔してますよねぇ! かーわいそうに。まさに地獄の前菜!」
「まぁ、おかげで事情を説明しなくても済んだようだし、手間が省けて助かったな。肉料理は神獣殿に任せるとしよう」
喚く青年の前に、当初の大きさに戻ったフェンリルが進み出る。その毛並みは艶やかでまさに神々しく、闇夜のような瞳は心の裏側まで暴き出してしまいそうなほど深い。
「おお……あれは、神獣の森の……」
「まぁ、こんなところでお目に掛かれるなんて……」
集まっていた観衆が一気に騒めく。やはりバライアの民にとっては馴染み深い信仰対象なのだろう。
「なんだっ、お前は呪いでくたばったのではなかったか!! アルベルティに戦を仕掛け、それをきっかけにあるべき姿のバライアを取り戻す計画だったのにっ! せっかくバライア王となる俺様が、盛大なる復興劇の一端を担わせてやろうと役目を与えてやったのだぞっ! おお、なんならこの衆人環視の中で華々しく演じてみるがいい! よし、やれっ! 駄犬が、そこのアルベルティの男を食い殺せっ!」
ざわりと空気が揺れる。自分達が神の使いと崇める神獣に対し、この男は呪いをかけたと言う。更には10年かけてやっと落ち着いた治世を乱し、戦争を仕掛け、自らが王となるのだと。
かつん、と音がした。
かつん、かつん。ごすっ。
「痛いっ!」
ごすっ、かつん、ごすっ。
「やめ、やめろ! 不敬だ! 不敬だぞっ! 俺は、バライア王の血を引く正統な後継者であるぞ!!」
初めは、小石だった。
「ふざけるな! 戦なんて起こして何になる!」
「そうだ! やっと食うに困らず生きていけるようになったんだ!」
「王だと? バライア王家が何をしてくれた!」
「俺たちから搾り上げた税を無駄に貪る王家など、いらん!」
かつん、ごすっ、ごすっ。
男の頬から、額から、血が流れ落ちる。
「私たちを保護してくれたのは、王国が建ててくれた修道院よ!」
「麦だって王国が融通してくれている!」
「国の名前が変わろうが、生きていくには今日の飯の方がよほど大事なんだよ!」
「あ痛ッ、やめろっ! わか、分かったからっ!
民衆からの罵声と投石に、拘束されたままの男は膝をついた。
一歩踏み出そうとしたジェイドを差し止めて自ら歩み寄った神獣は、闇夜の瞳でじぃっとその男の目を見つめた。広場の前列から波が引くように騒めきが消えていく。知らず知らずのうちに詰めていた息がふ、と漏れた頃、どさりという音と共に青年と旧貴族達の身体が崩れ落ちた。
「……何をしたんだ?」
神獣がジェイドの方に振り返り、くいっと首を振る。後は好きにしろ、ということだろう。詳しいことは後からコーラルに聞いて貰えばいい。今は最高のデザートを提供しなくては。
「──聞け、皆の者! バライアに蔓延っていた神に仇なす悪しき者には神獣殿が罰を下された! 戦後10年、必死で命と暮らしを守り抜いてきた諸君には、今後数多の可能性と希望に満ちた未来が待っている事だろう! 国を作るのは王ではない、あなた達ひとりひとりが宝なのだ! 私たち王国はバライアの民も等しく歓迎しよう! 新たに据える統括者と共に、より開かれた新しいバライアを輝かせて欲しい!」
おおおお! と人々の声が重なり、空気がびりびりと揺れた。目を輝かせて、まだ見ぬ未来に希望を託して。誰もが明るい明日に夢を抱いている。
歓声と拍手が鳴り止まぬ中、白銀の神獣の遠吠えが高らかに響き渡った。
「それで、あいつらはどうなっているんだ?」
「3日ほどすれば自然と目覚めるとのことです」
「──ただ寝かせただけ、って事はないですよねぇ?」
「……野心も含めた、希望を……取り上げたそうです」
「希望……希望を無くした人間は、どうやって生きていくんだろうな……」
「なかなか神獣様も粋な罰をお与えになりますよねぇ」
ジェイドとコーラル、そしてイグナツィオは、満足気に伏せているフェンリルを苦笑混じりに見つめた。
フェンリルによって、今回の主犯であった元バライア国前国王の弟の息子──ジェイドとイグナツィオは何度聞いても覚えられなかった──と、彼を唆した旧貴族達は、一部の記憶と未来への希望を封じられていた。目覚めた彼らは自分達がしでかした事を全て忘れ去っていたが、言われるがままに僻地の塔に幽閉された。
処刑すべきとの声もあったが、この処置もフェンリルの提案によるものである。何も温情という訳ではない。バライアの民は魔力を持っている。その魔力を吸い上げて、バライアの土地の豊穣の為に使っているのだ。自死するほどの意思も失った彼らは、日々死なない程度に食べ、寝て、起きる。ただそれだけの日々を送っているそうだ。
「俺は今初めて、こいつが本当に神の使いだったんだと実感したよ」
「死ぬより怖いことってあるんですねぇ」
勇猛果敢なアルベルティの騎士達が、揃って小さくぶるりと震えた。




