第十九話 赤珊瑚と翡翠と
隣国の侵攻はあの魔術師の男の私怨によるところが大きかったらしい。実際のところはどうだったのか知らないが、隣国は早々に宣言すると尻尾を切り捨てるようにあの男の周辺を処刑した。先代の王弟という立場のある者だったそうで、どちらにせよ邪魔な存在だったのだろう。そして国としては対立するつもりはなかったとして、無条件降伏を認めた。今後は属国としての扱いになるだろう。
国境の検問は、偽装された書類によって許可証が発行されていた。そこに書かれていたサインは、ジュスト・バレストラ。コーラルの父親だ。どうやら隣国の間諜が家令として潜伏していたようだ。その男は事が動く前に姿を消したとのことで、未だ見つかっていない。
男を引き入れたとされるコーラルの継母と、その男に騙されて敵を招き入れる許可証を出したジュストは、犯罪者専用の鉱山へ送られた。しでかした事の重さから考えれば、生涯出てくることはないだろう。
2人の子供でありコーラルの義弟はまだ幼く物事も分かっていなかったため、孤児院へ入ることになった。ちなみにその後分かったことだが、コーラルの父とその子供は血が繋がっていなかったらしい。似たような髪色であったが、それは単純に母から遺伝したものだったのだろう。女は生涯、家令であった男の名前を狂ったように呼び続けていたという。
バレストラの領地は国に返された。嫡子であるコーラルには相続の権利があったが、既にアルベルティに嫁いだ身であるし、コーラル自身が拒否したからである。
アルベルティに来た時に、もう思い残すこともなかったし、正直に言えばいい思い出も特にないのだと笑っていた。
唯一の気掛かりであった、育ての親とも言える当時のバレストラの家令ダヴィデは、こちらから声をかけたところこのアルベルティに越してくることとなった。家族もおらず、残り少ない人生をコーラルの側で暮らせるなら幸せだと言って。といっても未だ矍鑠としたダヴィデはそこらの文官よりよほどよく働き、騎士団の書類仕事などを手伝ってくれている。おかげでジェイドの仕事量が少し減り、コーラルと過ごせる時間が増えたのはありがたいことだ。
「待たせてしまったな」
「いいえ、私も今来たところです」
領地の書類仕事を終えたコーラルと、訓練を終えたジェイドは騎士団棟の渡り廊下で待ち合わせて、一緒に竜舎へ向かうところだ。
ジェイドが手を差し出せば、ふわりと笑ったコーラルがそっと手を重ねる。
「それで、名前は決めたのか?」
「ええ──サン、と」
「サン……良い名だ」
コーラルがあの日乗ってきた竜は、山から降りてきた野生種だった。
イグナツィオから事情を聞いたコーラルは、「私の代わりはいくらでもいるがジェイド様の代わりはこの世にひとりもいない」と泣き叫び、自分は死んでもいいからジェイドを連れ戻して欲しいと訴えたのだという。
必ず呪いを解く方法を探すから、それまで待っていてくれと説得されて、ろくに食事も取れぬまま日々憔悴していた。
そんな中、テラスでジェイドのいる森の方向を見つめていると、はるか遠くの山からキラキラと輝くものが近付いてくるのが見えた。それは輝く鱗を持ったオレンジ色の竜だ。
ふわりとコーラルの目の前に現れた竜は、何かを訴えるように、コーラルの髪と同じ赤珊瑚色の瞳を瞬かせた。そっとその首に手を触れると、静かに言葉が伝わってきた。「望むなら、あの男の元へ連れて行ってやろう」と。
「……ジェイド様を助けることは出来ますか?」
『愛の呪いは、愛でしか解けぬ』
「……連れて行って、下さい」
こうしてコーラルは単身、竜に乗ってジェイドの元へやって来たのだ。
「それにしても、初めて竜に乗るのに、ひとりで……鞍も付けずに。もうあんな無茶はしないでくれよ」
「だって……みんなが私を外に出さないように見張っていたんですもの。ああするしかなかったのです」
「──君は案外お転婆だよな」
「こんな私ではだめでしょうか?」
「最高だよ」
目を見合わせて笑い合う。きゅっと握った手が暖かい。
竜舎へ入ると、最奥でアゲートとサンがきゅうきゅうと喉を鳴らしながら仲良さげに首を擦り寄せあっていた。
「あら……」
「こいつらも、番になったんだな……」
「もしかしてサンはジェイド様ではなく、アゲートを迎えに来たのでしょうか……?」
「はは! かもしれないな。だとしても、今こうして2人でいられるんだ。些細な違いさ」
「さあ、視察に行くぞ」
「サン、乗せてもらえる?」
『きゅ!』
あれからジェイドとコーラルは、こうしてアゲートとサンに乗り、領地の視察を行っている。
地上では竜騎士に憧れる子供たちが一生懸命手を振っている。ジェイドとコーラルが目を合わせ、そして大きく手を振り返すと、喜んだ子供がぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
「ここの街道を整備すれば、随分領都からの近道になりそうだ」
「そうですね。そうなると間にひとつ宿があると良いかも」
「1番近い町に降りてみるか」
「はい!」
町の中でも2人は手を繋いで歩く。
「あら、綺麗なお嬢さんだねぇ! 新婚さん?」
「ふふ、もうすぐ1年になるかしら?」
「仲が良いのは良いことだねぇ」
「おい、あのお方の顔の傷……領主様じゃないか?」
「えっ?! やだ、私ったら気付かずに……っ!」
「いや、構わない。困り事はないか?」
「最近はよく物も売れるし、生活も大分楽になって来たんですよ! これも領主様のおかげでさ!」
「そうか。何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「お邪魔したわね」
寄り添い歩き去っていく領主夫婦は、あちこちの店に顔を出しては様子を聞いて回っている。
顔の傷が恐ろしく、その威圧感で若い女性から距離を置かれていた若い領主は、己の妻を見て柔らかく微笑んだ。その穏やかな表情を見て、町の人々は初めてその顔の造作が非常に整っていたことと、瞳の翡翠色の美しさに気が付いた。
「領主様って……あんなに素敵な人だったのね……」
「身体だって逞しくて……」
領主様の見た目が以前と変わったわけではないのに、なぜ今まで気付けなかったのだろうか。
ざわめく人々の中、コーラルはわずかに頬を膨らませた。
「ねぇ、ジェイド様の格好良さにみんな気付いたみたいですよ? ──私は最初から気付いてましたけれど」
「ん? もしかして……嫉妬してくれるのか?」
膨らんだ頬をつんと突くと、その顔をぽっと赤く染めて上目遣いで睨まれた。その顔がまた可愛らしくて、コーラルも町行く男たちの視線を惹きつけていることに気が付いていないようだ。
「こんな傷のある顔、別に良くもなんともないだろう」
「その傷も含めて、私はジェイド様が好きなんですっ!」
さっとジェイドの正面へ回ると、肩に手を伸ばしたコーラルはぴょんっと軽く飛び跳ねて、ジェイドの顔の傷にちゅっと唇を当てた。
普段は恥ずかしがり屋で、こんな人目のあるところでキスをするなんてまずないコーラルだ。
案の定さらに顔を赤く染めて、ジェイドの手をぐいぐいと引っ張って行ってしまう。
(……暴力的な可愛らしさだ……)
日々共に過ごせば過ごすほど、コーラルへの愛おしさが募っていく。こんなに可愛い存在がいて良いのだろうか。可愛すぎてどこかに攫われてしまうのではないだろうか。本当は邸の中に隠しておきたい気持ちもある。ずっと自らの腕の中にしまっておきたいくらいなのだ。
けれど、ジェイドはそれをしない。自分がコーラルを愛するのと同じくらい、コーラルもジェイドを愛してくれているのだと信じられるからだ。
コーラルがあの日言ったという、「私の代わりはいくらでもいる」という言葉。確かにコーラルを選んだのは、ただ条件に合っていたからだ。誰でも良かったし、確かにあの時は代わりの利く存在だったと思う。
でももう、コーラルの代わりになる人など誰もいないのだ。アルベルティの子を次代に残すとか、そんなことはどうでもいい。2人で共に今を生き、愛し合い、笑っていられれば、それで。
◇
「アルプおじさん、こんにちは」
「おう、嬢ちゃん。と、領主様も」
コリーナ村のおじさんたちも、もうすっかり馴染んでいる。今は村と領都を往復しながら、家で作った市場で村の品を売っている。鰐瓜が適正価格で売れるようになったため、暮らしにも余裕が出たという。おかげで他の産業にも手を回せるようになり、鰐瓜の摘花した花で作った花茶や、なんと鉱山からは翡翠が産出された。
「今日は良い石を持って来ているよ」
「まあ! とても綺麗……」
「これなんて、領主様の瞳の色にそっくりだ」
「本当に……」
「買っていくか?」
「いいのですか……?」
「ああ。コーラルは滅多に物をねだらないからな。たまには夫の甲斐性を発揮させてくれ」
「嬉しいです……!」
コーラルが自分の装飾品を強請ることはほとんどない。幼い頃から着飾る機会も与えられず、選び方も分からないのだろう。
その彼女が初めて自分で選んだのは、ジェイドの瞳の色の翡翠だ。こんなに嬉しいことはない。
「指輪を、作ろうか」
「指輪……ですか?」
「それが出来たら、結婚式を挙げよう」
「……まぁ」
俺たちは出会ったその日に書類にサインして、夫婦になった。にもかかわらず、結婚式も挙げていなければ、揃いの装飾品のひとつも作っていない。
戦後処理があるから、まだ領内が落ち着いていないから。そんな言い訳で流して来たが、今となってはそれで良かったのかもしれないと思う。
きちんと気持ちが通じ合って、正真正銘愛し合った夫婦として、結婚式を挙げられるのだから。
あの日コーラルの胸元で砕け散った赤珊瑚の破片と、そしてジェイドの瞳の色の翡翠を並べ、揃いの指輪を仕立てた。
長年隣国と戦争をしていたアルベルティは、武具の生産が得意だ。これからはその技術が、繊細な金属加工に移行していくかもしれない。技術者たちは人を殺す道具から、人を幸せにする装飾品を作る職人に変わるのだ。
災いから身を守る赤珊瑚と、成功と繁栄を司る翡翠。この2つがぴたりと寄り添い合い、荒れた北の辺境地は少しずつ復興を遂げる。
終戦を記念した式典と共に、領主夫妻の結婚式も盛大に執り行われた。
見目麗しく、仲の良い2人はいつも行動を共にして、神々しい竜に乗り颯爽と領地を駆けた。
恐ろしい化け物だと思われていた竜は、その速さや機動力を買われ、王都との物流にも活躍するようになる。おかげで辺境の領地も潤い、国力は格段に増した。
「明日はどこへ行こうか?」
「そうね……あなたと一緒ならどこへでも」
サンがコーラルの腹にそっと首を擦り寄せた、その意味を2人が知るのは、もう少しだけ後のことである。
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