第10話 市場規模は大事です
「追田さん」
と、俺は切り出した。いくら追田がバカでも、編集ならこれぐらいは頭に入ってる、と思ったからだ。
「ライトノベルと漫画、それぞれの市場規模は?」
「……漫画の市場規模は、約5,000億円。ライトノベルの市場規模は、どこまでをライトノベルに含めるか、電子を含めるか含めないかなどで違いがありますが、狭義のライトノベルだけだと約200億円、広義のライトノベルを含めると約400億円程度と考えれば、大きく間違ってはいないかと」
「えっ?」
姫乃が驚いて声を上げた。
「ラノベの市場規模って、そんなに小さいの……? もっと漫画に近いと思ってた……」
俺はうなずきながら、こう付け加えた。
「追田さんも言った通り、市場規模に関するデータは諸説あるが、漫画の方が十倍程度、もしくはそれ以上大きいのは間違いない」
「でも、」
と追田。
「その市場規模の話と『岡崎先生が、漫画原作ならやっていける』っていう話は、どうつながるんですか?」
「あのですね……市場規模が大きいっていうことは、それだけ多様性を受け入れる余裕がある、ってことなんですよ」
「多様性……ですか?」
「ええ。たとえば、ラノベの市場規模を400億円、印税を10%とした場合、ラノベでは市場全体のシェアの0.1%を取ると作家の収入が400万円になります……まあ実際には、ここから税金が引かれますが。しかし漫画では、同じ単行本収入を達成するのに必要な市場シェアは、10分の1の0.01%でいい。この意味がわかりますか?」
答えたのは、追田ではなく姫乃だった。
「漫画だったら、よりマイナーな作品を描いてても、生きていける!」
「その通り。これが、多様性を受け入れる余裕がある、ってことです。漫画はそれだけ裾野が広い、ってことなんです」
俺は重ねて力説した。
「……そもそも、市場全体のシェアの0.1%を自分一人で取っても、手取りが400万円を切るなんて、ラノベのゲームバランスがナイトメアモード過ぎる気がするんですよ。そんな厳しい市場って、他にあるんですかね?」
「シェアの大半は一握りのメジャーな人気作が持っていくわけですし、ラノベの新刊点数が年間2,000点とも言われていることを考えると、マイナー作品や新人の作品による残されたパイの奪い合いは、熾烈すぎます」
「まあ漫画家は連載を持つと兼業が難しいのに対して、ラノベ作家は兼業が可能なんで、みんなそこまで深刻になっていないのかもしれませんが」
などと長々と言いつつ、俺は「っていうかですね」とそもそもの話をした。
「こんな数字の話なんか、する必要ないんです。大型書店に行って、ラノベの棚と、漫画の棚を見比べてみればいい。漫画の方が、遙かに多様性にあふれていますよ」
「ラノベは市場規模が小さいから、マイナーな作品を書いていても全く儲からない。それ故に、一度大きなトレンドが出来てしまうと、作家たちは生きていくためにそのトレンドに染まらざるを得ない。結果、同じような作品ばかりになってしまう……」
「もちろん、毛色の変わった作品が出てるか出てないかで言えば、出ていますが、でもあっという間に打ち切られてしまう。だってマイナーは売れないから! 市場規模が小さいせいで! ……そしてこの傾向は、俺たちが十代だった頃から、既に現われていた」
すると、姫乃が「うんうん」ともっともらしくうなずいて言った。
「……ゼロ年代も終盤に入ると、ファンタジーやSFのヒット作が出なくなって、学園ものばっかりになってたもんね……いまじゃ考えられないけど」
俺はそれにうなずき返しながら、さらに続ける。
「……それでも一応、ラノベの市場規模は、狭義のラノベは縮小しているが、広義のラノベを含めれば年々伸びている、と言われている。だから俺は、頑張って書き続けていれば、いつかラノベ市場もマイナーな作品を養えるぐらい大きくなって、俺が書きたいと思うような作品も売れるようになるんじゃないかと……一縷の望みを賭けて書いてきた……」
「でも、ラノベ市場が伸びる早さは遅すぎた……俺が書きたい作品が売れるようになるまで、何年かかるかなんてわからない……その頃には、俺は四十歳や五十歳になってるかもしれないし……もしかしたら死んでるかもしれない……というか、そもそもラノベ市場がこのまま伸び続ける保証だってない……出版業界全体では縮んでるわけだし……さすがにもうこれ以上は待てない……」
そして……俺は年甲斐もなく、涙目になってしまった。
「俺が……俺が本当に好きだったのは、SFなんだよ……」
「俺は……俺は秋○瑞人先生のSF作品を読んでラノベ作家を志したんだ……それなのに……現代物ブームがようやく去ったと思ったら、今度はファンタジー一色とか……どんな仕打ちだよ……現代物の前だって『スレイヤーズ』とかのファンタジーブームだったんだろ……だったら現代物の次に来るのはSFじゃなきゃダメだろ……なんでまたファンタジーに戻っちゃうんだよ意味わかんねーよ……最後にラノベ業界にSFブームが来たのは80年代だぞもうそろそろ来てもいいだろ……いまさらファンタジーなんて書けないよ……いや書いたけどさ……生き残るために、頑張って書いたけどさ……でも大変だったよ……本当に大変だったんだ……」
「ダイちゃん……私が思ってたより、ずっと過酷な世界にいたんだね……」
そう言ってくれた姫乃に、俺は救われたような気持ちになった。
「ああ……俺もデビューした当時は全く知らなくて、数年前に気づいた時は、愕然とした……誰かに教えて欲しかったよ。変な言い方になるが、ラノベ作家が地球人だとしたら、漫画家はサイヤ人ぐらいの違いがあると思う」
「はは……それ言ったら、苦労してる漫画家さんに怒られると思うけどね……私はまだ地球人だし……」
「そんなことないだろ壁サー作家……ラノベの世界では、同人で食べていくなんて夢のまた夢なんだぞ」
「そ、そっか、ごめん……漫画の世界も、不況だとか下り坂だとか言われてるけど、ラノベに比べれば、よっぽどマシだったんだね……でもね、ダイちゃん?」
「うん?」
「この話が始まってから……なんかダイちゃん、怖いよ? お願い、正気に戻って」
「すまない……すまない姫乃……積年の恨みが……つい噴き出してしまって……」
「おお、よしよし……頑張ったよ……よく頑張ったよダイちゃんは……」
すすり泣く俺の頭を、よしよしと撫でてくれる姫乃。ありがとう……ありがとう姫乃……。
……一方、完全に取り残された追田は「なんだこの茶番……」みたいな顔で、俺たちのことを遠巻きに見ながら、何やらブツブツとつぶやいていた。
「……まあ、あんたが売れなかったのは、市場規模の小ささもあるだろうけど……編集部があんたを飼い殺しにするために、宣伝をやってくれなかったり、部数を抑えてたからってのが、かなり大きいと思うけどな……」
が、そんな追田の独り言は、俺たちの耳にはよく聞こえなかったのだった。




