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第19話 追放した編集者、追放される ~完~


 追田は、軽い処分だけで済んだ。


 下読みではなく、作家としての岡崎を、勝手に切ったこと。


 追田が処分されたのは、その越権行為に対するものだけで、それですら、始末書一枚で済んでいた。処分当時、編集長は追田がスーパー下読みの岡崎を呼び戻した(はずだった)ことを、失地挽回として高く評価していたからだ。


 そうして今日も、追田は平然とブラック文庫編集部で働いていた。


 業務を効率化して定時に帰るためと称して、底辺作家を勝手に切る行為でさえ、懲りずにまだ続けていた。


 たまに、あの作家はいまどうしているかと、先輩編集などから聞かれたとしても、


「ああ。あの人なら、急に音信不通になっちゃって」


 と言っておけば、それで済んだからだ。

 それぐらい、底辺作家とは軽いものだった。少なくとも、追田にとっては。


 時折、漫画原作者に転身した岡崎が、他社の雑誌で大ヒットを飛ばしているという話を聞いて、


「チッ」


 と舌打ちすることこそあったが……

 全体として、追田の編集人生は順調だった。


 ……やがて、全てが終わってから、数ヶ月が経った。


 すると追田は……自分はあの大ピンチを、上手いこと乗り切ったのだと。

 そう、信じて疑わないようになった。


 年月が経てばきっと、あの時の話……社運が賭かった新人賞を、滅茶苦茶にしてしまったこと……を、若い頃の武勇伝・ヤンチャ話として、後輩に自慢することも、できるようになるだろうと。


 その程度に、軽く、追田は考えていた。


 追田にとって、人生とは全て、そのように軽いものなのかもしれなかった。


 ……岡崎大悟や、五月姫乃のような人間が、どれだけ言葉を尽くして、情熱を燃やして語りかけたとしても……追田のような人間には、何も心に響かないのかもしれない。


 そういう人間も、現実には存在する。

 それもまた、一つの現実だ。


 ……だが、


「追田」

「はい、編集長」

「ちょっと来い」


 一方で……

 これから起きることも、また。

 一つの、あり得るかも知れない、

 ……現実である。




 ブラック文庫編集部から、一番遠い会議室。


 久し振りにここに呼び出された追田だったが、何も警戒などしていない。

 追田は、全ては終わったものと、安心しきっていたからだ。


 ……そして、編集長は話し始めた。


「内部監査室……知っているか?」


「は? ああ、ええ、あの、何の仕事してるのか、よくわからないところですよね?」


「先日、経理部に定期内部監査が行われてな」


「はあ」


 話の行方が掴めない追田は、曖昧な相づちを打つ。


「ウチの会社の経理部では本来、新しい振込先口座を送金システムに登録する際には、一応の身元確認? だったかな。まあそんな感じのことを行うよう、手順が定められているそうだ。主に反社対策のためのものらしいが」


「……はい」


 さすがに……追田は、警戒し始めた。

 まあ……警戒したからといって、どうすることもできなかったが。


「しかし、先日の内部監査の結果……経理担当者の引継不十分により、この手順が、しばらく前から守られていなかったことが判明した……まあ、あってはならないことだが、しかし、ままあることではあるだろうな」


「……」


「追田」


 そう言って、編集長は一枚のコピー用紙を、追田に投げて寄越した。


「お前は知らなかったのかも知れないが……会社というのはな。登記を調べれば、誰が経営者なのか、簡単にわかるんだよ……!!!!」


 編集長が寄越した紙……それは、追田が口座を利用した友人の会社の、登記情報だった。


「あ……あ……」


 追田は、座ったままガタガタと震え始め、声にならない声を上げ始める。

 だが、もう遅い。


「おかしいと思った私は、最初はその会社の経営者に、次は岡崎先生に、直接連絡を取った……全て明らかになったよ……追田……全ては……全てはお前が仕組んだことだったんだな……!!!! あの新人賞は、全て……!!!!!」


「へ、編集長様あああああああああああああああああああっ!」


 追田は号泣して土下座した。もう遅いけど。


「どうか、どうかお慈悲をおおおおおっ! お慈悲をおおおおおおおおおおおおおっ!」


「ふふふ……慈悲を請いたいのはこちらだよ……あの新人賞で……私がどれだけ辛酸を……正直、いまも編集長でいられるのが、なんでなのかわからんほどだ……」


「編集長様ああああああっ! 編集長様ああああああああああああああっ!」


「まあな……お前の言うことにも、一理あるとは思っていたのだ……岡崎先生の下読みぶりを、お前に知らせておかなかったことは、私にも落ち度があったし……まともな選考が行えなかったのは、確かに編集部全体の責任だったろう……そこはお前の言う通りだった……なかなか鋭いことを言うやつだなと、思っていたのだよ、実はな……でもさあ?」


「編集長……さ……ま……」


「会社からお金を騙し取っちゃ、いけないよねええええええええええええええええ!?」


「あああああああああああああああああああっ!?」


 全部バレてるのである。


「編集長様あっ! 違うんです! 誤解なんですうううううううううううっ!」


「何が誤解だこの盗人が!」


「違うんです! 盗んだわけじゃありません! あれは会社のために使ったんです! 新人賞の選考のため、下読みを雇うのに使ったんです! 横領じゃないんですううううううううううううううっ!」


「そんな言い訳が立つと思ってるのかバカ野郎! お前は会社の金を自分の口座に送金させた! 金を引き出したのもお前だ! 重要なのはそこだけだ! その金をお前がどう使ったのかなど知るか! ……それから、法務の話によると、お前のやったことは横領ではなく詐欺と呼ぶのが、法律的には正しいそうだ」


「も、もう法務が動いているんですか……?」


「当たり前だ! ……さて、追田くん。これからのことを少し話そうか」


「これからの……こと……?」


「正直、こんなことは表沙汰にできん……社としては、お前の刑事告発は見送ってもいいそうだ」


「ほ、本当ですか!?」


「その代わり……お前が会社から騙し取った金を、返済するのが条件だ」


「な……な……そんなバカな! だって、五十人分の報酬ですよ!」


「だからなんだ?」


「あ、あのお金は、もう下読みの人たちに払ってしまって……俺のところには、一円も残ってないんです!」


「だからなんだ?」


「へ……?」


「いいか、追田……まず、お前は金を借りる。サラ金でもヤミ金でも何でも使え。で、借りた金を会社に払う。その後、お前は額に汗して働いて、サラ金だかヤミ金だかへの借金を返していくんだ。たっかーい利息も含めて、な」


「そ……そん……な……」


「確かに大きな額だが、なーに、一生かかっても返せないほどの莫大な額というわけではあるまい……お前がこれから先何年か、惨めな生活を送ればいいだけだ。言っておくが、まともな出版社には二度と就職できないと思え。この業界は狭い。噂はあっという間に広まるだろう……お前が再就職できるのは、せいぜい零細編集プロダクションぐらいなものだ。労基署の目が行き届かないような、ブラック極まりない職場だけだ……」


「あ……ああ……」


 追田は、恐怖と屈辱に震えていた。


 無理もない……大手出版社への就職が決まって以来、これで安泰だと思っていた彼の人生計画は……完膚なきまでに、崩壊してしまったのだから。


「追田颯太……」


 そしてついに、編集長は言った。


「……お前を、このブラック出版から追放する」


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 追田の断末魔の叫びが、ブラック出版の豪華な自社ビルの中に、隅々まで響き渡っていった。

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