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第三話 母と赤毛と

 宿で支度を整えて、約束の場所へ向かった。そこはやはり立派な商家で、王国の貴族の邸宅もかくやという様相であった。


「ああ! ようこそ来てくれたね! 君が……ああ、イザベルによく似ている……! まさか生きている間にこうして会える日が来るとは……!」


 出迎えてくれたのはファスマン商会の長であり、イザベルの兄、コーラルからすれば伯父にあたるローレンスと、ディーターだ。ローレンスの妻は早いうちに亡くなっているらしい。

 ローレンスは赤毛に白髪が混ざった中年の男性で、バライア人の中では年嵩のいった方なのだろう。しかし背筋はしゃんと伸び、矍鑠(かくしゃく)とした様子は未だ現役で活躍していることを思わせる。がっしりと握られた手は骨張っているが力強く、「会えて嬉しい」という言葉は本心だと感じられた。


「お初にお目にかかります。私はイザベル・バレストラが娘、コーラル・アルベルティでございます。こちらが夫のジェイド・アルベルティ。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「ジェイドだ。招待ありがとう」

「おお……! アルベルティというと、王国の……まさか、辺境伯閣下でいらっしゃる?」

「ああ。ご子息にも先ほど名乗ったと思うが……」

「──コーラル様に会えたことで取り乱し、すっかり頭から抜けてしまっていたようです……まさか、辺境伯夫人だったとは……」

「旦那様、立ち話もなんですから、食事でもしながらゆっくり話されては。さあ皆様、こちらへ」


 執事の案内で室内へ入る。ダイニングルームは豪華ではないが品が良く暖かで、なんとなく家族仲の良さが伝わって来るような雰囲気がある。

 運ばれてきた料理も大変美味しく、見慣れないバライアの料理が多かったのも私たちに気を遣ってのことかもしれない。


「さて……お腹も満たされたことだし、少し話をしようじゃないか。コーラル様は──イザベルのことをどのくらい知っているかな?」

「その前に、私のことはどうかコーラルとお呼びください。姪であれば……おかしなことではないでしょうから。どうぞ、ディーター様もコーラルと。──母のことは、お恥ずかしながらほとんど何も知らないのです。バライア出身であったこともこの度初めて知ったくらいで」

「そうか……姪、そうだな。ありがとう、コーラル。イザベルは、優秀な妹だった……少し歳が離れていることもあってね、とても可愛がっていたんだよ──」


 ローレンスが話してくれたのは、コーラルが知らなかった母の話だ。


 イザベルは、バライア国の貴族であるグローブ家の長女として生まれた。10歳年上の長男ローレンスは歳が離れた妹が可愛くて仕方なく、よく面倒を見ていたのだという。そんな兄のことがイザベルも大好きで、常に後ろにくっついて歩いていた。兄が貴族教育を受ける際もその場で大人しく話を聞いており、5歳になる頃にはそれらを正しく理解できているような才女であった。また、バライア特有の能力である魔力も多く持ち、それは一族の中においても段違いの量であった。

 バライアでは魔力の多さがなによりも重視されるから、跡取りに男女の別は考慮されない。兄とは歳の差があったことだけが懸念されたが、グローブ家の跡取りにはイザベルが指名された。その為、ローレンスは力のある商家として台頭していたファスマン家に婿入りすることとなった。ファスマン家としても、力のある貴族で魔術師の家系であるグローブ家から婿を取れるのは願ってもない話であったし、ローレンス本人としても自身より資質のあるイザベルが後継となることに関して思うところは少しもなかったとのことだ。

 この話を聞いてコーラルは古い胸の傷が痛んだけれど、そもそもコーラルと弟にはなんの交流もないままであったし、それとこれとでは全く違う状況だったのだ、と自分を納得させることにした。隣でジェイドがきゅっと手を握ってくれたことも大いに影響したのだが。

 そうしてイザベルが結婚適齢期になった頃、グローブ家に婿入りする前提で婚約者が選ばれた。それはイザベルの幼馴染で、家格も合い、また繊細な魔術を使う青年だった。2人は思い合っていたという。傍目に見ても、とても似合いの。

 ──それを邪魔したのが、コーラルの父方の祖父。ジュストの父だった。当時バレストラ家では後継者問題でゴタゴタが起こり、本来家を継ぐはずではなかったジュストが担ぎ出されたらしい。確かに娘のコーラルから見ても、あれは領主の器ではなかった。だからジュストの父は考えたのだろう。それならば代わりに優秀な嫁を取ればいい、と。

 当時はまだ戦時中ではなかったが、バライアは他国との国交は行っていなかった。ただバレストラ家がなんらかの繋がりを持っていたらしく、そこで才女であり当主としての教育も受けているイザベルに目を付けられたのだ。単純に、国内で嫁に来てくれる子女がいなかったということもあるかもしれないが……。

 イザベルの幼馴染の青年はあっという間に罠に嵌められて没落した。貴族の立場も失い、平民として働きに出なければ暮らしも立ち行かなくなった。また、グローブ家にも揺さぶりがかけられていた。金、物、脅し……様々なそれはローレンスの婚家であるファスマン商会にまでも及んだ。

 イザベルは、理知的なその瞳の輝きを失くし、涙を流すこともなくバレストラへと嫁いでいった。イザベルが犠牲になることはないと家族は皆止めたが、ファスマン家を含む他者にこれ以上の迷惑をかけることを厭ったのだ。


 そこからは、大体コーラルの知る話になる。母はコーラルを産むと、役目は終わったとばかりに家にほとんど寄り付かなくなり、コーラルが10歳になる頃馬車の事故で亡くなったのだ。


「──その時共にいた相手というのは、元々婚約するはずだった青年なのだよ」

「え……」

「彼は平民になってもなおイザベルと過ごすことを望んだ。結婚も出来ないし、子を成すことも出来ないが、それでもいいと。本当に、愛してくれていたんだろう。そんな相手に出会えた2人は、幸せだったろう」

「──お母さまは……幸せ、だった」


 ジェイドが心配そうにこちらを見ている。そう、こうして愛し合える人が隣にいるということは、この上ない幸せなのだとコーラルは知っている。コーラルが微笑めば、ジェイドも僅かに目を細めて頷いてくれた。


「イザベルも、君のことだけは心配していた。たまに手紙を受け取っていたんだよ。──良かったら、読んでみて欲しい」


 渡された手紙の束は少し色褪せている。どこか見覚えのある、綺麗に整った文字。そのインクは──私が持っているこのペンと、同じ色だった。


 その日は手紙の束を借り、丁重に礼を述べていとまを告げた。

 コーラルは玄関のホールに並ぶローレンスとディーターを見て、彼らの赤毛が自らとよく似ていることに改めて気付く。コーラルの赤毛は母譲りだ。そしてその母の赤毛もまた、家族から受け継いだものだったのだろう。

 あの頃、ひとり除け者の印だったこの髪の色が、ここでは血の繋がりを強く感じさせる証になっている。

 そのことを何故だかとても嬉しく思った。



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