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第二話 旅と従兄と

「あれぇ、この印璽、国王のやつじゃないですかぁ? 数年平和なのに珍しいですねぇ」


 イグナツィオが差し出した封筒には確かに王家の印が押されている。

 戦時中などはその勅命の為しばしば目にしたが、隣国との諍いが終わってからはほとんど見ることのなくなったものであった。


「──バライアからの調査要請、だそうだ」

「ふぅん、わざわざ王国(こっち)に?」

「属国扱いだがもはや隣りの領のような感覚だよな。やっと交易路も整備されたところだし」

「で、何の調査ですぅ?」

「──神獣の森の様子がおかしく、獣が凶暴化している。上空から調査すると共に、場合によっては討伐もして欲しい……というような感じか」

「へぇ……まぁ確かに竜騎士案件なのかもしれないですねぇ。で、神獣の森ってなんでしたっけぇ?」

「……ああ、補足がある。バライアの宗教で神とされている者の使いとなる獣が住む森、だそうだ。なんだろうな、俺たちでいう竜みたいなものか?」

「強いんですかねぇ。凶暴化したからって神の使いを討伐してもいいんでしょうかぁ」

「……そういうところもあって、無関係の俺たちに要請して来たのかもしれないな」

「ひっどぉ。また呪われたらどうしてくれるんだろ」

「はぁ……面倒な案件には違いないな。ただバライアは元々魔術師の国だし、見て回るには面白い物もあるかもしれないな。その森以外は、治世も安定してきたし危険も少ないと書いてある。やっと子供達の手も離れたことだし、コーラルと旅行がてら一緒に行くのも良いかもしれないな……」

「ああ、確かに団長と奥様はずっと戦後処理に領地改革と子育てで忙しくされてましたからねぇ。たまにはゆっくりされてもいいかもしれませんねぇ」

「ま、バライアで問題が起きれば1番影響を受けるのはアルベルティだ。どうせ片付けなければならないなら、さっさと終わらせて来るしかないな」

「了解でぇす」


 こうしてジェイドとコーラルはバライアへ向かうこととなった。日帰りの領地視察を除けば、子供が生まれてからは初めての長期遠征となる。

 寂しがられると思いきや、子供達は両親の不在に興奮気味だ。勉強をサボれるかも、お菓子がたくさん食べられるかも、などと飛び跳ねてさえいる。微笑ましく思いつつも、案外子離れできていないのは親の方だったのだと改めて実感させられたのだった。

 ちなみにティータイムのお菓子を少し増やしてやるように言い付けたジェイドを見て、コーラルは楽しそうに声を上げて笑っていた。



「予想以上に栄えていますね」

「そうだな。元々バライアは魔術というものがあったからか、文明のレベルが高いんだ。魔術を使う為の力──魔力というらしいが、それがない者でも使える魔道具というものもあるらしい」

「では……あの……なぜ、」

「なぜこの国が俺たちに負けたのか?」

「勿論、ジェイド様達騎士団がお強いことは分かっているのですが……」

「いや、コーラルが言う通り、単純な個人の戦力で言えば正直バライアの方が強かったんだ。ただバライアは魔力を持つ血統を大事にする余り、長年鎖国状態だった。国土は狭いし国民も元々多くなかった。……多分、血が濃くなり過ぎたんだろうな。子が産まれにくく、また病弱で短命になった。戦争など、結局は数の多い方が勝つようなところがあるからな」


 ジェイドと並び立ち、コーラルはバライアの中心部を歩いている。街は碁盤の目状に整備され、並び立つ街灯は見たこともない形状だ。火を使わずとも明るく灯るそれがきっと魔道具と呼ばれるものなのだろう。

 民族的な短命さが影響しているとすると複雑な心境だが、働いている人々や街を歩く者達が総じて年若く溌剌として見えるのも、華やかな印象だ。


「せっかくだからこちらの食事も食べてみようか」

「ええ、興味があります」


 時刻はちょうど昼時だ。アルベルティの領都ではカーサを使った屋台形式の店も多いが、バライアではほとんどが屋根と壁のある店舗型である。ここがアルベルティより更に北にあり、冬の寒さが厳しいことも影響しているのだろう。

 手近に見つけた食堂へ入る。なかなかの活気で、繁盛しているようだ。


「いらっしゃいませ! あら、美男美女で、ここらじゃ見ない顔ですね」

「ああ、王国から来ている」

「──っ、ジェイド様……」

「それはそれは! 王国が面倒を見てくれるようになってからは食糧もたっぷり入って来るようになったし、戦争に人を取られることもなくなったから、ここ10年でかなり暮らしも良くなったんですよ。偉い人はどうか分かりませんけどね、私らみたいな一般人からしたら、日々のご飯が食べられるかどうかが1番重要なんですから」

「……確かにそうかもしれないな。戦争なんて所詮上の都合でしかない」

「さ、そんなことよりも大事なのは今のお腹の空き具合です。何にしますか?」

「ああ。何かバライアらしいものが食べてみたい。おすすめを頼む」

「はぁい、かしこまりました」


 ジェイドと店員の女性の話を聞いて、コーラルは驚いていた。敗戦国として、てっきり王国のことは恨まれていると思っていたからだ。

 だから王国から来た、とはっきり言ったジェイドには慌ててしまったし、それに対して「面倒を見てくれている」と評した店員の言い方も予想外だったのだ。

 現在バライアを統治しているのは王国から派遣された官僚だ。終戦後10年間は王国側で統治を行い、法を整備し、その後は新しい代表を決めることになっていたはずだ。もちろん主権は宗主国である我が国にあるが、もともとバライアは土地の小さな国であったし、これからはいち領地としての扱いに近くなるのだろう。そもそもバライアには魔術以外は大した旨味がなく、向こうからアルベルティにちょっかいを出してきたことが戦争のきっかけだったのだから。

 店員の女性が言うことがバライアの民の総意だとするならば、今の統治者の手腕が優秀であるということだろうし、逆に言うと元バライア王族のやり方が上手くいっていなかったということなのだろう。いくら魔術というものが大きな力を発揮するとはいえ、それを行使するのは結局人なのだから。


「元バライア王族の方達は今どうなっているのでしょう?」

「処刑という声もあったがな。俺に呪いをかけたあの男が主犯で、その周辺の不穏分子の処刑のみで済まされた。事件よりずっと前に王位継承権も剥奪されていたし、王家との繋がりは無かったと認められた結果だ。王族はすぐさま主権を放棄し従属を選んだことで、僻地での幽閉となっているはずだ」

「なるほど……」

「といっても当時の王は既に亡くなり、今は王子と王女が合わせて3人ほど、残っていただけだと思うが……王族ともあって強い魔力を持っていたようだな」


 魔力というものが遺伝するのであれば、そのような血統を残すために近親婚が繰り返されてきた可能性は高いだろうと思う。高貴な血筋であれば王国でもひと昔前はよく聞いた話だ。それがもたらす結果も、分かりきったことだろうに……。



「はい、お待たせしました! 楽しんで行ってくださいね!」


 女性の給仕で出てきたのは、塩漬けのキャベツを使った透き通ったスープ。そしてごろごろとした野菜とトロトロに煮込まれた肉の入ったシチューが入った器を、包み込むようにパンの生地で覆って焼いた料理だ。スプーンでパンを崩せば中からもわっと湯気が立ち、美味しそうな香りがお腹を刺激する。香ばしく焼けたパンを熱々のシチューに浸せば、身体が芯から温まるような幸せな味がした。


「寒い地域だからこその料理ですね」

「そうだな──アルベルティでも冬はこのような料理なら流行るかもしれない」

「生地をパイで作ってもいいかもしれませんね」

「中のシチューもいろいろな工夫ができそうだ」

「ふふっ……フェルだったら、慌てて食べて舌を火傷しそうだわ」

「……エドはパンを剥がすのに夢中になりそうだな」

「ふふふっ!」


 物騒な話は一旦終わりだ。美味しい料理に舌鼓を打ち、コーラルとジェイドは久しぶりのゆったりとした幸せなひと時を堪能することができたのだった。



「今日は一旦宿で休もう。明日は騎士達と森の確認に行ってくる。コーラルにも数名残して行くから、買い物でもして待っていてくれるか?」

「ええ、わかりました」

「──ここだな」


「いらっしゃいませ。お2人様で?」

「ああ。予約を入れてある」

「畏まりました。ではこちらに記帳を」

「おや──インクが」

「ジェイド様、これをお使いになって」

「大変失礼致しました。奥様、ありがとうございます」

「ありがとう、コーラル」


 宿のペンが使えなかったため、コーラルが持っていたペンを差し出した。母から譲り受けて幼い頃からずっと使っているものだが、なぜかインクが切れることもなく、手に馴染むので常に持ち歩いているのだ。

 その時ふと後方から、強い視線を感じることに気が付いた。当然ながら気配に敏感なジェイドも既に気付いていたようで、コーラルの腰に手を回すと近くに引き寄せた。


「……敵意はなさそうだが」


 鋭い視線で周囲を見渡すと、すっきりとした短髪で赤毛の男性が近付いて来ていた。ジェイドと同じくらいの年齢。どこかで見覚えがあるような気がするのは気のせいだろうか?


「失礼。少し伺いたいのですが」

「……なんでしょう」


 男性に問われ、ジェイドが対応する。視線の先はジェイドではなく、コーラルの方だ。


「貴女は……コーラル・()()()()()嬢ではありませんか?」

「えっ……」

「違います」


 驚いて固まるコーラルと、不機嫌そうな顔で即座に否定するジェイド。そして男性はきっぱりと否定されたことにたじろいでいる。問いかけの形ではあったが、ほぼ確信を持っていたのだろう。


「彼女は俺の妻で、コーラル・()()()()()()だ。失礼だがそちらは?」

「あ、ああ。結婚していたんだな……。名乗りもせずに大変失礼致しました。私はディーター・ファスマン。貴女は……イザベル様のお嬢さんではありませんか?」


 イザベルとはコーラルの産みの母の名だ。コーラルを産んでからはほとんど家に戻らなくなり、別邸で愛人と共に暮らしていたと聞いている。その後10歳の頃に馬車の事故で亡くなったのだ。

 母とは、会うことも会話をしたこともほとんどない。だから彼女のことで知っていることなどほとんどないのだけれど──。


「イザベルは……私の母です」

「やはり……。そのペンはイザベル様の物でしょう、見覚えがあります。私はイザベル様の兄の息子、つまり貴女の従兄になりますね」

「まぁ……」

「ファスマン家はバライアの?」

「ええ。父が婿入りした商家です。イザベル様がいた頃は──グローブ家という貴族でした。今はもう消滅しましたが」


 ディーターの服装は上質な仕立てで身なりも良く、今日は客ではなく出入りの業者としてこの宿に出向いている様子であった。ここは決して安い宿屋ではない。商家だとしても、それなりに大きな規模のものだろうとは察せられた。


「もしよろしければ……今夜の食事をご一緒しませんか? イザベル様の話も少しはお聞かせできますよ。家に帰れば父もおりますし、きっとコーラル様に会いたいと言うでしょうから」


 ジェイドは少々不服そうだが、コーラルの意思を尊重するようにこちらを見ていた。任せるよ、と。コーラルが、母のことを知りたいと思ったことにも気付いているのだろう。


「……では、お言葉に甘えて」


 コーラルが答えると、ディーターは嬉しそうににっこりと笑った。その笑顔がどこか懐かしいような、見覚えがあるような気がして胸がきゅっと締め付けられる。

 母のそんな笑顔など見たことがないのだから、懐かしいなんて思うのはおかしいはずなのに。




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