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ナナ先輩とまくら

(確か……二宿、ナナさん?)


 フルネームは知らない。ただ「二宿」というネームプレートを胸にかけ、周囲からは「ナナちゃん」あるいは「ナナさん」と呼ばれている、まくらより二つ歳下らしい少女。

 まくらより三回りは小さな体躯で、細身で軽やかな挙動。当時はまだロングヘアーを後ろで軽く纏めただけの髪型をしていた、二宿菜々香との初めての会話だった。


(なんで急に……というか、マーちゃんって……?)


 同じ店舗でアルバイトをしていながら、まくらとナナにはほとんど接点がなかった。

 勤務時間帯を大学が終わったあとの遅番に設定していたまくらと、早番担当で開店前に来て仕込みとランチ営業を終わらせたら帰ってしまうナナとでは、勤務時間に大きな差があったからだ。

 実際まくらからナナへの印象は、自分よりも前からそこに勤めている年下の女の子、くらいのものだった。


 高校生くらいの年齢らしい彼女がなぜ学校のあるはずの時間帯にも働いているのか、とか。

 彼女が早番の日は妙に夜の営業がスムーズに行くな、とか。

 そういうぼんやりとした興味はあっても直接話す機会は全く訪れず、初めて勤務が被ったのはバイトを始めて2ヶ月ほど経った今日のこと。

 ナナが遅番へのヘルプに入ることになり、朝から晩まで一日中の勤務になったからだった。


「ね、今時間ある? 少し話したいことがあるんだけど」


「……え……いや、仕込み中で……」


「倉本さん、マーちゃん借りていいですか?」


「おやナナちゃん。いいけど、後で仕込み手伝ってよ〜?」


「了解です。じゃあいこっか」


「……えっと……ホールの方は……」


「もう終わってる。ほらほら、そんな時間取らせないから」


 一緒にキッチンで仕込みをしていた倉本さんへ許可を取られ、半ば強引に連れていかれたのは店の裏口だった。


「バックヤードは休憩中の人がいるからここで話そ」


「……それで、あの、なんの用で……?」


 互いに姿を見たことはあれど、今日初めてまともに顔を合わせたという状況で。

 仕事中に突然裏に呼び出されるようなことはしていないはずで……いや、もしかするといつまで経っても成長しない自分を叱るために呼び出したのだろうか。

 そんな風に思考をぐるぐると回転させつつ、まくらは質問の回答を待っていた。


「なかなか上手くいかなくて落ち込んでるみたいだって店長から聞いてさ。この1時間くらい見てたんだけど、こりゃ酷いって思って声掛けちゃった」


「う……ご、ごめんなさい……全然上手くいかなくて」


「え、別に怒ってないよ? むしろ気付いてあげられなくてごめんね。そんな鎧みたいな筋肉つけてて、まともに動かせもしないなんてさ。つらかったでしょ」


「……えっ?」


 さも当たり前のように、自分ではなるべく隠しているつもりの秘密を言い当てられて、まくらは困惑した。

 これまで指摘されたこともほとんどないのに。


「ちょっと後ろ向いて、少しほぐしてあげるから」


「えと……こ、こうですか」


 混乱のまま、つい言われた通りにしてしまう。

 

「うん。じゃあ少し触るよ。めちゃくちゃ痛いだろうけど大声は我慢ね」


「……えっ? 今なんて……ぐぎっ!??」


 そういってナナの柔らかな手のひらが肩甲骨の辺りの筋肉に触れ……その瞬間、背中に激痛が走った。

 とんでもない声が漏れたような気がしたが、気にする余裕もない。


「もう、こんなの凝ってるとかそういうのじゃないよ。筋繊維が癒着してる勢いじゃんか」


「ぐ……ごほっ、ぐぅぅぅ」


 後ろでナナが何か不満そうに声を上げてるのは分かるものの、痛みでまともに声を出すこともままならない。悲鳴もか細く漏れているというレベルで、呼吸に意識を向けるのが精一杯だった。

 身体の中でものすごい異音がしている。ゴリゴリ、グリュグリュと、肉を剥ぎ取られているような痛みとでも言えばいいのだろうか。

 施術としては30秒程度の短時間。肩周りをひと通り触った後、ナナはようやくまくらを解放してくれた。


「ほい、こんなもんでどうかな? だいぶ軽くなったと思うけど」


「へ……? あ……ホント、ですね」


 揉みほぐされた部位はジンジンと痛みを訴えてはいたものの、一瞬だけ翼が生えたような軽さを感じた。


 だが、すぐにその軽さは息を潜め、再びいつも通りの肉体の感覚が戻ってきた。


「戻っちゃい、ました」


「うん、だろうね。ちょっと揉みほぐしたくらいで治るようなもんじゃないよ。マーちゃんの身体がここまで固まっちゃってるのは()()でしかないんだから」

 

 今までに感じたことのないような身軽さに高揚した分落差でがっかりしていたまくらとは対照的に、ナナにとっては想定内の結果だったようで、呆れたような表情を浮かべていた。


「バイト中だから今はこれでおしまい。もしソレが辛くて治したいっていうなら、バイト終わってから声かけて。手伝いくらいはできるからさ」





「へぇ、ナナちゃんにそんなこと言われたんだ」


「はい……」


 営業が終わって締め作業をしている中、手を動かしながらもまくらは倉本さんと会話していた。


「結構珍しいよ、あの子が時間を作ってくれるの」


「そうなんですか?」


「そうなの。本人曰く週に最低140時間は働いてるって言うくらいだもん」


 ん? と思ってざっと計算してみる。

 1日は24時間、週間で168時間が人類に与えられた時間だ。

 そこから逆算すると……。


「……それって、1日4時間しか余暇がないですよ」


「ホントかどうかは私も知らない。けど、あの子が普通じゃないのはちょっと見ただけでわかったんじゃ?」


「それは……はい」


 料理の仕込み、出来上がった料理の仕分け、もちろん提供から注文の受付からレジでの会計にテーブルのバッシングと、基本的に社員にしかできない業務を除けばナナにできないことはないようで。

 だからこそ彼女はホールスタッフもやるし、キッチンスタッフもこなす。その時最も忙しい場所にひょっこり現れては、恐ろしいスピードで作業をこなして去っていく。

 ひとりだけ二……いや三倍速で動いてるんじゃないか。そう思ってしまうほど彼女の仕事は素早く、そして何より正確だった。


 誰よりも動いているけれど、だからといって人の仕事を奪っている訳でもない。手が回らないところだけをサクサクと消化して、自分が動かなくていい時はキッチンの隅っこでニコニコしながら立っているだけだったりする。

 とにかく目端が利くと言えばいいのだろうか。こんなにも楽に働けたのは初めての経験だった。


「早番の子達は毎日こうなんだ。前はナナちゃんも遅番だったからあの子のシフトがある日はラッキーだと思ったもんよ」


「……ちょっと、羨ましいです」


「いつでも元気だし、仕事もできるし、クレーム対応も最強だし、誰と接する時もフラットだし、白糸さんみたいな後輩も面倒を見てくれる。なんであの歳で学校も行かずに働いてるのかわからないくらいできた子なんだよね」


「……学校、行ってないんですか」


「らしいよ。ま、140時間働いてるってのがホントなら確かに学校に通う時間はないけどね」


「……確かに」


 少なくとも8時半頃から16時前後、登校時間を考慮すれば+1時間程度は時間が取られるのが高校生活というものだ。

 もしかすると通信制の高校に行ってるのかもなんて思っていたけれど、140時間の話が事実ならどうやらそれもなさそうだった。


「まー、頼らせてくれるってんなら遠慮なく頼っちゃいな。きっと無駄にはならないから」


「……そうします。ありがとうございます」


「いいっていいって。あ、私と話したのは内緒にしといて。ナナちゃんは気にしないだろうけど、プライバシーに関わることだしさ」


「……わかりました」


 その後、キッチンの締め作業を終わらせた後、ホールの締め作業を終わらせていたナナに声をかけた。

 正確にはとっくの昔に作業を終わらせてキッチン側が終わるまでホールの客席で休憩していたようだが、作業量はひとりでホール締めをしていたナナの方が多いはずなので文句はなかった。


「私はどこでもいいけど、マーちゃんが見られたくないなら場所選びは任せるよ」


 お手伝いをお願いする時にそう言われて考えた結果、まくらはナナを実家の裏山に呼ぶことにした。

 裏山そこは私有地である上、特別山菜などが生えている訳でもないので基本的に人が入ってこない。秘密を保護するにはちょうど良かった。





 二つ返事でOKを貰ったものの、ナナのシフトの調整もあり、初めてプライベートでナナと会うことになったのは三日後のことだった。

 最寄り駅まで迎えに出した車から降りてきたナナを連れて、二人は裏山に入った。

 二人が今いるのは家族でバーベキューなどの簡易なレジャーを楽しめるよう若干切り開いて整えた場所で、周囲には簡素な薪台や薪割り用の丸太なども置いてある。


「ここ、全部マーちゃんの家が管理してるの?」


「……です。管理ってほどちゃんとはしてないですけど、昔からずっとウチの土地らしいです」


「へぇ、すごいなぁ。だから他の人に見られる心配はないってことだね」


 まくらが実家から持ってきた特注レジャーチェアに腰かけながら、ナナは物珍しそうにキョロキョロと周囲を見渡していた。

 小さいとはいえ、山ひとつ所有しているというのは確かに珍しいことかもしれない。


「とりあえず、マッサージに関しては後でね。今あるコリはほぐさなきゃいけないけど、まずは原因をはっきりさせなきゃ」


「う……はい」


 ソワソワとし始めるより早く。

 それこそ、この場に案内してすぐにそう釘を刺された。

 そもそも全身が凝っているという感覚自体がナナにマッサージされて初めて知ったものなのだが、彼女にはどうやら原因までわかっているらしい。


「私が診た限り、マーちゃんの身体は筋肉の付き方がいびつすぎる。外見カタチこそ保ててるけど、左右のバランスも上下のバランスもまるで釣り合ってない。それがマーちゃんが上手く力を出せない根本的な理由だね。よく真っ直ぐ歩けるなぁって感心するよ」


「……筋肉の付き方、ですか?」


「たとえるなら車かな。車のタイヤをイメージしてみて。今のマーちゃんの身体はね、4つ全部大きさの違うタイヤを履いてる車みたいになってるんだよ。三輪車のと自転車のと自動車のとモンスタートラックのが全部別のとこに付いてるみたいな感じね。しかも車軸も折れ曲がってて、動力を伝える歯車もガッタガタ。せっかくとびっきりのエンジンを詰んでるのに、それじゃあまともに動くはずないよ」


 ナナは葉に埋まった地面を軽くかき分けて木の棒でイラストを書きながら、今のまくらの身体の状況を説明してくれた。

 ボロボロ……なんてレベルじゃない。もはや車としての体を成していない。子供の作る粘土細工でも遥かにマシだろうと思えるくらい、ぐちゃぐちゃに歪んだ車の姿がそこにあった。

 

「なんだろうねぇ……外見が整ってるのが割と神秘だけど、とにかく今のマーちゃんはこれくらいの状態にあると思って」


「……直る、でしょうか?」


「わかんない。この絵で言う車体自体の歪みみたいな外から直せる分は私が直してあげるけど、タイヤの大きさやら歯車のめ直し……つまり筋量を増やしたりパワーコントロールをできるようにするのはマーちゃんの努力次第かな」


 本音を言えば、直ると断言して欲しかった。

 けれど、ナナの言葉はできることとできないことがはっきりと示されていて、何よりもまくら自身の努力がないと達成できないからこそ「わからない」と言ったのだろう。

 それでも、自分の頑張り次第で改善できるかもしれない。そう思うと少し気が楽になった。

 同時に今まで感じていた疑問が思わず口から溢れ出た。


「……私みたいな人、知り合いにいたりしますか?」


「ん? なんで?」


「いや……詳しいなって、思いまして」


「ああ……うん、何か見せた方が早いと思うんだけど……おっ、ちょうどいい感じの丸太があるね。ちょっと見てて」


 ナナはそう言って薪割り用の丸太に近づいて、何やら少し触ってから戻ってきた。

 戻ってきたナナの手には木片のようなものが握られていて、少し考えてからまくらは思わず丸太の方に目をやった。

 視線の先、先程ナナが触っていた丸太には案の定ごっそりとえぐり取られたような痕が付いていた。


「そ、それ……もしかして、あそこから?」


「うん。抉り取ってきた。マーちゃんできそう?」


「いや……皮をむしり取るならできると思いますけど、あんな風には……」


 ナナが触れていた丸太には、綺麗に貫かれたような指の痕が残っていた。

 木の表皮を上手く掴んでむしり取るのとは訳が違う。ナナはあの密度の木材を指で貫いて、内側から無理やり抉りとったのだ。

 それはつまり、ナナは自身の指を樹木に()()()()()ということに他ならない。


 人間業じゃない。少なくとも常人を遥かに超える筋力を有するまくらでも、絶対に不可能だと言い切れる。

 筋力の問題ではない。DIYで使うような薄板ですら、常人であればドリルを使って穴を開けるのだから。パワー以前に人体の耐久からして無傷でできることではないはずなのだ。

 まくらも踏ん張って思い切り力を入れれば丸太から木片をむしり取ることくらいはできるだろうが、突き刺して抉りとるというのは物理的に不可能だった。


「…………ナナ先輩、って、なん……ですか?」


 思わず、本当に思わず漏れ出た疑問に。



「さあ?」



 そのたった二文字の返答に、一瞬だけ背筋が凍った。


 超人じみた体質に産まれ、ほとんどいいことも無く苦しめられて生きてきて、何度自分を化け物だと自嘲したかもわからない。

 そんなまくらの目から見て……いいや、そんなまくらだからこそわかってしまう。


(……私なんかより、遥かに化け物)


 触れずともわかる。

 常人より多少『近い』身体を持っているからこそ、片鱗を見るだけでまくらは十分に理解できてしまった。

 目の前の少女が、自分なんかを遥かに超えた怪物だということを。

 その事実を知って怯え……そして同時に、安心した。


(この人に比べれば、私なんて普通の範疇だ)


 有り得ないほどの力の塊。まくらの身体に宿るパワーなどコレに比べれば小指の先程もないのではないか。

 まくらには目の前の生物が、どうして()()()()()()()()()()()収まっていられるのかがわからなかった。

 けれど同時に、自分が案外人間の枠に収まっているような気がしてホッとした。

 それはミオスタチン関連筋肉肥大という病状が判明してから歩んできたこれまでの人生で、初めて得られた安心感だった。


「とりあえず、しばらくは裏山ここで身体の使い方のトレーニングと、筋量をならすためのトレーニングね。全部終わったらマッサージがてら全身のコリもほぐしてあげるから、マッサージできる場所は後で教えて。流石にこんな地面で寝転がりたくないでしょ。……あ、それとこれあげる」


「……なんですか、これ?」


 テキパキと今後の予定を決められていく中、渡されたのは一本の栄養バーだった。コンビニで見掛けるような健康食品に比べるとふた周りは大きく、重さもずっしりとしたものだったが、見覚えのないパッケージの商品だった。


「燃費悪いでしょ? 私はカロリーだけで動けるけど、マーちゃんはちゃんと栄養取らないとダメだよね? 体調悪かったり緊急の時用にこういうの持っとくといいよ。これ一本で1000キロカロリーと、タンパク質もいっぱい取れるから」


「……見たことないです。どこで、買えます?」


「近場だと○○駅前のホークスポーツかな。通販や店頭では売ってない裏商品で、店員さんに……」


 ホークスポーツって確か有名なスポーツ用品店だったよな、なんて思いながらナナに言われた内容をスマホにメモしていく。

 何やら店頭で「合言葉」を伝え、渡された用紙にいくつかの個人情報を記入し、審査を通過すると店内の在庫検索用端末で使える特殊な生体認証コードを貰えるらしく、ソレを使って通販でのみ手に入れられる裏商品のようなものらしい。


「……なんでそんなこと知ってるんですか?」


「知り合いのお店だから」


「……なるほど」


 超高カロリーの栄養食。病院でいくつか「緊急時におすすめの食べ物」や「携帯しやすくて栄養価の悪くないお菓子」などは教えてもらっているし、実際常備してもいる。

 ただ、こんなド級のカロリー爆弾みたいなものは初めて見た。


 まくらは異常な代謝能力のせいで、頻繁に食事をしなければ動くこともままならない。バイト中も休憩の度に何かを口に入れているほどだ。

 先ほどのセリフやこの栄養バーを知っているという事実からして、恐らくナナも似たような特徴は持っているのだろう。

 なにか理解しているわけではないけれど、まくら以上の力を発揮できるその身体が通常の代謝で済むはずもない。

 そしてどうやらナナは、まくらが今苦しんでいるところをとっくの昔に通り過ぎていて、まくらの知らないこともいっぱい知っているらしい。


「かなりお高いから買う時は気をつけてね。同じカロリーを取るだけなら菓子パン2~3個食べた方が絶対安く済むから、あくまで食べるのが辛い時とか緊急用とか、あとは運動でいつもよりエネルギーを使う時にね」


「……そこは大丈夫だと思います。何度か使ってみて、良さそうであれば両親に相談してみます」


「そっか、お金持ちだったね」


 辺り一帯の大地主。名実ともに実家がお金持ちなのは確かなため、そこを否定する気はなかった。


「まずはごく短時間の運動に慣れようか。怪我しないようにサポートしてあげるから、思い切ってやってみようね」


 何はともあれ、ぼーっとしていても何も変わらない。

 こうして、ナナとのトレーニングの日々が始まった。

・鷹印のDXカロリーバー

味はチョコ味一択。タンパク質と脂質のカロリー爆弾。

もちろん幼少期のナナのために開発されたもの。

成長するにつれて要らなくなったが、一部に需要があるので商品化された。ナナは常に数本常備しており、今回はそれを持ってきた。

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[一言] 欲しい‼️
[良い点] いつもとても面白い話ありがとうございます!! これからも頑張ってください。ただし!健康には気をつけて、無理しないでください。これからも応援しています! [気になる点] 面白く、違和感なく読…
[一言] 文字通り絶対強者を見たら自分はまだ一般よりって自覚出来たのは大きいや
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