第四話 手紙と愛と
「くれぐれもお気を付けて」
「コーラルも出かけるようならば必ず護衛を連れて行ってくれ」
「分かりました。でも今日は宿にいると思います。──手紙を、読んでみようと思うので」
「分かった。……では、行って来る」
額にキスを落とし、騎士服を纏ったジェイドが宿の部屋を出ていく。急に広くなったように感じる部屋が、少しだけ肌寒い。
手ずからお茶を淹れるとソファに腰掛け、コーラルはゆっくりと手紙の束を解いた。
──────
お兄様、お元気ですか。
バレストラは暖かく、随分過ごしやすい地です。
食事の味が薄く感じ、なかなかパンが進みません。
あの塩辛いスープが恋しい。
そちらにいる頃は全然好きじゃなかったのに、可笑しいわね。
お兄様、お元気ですか。
子が産まれました。
私達と同じ赤毛の女の子です。
でも、あの人とよく似た癖毛です。
可愛いのに、どうしても抱きしめてあげられないの。
産んだだけで母になるなんてことは、ないのね。
お兄様、お元気ですか。
子供には、コーラルと名付けました。
気に入ってくれるかしらね。
私がその名を呼ぶ機会は、ないかもしれないけれど。
お兄様、お元気ですか。
先日見かけたコーラルは、随分大きくなっていました。
どのような女性になるのでしょうね。
きっと私を恨むことは間違いありません。
それでもいいから、出来れば真っ直ぐに育って欲しい。
あの男に似ないでいてくれたらもっといいわね。
お兄様、お元気ですか。
今は彼と一緒に、小さな家で生活しています。
あの子は、こんな私を許さないでしょう。
それでいいのだと思います。
ただあの子が幸せになってくれたら良い。
共に過ごす幸せが、どこかにあったのでしょうか?
今更そんな事を考えても意味がないのに。
コーラルがあの人の子でなかったら、と考えてしまうのです。
可笑しいですね。
あの人と私の子でなかったら、コーラルはコーラルではなかったでしょうに。
コーラルを捨てた私には、きっと罰が当たるでしょう。
どうかそれまでの僅かな日々は、私は私のための人生を生きてみてもいいかしら。
コーラルが幸せに生きてくれたら、私も幸せになれる気がするのです。
そんな日がもし来たら、もう一度母としてやり直してみたいわ。
──────
コーラルには、母と過ごした記憶は残されていない。何かの仕事か手続きか、稀に見かけることはあったけれど、用を済ませると逃げるように母は去ってしまっていた。声をかけられるでもなく、抱きしめてもらったこともない。けれど思えば、毎回必ずじっと見つめられる瞬間があったように思う。笑顔ではなかったし、幼いコーラルに読み取れるような分かりやすい表情でもなかった。
でも決して、疎まれているとか、嫌われていると思ったこともなかったのだ。
コーラルと母の間には、見えないけれど高くて厚い、大きな壁があった。
バレストラの祖父が犯した罪によって沢山の人が傷付き、不要な苦労を強いられた。愛し合う若い2人が引き裂かれ、愛のない2人の間に生まれたのがコーラルだ。
愛したかったのかもしれない。でも、同じくらい憎かったのかもしれない。
もしも今、ジェイド以外の人と結婚して子供を作れと言われたら……? そうしなければ自分の周りの人に危害が及ぶと脅されたら……。母はきっと、心が壊れる寸前だったのだ。必死で戦っていたのだと思う。それを責めることなど出来ないし、それでもコーラルを産んでくれた母には感謝しかない。今こうして生きているからこそ、今ある幸せを得ることが出来ているのだから。
ふわりと背後から温もりに包まれた。驚いて振り返ると、そこには肩に掛けたショールごとコーラルを抱きしめるジェイドがいる。
「ジェイド様……ごめん、なさい、お帰りにも……気付かなくて」
「いや、いい。コーラルがひとりで泣いている方が俺は嫌なんだ──遅くなって、ごめんな」
少しだけ眉を下げ、心配そうにコーラルの濡れた頬を撫でるジェイド。優しい人……愛しい人。
「はい。いつだって、ジェイド様は、私の心を暖めて下さっています」
「……コーラルが生まれてきてくれて良かった。コーラルがいない世界なんて、想像も出来ない。だから、ずっとここにいてくれ。ずっと、俺の腕の中にいて欲しい」
力強く引き寄せられて、痛いくらいに抱きしめられる。
母のことが知りたかった。同じ髪の色を持ち、自分ととてもよく似た容姿の母が。どんなことを思い、コーラルのことを見つめているのか知りたかった。
「……私……、私は、いらない子供で……! 愛、されず、家族も、い……いなくて。嫌われているって……い、居場所なんて、どこにもないって……!」
黙って聞いてくれる、その大きな胸の中はいつだって安心できる、コーラルの居場所だ。
「だ、けど……名前を、貰っていて……コーラルって、お母様が考えて、下さって……心配して、下さって……」
「いらない子なんかじゃなかったさ。嫌っていたら、気にかけたりなんかしないはずだ。イザベル様も苦しかったろう。でもこの手紙を書いていた瞬間は確かに、コーラルのことを想っていたのは事実だ」
コーラルは泣いた。声を上げて、幼子の様に。大きく温かな腕に包まれて、これまで心の奥に凝り続けた黒い澱を洗い流すかの様に。
「──落ち着いたか?」
「……はい」
「君の綺麗な瞳が溶けてしまうかと思って気が気でなかった」
「……ジェイド様の瞳の方がよほど綺麗です」
なんだか取り乱した自分が急に恥ずかしくなってきて、コーラルは火照る顔をジェイドの胸に押し付けた。そこはもうすっかり涙でぐしゃぐしゃに濡れてしまっている。
「……もう、私、大丈夫です。心から、生まれてきて良かったんだって、言えます。だから──これからもずっと、ジェイド様と一緒に、生きていきたい……」
両親の間に、望まれて生まれた子ではなかったとしても。生まれてきてくれてありがとう、と、無条件に愛された記憶はないけれど。
それでも、母がコーラルの幸せを願ってくれていたから──愛されても、良いのかもしれない。愛される価値があるのだと、信じてみても、良いのかもしれない。
澱が流れたその後に残ったのは、とても小さく、そして美しく輝く、星屑の様な欠片だった。
顔をそっと上げると翡翠色の美しい瞳と目が合って、その瞳の中には母譲りの赤毛を波打たせた自分の姿が映っている。
コーラルはゆっくり瞳を閉じると、甘く、溶ける様な熱を受け取った。




