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第14話 ビューティフル・ドリーマー

 漫画の制作は、佳境を迎えていた。


 俺たちは連日、畳の間に置かれたテーブルで向かい合い、姫乃はでっかいディスプレイとペンタブを使って絵を描き、俺はその反対側にある使い古したノートPCで、ベタだのトーンだのの作業をしている。


 最初はいちいち使い方を教わらなければならなかったソフトにも、俺はすっかり慣れてきて……なんてハズもなく、本職のアシと比べたら、俺の作業スピードはたぶんものすごく遅いと思うのだが……まあ姫乃が背景を描いたり、俺はバイトをしていたりする分、原稿の処理速度としては、ちょうどいい感じだった。


 そうなると、俺はバイトと家事 をしている時以外は、常に姫乃と向かい合って作業する形になった。


 自然、会話も弾むようになる。


「うふふ……」


「どうした? 嬉しそうに笑って」


 ある日の夜、俺たちは作業の手を止めずに会話し始めた。


「なんかこういうの、良いなーって……文化祭を思い出さない?」


「あー、わかるよ。学校に泊まり込んだりしてな」


「……でも、あの時は他の人がいたけど、今は私たちだけだね♪」


「ああ……みんな今頃、普通の生活をしてるんだろうな」


「……そうだね」


 高校の文化祭にしろ、大学の文化祭にしろ。

 あの時、一緒に何かを作っていたみんなは……もういない。


 みんないまごろ、どこかの会社に雇われて仕事をしているか、家族と団欒だんらんしているか……そんなところだろう。


 三十歳になったいま……俺と姫乃だけが、こうして漫画を作り続けている。

 まるで、終わらない文化祭前日を、何度も繰り返してきたかのように。


「……ねえ、ダイちゃん?」


「ん?」


「聞かせて欲しいんだけど……あの日、ダイちゃんは『ラノベはオワコン』だって言った私に、反論したよね?」


「ああ」


「でもね、あの時のダイちゃんの答えって、少しズレてた気がするの……『なろう系』をバカするのは良くないってことは、すごくよくわかったよ。でもだからって、ラノベがオワコンじゃない、ってことには、ならないでしょ? ほら、市場規模が小さい、っていう話だってしてたし」


「……オワコンはやめてくれ」


「ああ、ごめん……でも、ダイちゃんは、ラノベは終わってないって言う一方で、漫画原作者になろうとしてるよね? それって矛盾してない? いや、きっとダイちゃんの中では矛盾してないと思うんだけど、だったら、その理由を聞かせて欲しいの」


「……遠回りな話になるが、いいか? それに、あくまで俺の勝手な理論だ」


「いまさらでしょ?」


「そうだよな、すまん」


 言ってから、俺は語り始めた。


「俺は、ラノベが漫画よりも明らかに優れている点が、二つほどあると思っている」


「それは?」


「『参入障壁の低さ』と『手返しの良さ』だ」


「うーん、『参入障壁の低さ』はわかるよ。漫画と違って絵が描けなくてもいいから、誰でも入ってきやすい、ってことだよね」


「ああ。それから、専業にこだわる俺が言うのもなんだが、ラノベの場合、兼業でも十分な活動ができる、というのも大きい。より多様な才能が入ってくる、ということだからな」


「なるほど、それもわかるよ。でも『手返し』って何?」


「手返しっていうのは、釣り用語でな。『手返しが良い』ってのは、短い時間で何度もトライできる、みたいな意味だ。つまり『ラノベは手返しが良い』っていうのは、漫画と比べて短い時間でたくさんの作品を書くことができるから、より多くのトライ・アンド・エラーができる、ってことだ」


「え? ラノベってそうなの?」


「ああ。大体ラノベ一冊は十万~十五文字ぐらいって言われてるんだが、プロのラノベ作家や『小説家になろう』の作家の中には、一ヶ月ちょいぐらいでそれを書く化け物がゴロゴロいる」


「うっそ。漫画では一ヶ月で一冊ってほとんど考えられないよ……っていうか、よく考えたら兼業でだよね? アシスタントだって、当然いないわけだよね?」


「その通りだ。まあなろう作家の中には、書きためてから一気に投稿してる人もいるだろうが……いずれにしても、ラノベなら、たった一人で兼業しながらでも、漫画より短い時間で一本の長い話が書ける、あるいは、短い時間でたくさんの短い話が書ける、ということは間違いない」


「それが『手返しが良い』ってことなんだね」


「そうだ。時間当たりで実行できるトライ・アンド・エラーの回数という点で、ラノベは漫画より優れているんだ。まず試しに書いてみて、ヒットしたら続ける、ダメなら次に行くといったサイクルを、ラノベは漫画よりも遙かに高速に回していくことができる。特に、作品の発表にコストがかからない、小説投稿サイトにおいてこの傾向は顕著だ。現になろうでは、そうした書き方をしてる作家が大勢いる……ただし」


「ただし?」


「これらのラノベの長所が真価を発揮するには、マイナーな作品が生き残れるような、ある程度の市場規模が必要になる。マイナーな名作が生まれても、すぐ死んでしまうような環境では、どれだけ多様な才能が入ってきても、トライ・アンド・エラーを何度繰り返したとしても、生き残るのはトレンドに最適化されたメジャーな作品だけだからな」


「ふーん。じゃあ市場規模が一定の大きさに達したら、どうなるの?」


「ビッグバンが起こる」


「は?」


「ビッグバンが起こる……まあ『俺の理論的には』だから、確実じゃないが」


「ビ、ビッグバンって、どゆこと?」


「さっき言った『参入障壁の低さ』と『手返しの良さ』に『マイナーな作品が生き残れる程度の市場規模』が加われば……新しい才能が次から次へと参入してきて、ものすごいスピードで新作を生み出し、新たなマイナートレンドがどんどん生まれて……やがてその流れが、メジャートレンドにも波及するようになる」


「つ、つまり……?」


「つまり、メジャーがマイナーになり、マイナーがメジャーになる下克上、世代交代がめまぐるしく起こるようになり……従来では考えられなかったような圧倒的スピードで、革新的な物語が次々と生み出されるようになる」


「ななななんか急に壮大になってきたよ!?」


「……ただし、圧倒的スピードって言っても、読者側の読む速度に限りが有るから、限界はあるだろうけどな」


「それにしても……スケールの大きい話だねえ……」


「ま、まあ……いくら熱血派の俺でも、かなり恥ずかしいことを言っているという自覚がある……話半分程度に、聞いてもらえればいい……」


「ええと、それで、最初の話に戻ると……つまり、ダイちゃん自身は、ラノベ市場が大きくなるのを待ちきれないから、ここで仕方なくドロップアウトする。けど、このままラノベ市場が成長し続ければ、いつかその『ラノベビッグバン』が起こることを信じてる。だからまだ、ラノベは終わってないと思う、ってこと?」


「そういうことだ」


「なるほどね。それはわかったよ。でも、うーん……この前も言ってたけど、ラノベ市場がこのまま成長する保証なんて、どこにもないよね? っていうか、出版業界全体は縮小してるんだから、ラノベも縮小する可能性の方が高いんじゃない?」


「おっと!?」


「え?」


「お前はいま、この理論の最大の弱点を突いてしまった! いや、これは参ったなあ!」


「ちょっと! まさかそれをオチにするつもりじゃないよね!?」


「いや、そうじゃないけどさ……でもほんとに、そこを突かれると痛いんだよ」


「まったく……大体さあ、漫画業界に移ればバラ色みたいなことも言ってたけどさあ。漫画業界だって、動画やスマホゲームとの競争なんかがあって、これから縮んでくんじゃないかって言われてるんだよ? 日本は少子化だしさー」


「そうなんだよなー……確かにラノベにしろ漫画にしろ、いま日本は出版業界全体が厳しい。そんな状況では、仮にこの理論が正しかったとしても、姫乃の言う通り、ラノベビッグバンは起こらない可能性が高い。決して現実にならない、俺個人の美しい夢のまま、業界が終わらない停滞を続ける可能性の方が、ずっと高いだろうな……まあ、気がついたら中国あたりでビッグバンが起こってるかもしれんが」


「……夢のない話だね」


「夢を見てるのに、夢がないわけか。面白いジョークだ」


「笑えないよ。当事者の私たちにとっては」


「そうだな……でもさ、あっただろ?」


「え?」


「ゼロ年代のラノベブーム」


「……」


「あの時はさ……確かに、ビッグバンが起こってたと思うんだよ……」


「ダイちゃん……」


「当時はさ、気づかなかったよ。あれがどんなに素晴らしいことだったのか……だって、ずっと続いていくと思っていたから。この世界(ライトノベル)は、これから先もずっと、今までにない新しい物語を、俺たちに見せ続けてくれるんだって……そう信じていた」


「……」


「完全な憶測でしかないから、もしかしたら的外れかもしれないけど……きっと、タイミングとバランスの問題だったんだよ。当時は、市場規模(需要)はいまより小さかったはずだけど、ラノベの新刊数(供給)は、それ以上に少なかったはずだから……当時の読者層は中高生がメインで、社会人みたいに疲れ切ってなかったし……だからあの時、マイナーな名作でも生き残れる環境が、奇跡的に生まれて……今だったら埋もれていくはずの作品が、次から次へと脚光を浴びて……でもそんな奇跡は、もう二度と……」


「ダイちゃん! もうやめてよ!」


「……すまん」


「今日はもう遅いから……続きは明日にしよう」


「あいよ、姫乃先生」


「ダイちゃんも、先生でしょ?」


「……本気でそう思うか?」


「うん……だってこのお話、最高に面白いもん」


「そうか……お前の作画も最高だよ。本当にそう思う」


「うん。ありがと」


 そんな会話を交わした後で、俺たちは同居を始めた日からずっとそうしているように、テーブルを立てて衝立ついたてにして、布団に入って眠った。


 ……俺がウトウトし始めた、その時だった。

 姫乃が、俺の布団に入ってきた。


「ダイちゃん……」


 闇の中に見え隠れする、姫乃の艶姿あですがた

 こそばゆい吐息。

 感じる体温。

 柔らかい肌。

 漂ってくる匂い。

 ……ささやかれる、甘い声。


「慰めて……あげるよ?」


「……」

 だが、俺は言った。

「……要らない」

「いまはまだ……そういうことをされても、惨めになるだけだ」


 そしてすぐに、俺は付け加えた。


「俺はまだ……諦めたわけじゃない」


 ……それを聞くと、姫乃は、


「そっか……そうだよね、ごめんね……」


 そう言って目を伏せて、布団から出て行った。

 手を伸ばせば、すぐ届くところにあった熱が、スーッと抜けていく。


「……姫乃」


 姫乃が自分の布団に戻って、しばらくした頃、俺は衝立越しに言った。


「俺たち、必ず成功しよう……約束する。漫画家として成功したら、色々なことを、ちゃんとするって……いまは、これしか言えないけど……わかってくれるか?」


「……うん」


 姫乃は言ってくれた。俺の下らなくて子供っぽい(昔のラノベみたいな)こだわりに、付き合ってくれると。


「いまは……それだけ聞ければ、十分だよ……おやすみ」


「おやすみ……ごめんな……それから、ありがとう」


「うん……」


 そうして、俺たちは眠りに落ちた。

 ……明日をも知れない、不安定な人間たち特有の、浅くて薄い眠りに。

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