第15話 死と再生
次の日、バイトをして、帰ってきて、台所で家事をこなしてから……俺は再び畳の間に足を踏み入れて、そこで黙々と作業をしている姫乃を見た。
姫乃は、何でもない風を装っているが……さすがの俺にもわかる。ちょっと落ち込んでいる。
無理もない……俺も若い頃、女の子から拒まれた時には、それはそれはショックで……やめよう。
そんな時、元気を出してもらう手としては、古典的で見え透いている気はしたが……
「姫乃、これ」
俺はそう言って、一つの可愛らしい包みを、姫乃の前に置いた。
「えっ?」
姫乃は驚いて俺を見てきたが、俺は構わずに、姫乃の向かいに座って、ノートPCを開いた。
すると、姫乃はでっかいディスプレイの横から、顔を出して聞いてきた。
「何、これ?」
「……疲れてるみたいだったからさ。お菓子だ」
「でも、これ高そう……それに、疲れてるなんて、いつものことでしょ?」
「……ホワイトデー」
「え?」
「大学の時さ。お前がバレンタインデーにチョコくれたのに、俺、ホワイトデーのお返しを忘れてたろ?」
「お、覚えてたの……!?」
「あの時は悪かったよ……当時の俺は、四月にある新人賞の締切りに間に合わせることで、頭がいっぱいで……三月のホワイトデーのことなんか、すっかり忘れてて……」
「知ってるよ! 四月には、ラノベの世界で一番大きい新人賞があるの、みんな知ってた! 作家志望の人は、みんな応募してた……だから私、何も言わなかったの……」
……言えなかった、の間違いかもしれない、と俺は思う。
それが決して、俺の思い上がりなんかじゃないことを、いまの俺はさすがに気づいている。
……あのホワイトデーがきっかけで、俺たちの間に溝が生まれて、今日まで来てしまったのかもしれない、ということだって……今ならわかる。
「いまさら遅すぎるだろうし、そもそも、今日は三月十四日じゃないし……あの新人賞、結局獲れなかったから、カッコだってつかないけどさ」
「ううん、そんなことないよ!」
姫乃は俺が渡した可愛らしい包みを持って、笑った。
「開けてもいい?」
「ああ」
「どれどれ……ああっ! 有名ブランドのマカロンだ! これ並んだでしょ!? 高かったでしょ!?」
「ああ、まあな」
「すごい! うれしい……っ! 私……私、これでまた頑張れるよ! 最後まで頑張れるよ!」
「おいおい、本当に最後までか?」
俺は笑って言った。
「先は長いんだぞー? この漫画が大ヒットしたら、最低でも四、五年は続けるつもりだからな」
「ふふふ、そんなこと言ってー! 予言してあげるよ! これから先、ダイちゃんは何かあるたびに、私にマカロンを買ってくれるようになる! そうだなあ、たぶん年に十回ぐらいは買ってくれるんじゃないかなー?」
「お前なあ、調子乗り過ぎだろ?」
「それだけ嬉しいってことだよ~……これ、一緒に食べようよ! 待ってて! いまお茶入れるから!」
「お茶なら俺が」
「いいのいいの!」
そうしてパタパタと台所に立った姫乃は、しばらくすると、コーヒーを手に戻ってくる。
俺たちはディスプレイとノートPCを横にどけて、コーヒーを飲みながら、分不相応なほどに美味しいマカロンをつまんだ。
……幸福な一時?
それは……少し違う。
確かにこうしていると、心は安らぐ。
そういう時間も必要だ。
でも、俺たちの……俺と姫乃の、本当の幸福は、この先にある。
もうすぐ、漫画が完成する。
そうなれば、審判の刻が来る。
それは……これまで多くの若者の夢を殺してきた、残酷な審判。
その審判で「お前には生きてる価値がない」と言われれば、即、死刑が執行される。
……いままでに、一体どれほど多くの夢が、生まれる前に死んでいったのだろう。
どれほど多くの世界が。
どれほど多くのキャラクターが。
どれほど多くの物語が。
生まれる前に、殺されていったのだろう。
たとえ、面白くはなかったとしても……
その全てが、誰かにとっての夢だったはずなのに。
どうしてみんな……死ななければならなかったのだろう。
……考えても、仕方がない。
もっと、シビアになれ。
鋭く、硬く。
でも、決して脆くはなく。
そんな強い心を手に入れて。
山のような屍の上を、乗り越えて進まなければ……
俺と姫乃に……本当の幸せはないんだ……ッ!
「……休憩は終わりだ」
俺はそう言って、ノートPCを立ち上げた。
「終わらせよう、俺たちの漫画を」
「……違うでしょ、ダイちゃん」
「え?」
姫乃は言った。
「全ては、ここから始まるんだよ……たとえ、何度繰り返したとしても、ね」




