第一話 脱走と抱擁と
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「兄さん待ってよー!」
「ほら早く来い、エド!」
2人の少年が駆ける。
ローブのフードを被った2人はこっそりと邸を抜け出し、きょろきょろと後ろを振り返りながら街へと続く道を真っ直ぐ進んでいた。
「今日、大道芸来てるかな?」
「多分来てるだろ。俺は、肉串が食べたいな」
「バレたら叱られるかなぁ……」
「……バレなきゃいいんだよ」
心持ち身を小さく潜めて、道のりを急ぐ。
その更に後ろには、護衛である騎士が数名付いているのだが、子供達に悟られるようなことはない。
アルベルティの騎士団は国内でも有数の実力者達が揃っている。斥候も任務のうちだ。
「──俺もよく訓練抜け出したもんなぁ」
「お前のそれは成人もとっくに過ぎた後だろうが」
「多少の違いじゃないっすか?」
「──坊ちゃん達はまだ子供だぞ」
「こっそりお出かけしたいお年頃っすよねぇ……」
「確かに精神年齢で言えば、お前とそう変わらないかもしれないな」
「ふはは! 確かに」
「認めるのか……」
当主であるジェイド・アルベルティとその妻、コーラルの間に生まれた2人の子。フェルディナンドは9歳、弟エドアルドは7歳だ。
アルベルティは辺境領であり、国防を担う有力貴族だ。家庭教師による教育もすでに始まっているし、騎士達に混ざって剣技や体術も教わっているところだ。
外での実技はまだいい。父に憧れる少年たちは、一刻も早く騎士になることを夢見ているから、辛くても痛くても、喰らい付いて鍛錬に励んでいる。問題は座学の方だ。
フェルディナンドは座学を苦手としており、なかなか集中力が続かない。地頭が悪いわけではないし、なんというか野生の勘のようなものが鋭く、答えを求められればなんとなくの勢いで正解を出してしまう。けれどずっとそのままではいつか躓いた時に苦労をするのは自分自身だ。どこがどう分からないのかが、分からないのだ。
逆にエドアルドは知的好奇心が旺盛で、教えられることよりもっと高度な知識を本などから吸収している。半端な教師だとエドアルドの質問に答えられなかったりすることもあり、それが時に不満を誘う。知りたいことを知れないのならば、こんな授業は必要ないとストライキを始めてしまうのだ。だがそうなると、自分の興味のある分野以外は全く触れないままになってしまうことになる。研究者になるならばそれでも良いのかも知れないが、彼はまだ7歳。将来どうしていくのかはまだ未知数だし、アルベルティに生まれたものとして、竜に選ばれたのならば竜騎士として暮らしていく可能性も高い。今の段階で偏った教育を受けさせるのは憚られていた。
そのようなわけで、この兄弟はしばしば座学を抜け出しては、こっそり街に出かけるようになっていた。
当然それは親であるジェイドとコーラルも把握していたし、気付かれないように護衛の騎士も付けている。
ここ数年でアルベルティの治安も落ち着き、領都で危険なことはかなり少なくなっている。何よりジェイドも昔はそうやって家を抜け出すこともあったというし、男の子は危険な冒険が大好きなのもの、なのだそうだ。
「──私は町どころか、ほとんど自分の部屋からも出してもらえなかったから……出来ればのびのびと育って欲しいです」
「ま、そのうち気付くだろうしな。今は言葉で言っても伝わらないだろう。満足するまで遊べばいいさ」
正直に言うと、コーラルからすれば若干の不安はあるのだ。弟がいたとはいえ、ほぼ一緒に暮らしたこともなければ──実際は血も繋がっておらず、弟でもなかったのだが──男の子の生態など全く分からないし、使用人や騎士達も見てくれているとはいえ、あの子達はコーラルが思いもつかないような危険なことをやらかしたりするのだから。
けれど、大事だからといってずっと腕の中に囲っておくことは出来ない。いずれ独り立ちする日が来るからこそ、そのために沢山の経験を積ませてあげることこそが、今の彼らに必要なことなのだと思う。
「まあ、フェルもエドも俺に似て、コーラルが大好きだからな。母を悲しませるようなことはしないさ」
「ジェイド様……。そうですね。親として、あの子達の成長を喜んであげましょう」
「うん。だから、これからはそろそろ俺のことも構ってくれないか?」
向かい合ってソファに座り、お茶を飲みながらのんびりと子供達のことを話し合っていたはずなのに。
急にその翡翠色の瞳を揺らめかせたかと思うと、素早くコーラルの隣に詰めて来るジェイド。ぴたりと触れ合った身体は未だ鍛え上げられていて、硬く、熱い。
コーラルの頬も一気に熱を帯び、しかし未だにこうして気持ちを伝えてくれることが嬉しくて、自然と顔が綻んでしまう。
「……はぁ、かわいい……コーラル、かわいい」
甘くため息を吐きながら、ぎゅうっと抱きしめられる。珊瑚色の髪に指を差し入れ、その髪や耳や頭に沢山のキスが落とされた。
いつも忙しそうで、不機嫌そうだったあのジェイドが。コーラルを金で買い、義務だからと言って早急に抱いたジェイドが、まさかこんなに愛情深い人だったなんて。
思いを伝え合い、通じ合って、呪いを解き、結婚式を挙げて。約10年の時を共に過ごし、子が生まれてもなおこうして溺れるほどの愛を捧げてくれている。
「──幸せ……」
心からそう思えた。この人と共に生きてきたことが。これからの時を共に生きられることが。
無言のまま、ジェイドの抱擁が更に強まった。苦しいけれど──全然、嫌ではなかった。




