正常な特異体質
ミオスタチン関連筋肉肥大、という病気がある。
とても簡単に言うと、筋肉の成長を抑制するミオスタチンという物質が上手く作られない・または効きにくい体質になってしまうことで、ものすごく筋肉が発達してしまう症状のことだ。
普通であればだいたい常人の1.5倍から2倍ほど。見た目もとても筋肉質になる人が多いと言われている。
一見すると良いことのように思えるこの病気は、実際には大きなデメリットを孕んでいる。
例えば基礎代謝が異常に高くなってしまって脂肪が蓄えられず、常に大量の食事を必要としたり。
筋肉を維持するために多くの食事を食べなければならず、同じく大量に消化・代謝することで臓器に負荷がかかったりと、メリットばかりの体質ではない。
その釣り合いに関しては個人の感覚次第ではあるが、少なくとも傍目から見たデメリットは十二分に存在するのだ。
更に厄介なことに、この症状は野生の動物でも発症する。そして、その性質からエネルギーをまかないきれず成長不良や餓死で終わってしまうケースがほとんどなのだと言う。
人間も、野生動物も同じだ。飽食の時代にたどり着いた今でこそ救える命だが、栄養をまともに取れない時代においてはある種の不治の病ですらあったのかもしれない。
(そんな話が、どこまで正しいのかは知らないけど……)
白糸まくらは先天的なミオスタチン関連筋肉肥大患者だった。
それも特異体質の中でも更に特異。筋量にして3倍を超える驚異的な肉体を持って生まれてしまった、正真正銘の超人だ。
その筋量は医者から「人の形を保っていられる理由がわからない」とまで言われるほどだった。
その異常に膨大な筋肉を身につけながら、そのシルエットが「女の子にしては相当ガッチリとした体つき」程度で済んでいる理由は、その筋肉の密度にあった。
普通の人の肉体を人が少ないガラガラな電車だとすると、まくらの肉体は満員電車のような状態とでも言えばいいのか。
それが常人とまくらの身体の違い。筋肉の密度が桁外れに高いことでギリギリ人の形を保っている代わりに、まくらの体重は見た目からは想像できない桁外れの数値を誇っていた。
幸運にも……と言うべきなのか、不幸にも……と言うべきなのか。
まくらの肉体はその膨大な筋肉量を支えるように成長することができてしまった。
多くの筋肉を支えるために非常に骨太な体型となった。
常人を遥かに上回る代謝量。そのための大量の食事を消化できるように頑強な胃腸を手に入れた。
全身に血液を送るために非常に高い血圧が常態化し、それに耐えうるように血管も効率よく頑丈に成長した。
同じように、とにかく異常な肉体を支えるように異常な成長を遂げた。成長することができてしまったのが、白糸まくらという少女だった。
一見大きく見えるバストサイズは発達した胸筋の現れで、弾力こそあれど母性的で柔らかな脂肪の塊ではなく。
まくらにとってはある種のコンプレックスであるムキムキの肉体を見られたくないから、常にシルエットを隠せるようなダボッとした服を着て、猫背の姿勢を取るようになった。
それによって周りから太っていると勘違いされることが増えたが、はっきりいって好都合だった。異常なマッチョ体型だとバレるよりはよっぽど良かったからだ。
しかし幸運にも、まくらは生まれに恵まれた。
とある大地主の家の三女として産まれたおかげで、産まれてから一度も金銭的な問題を抱えることがなかったのだ。
これはまくらにいくつかの明確なメリットをもたらしてくれた。
まず、莫大な食費を余裕を持って賄えたこと。
とにかく代謝の高いまくらは、常人の比にならないほどよく食べる。ひとりで何人分ものエンゲル係数を稼ぐため、もし貧乏な家に生まれていれば苦労したことだろう。
学校を選ぶ点でも有利だった。体質と付き合っていく関係上、最低でも幼少期から高校まではエスカレーター式の私立校に通うのが好ましく、しかしそれは相当な学費を必要とするということでもある。
まくらは特に祖父母に愛されており、融通を利かせてもらうために二人が「寄付」した金額は相当なものだった。
おかげでまくらは入学を断られることも無く、卒業まで万全のサポート体制を敷いてもらうことができていた。
他にも、小さな恩恵は数え切れないほど。
人や環境に大いに恵まれた人生だと、まくらは自分でもそう感じていた。
ただ生まれ持った特異体質だけが、まくらにとって大きなハンデとなっていた。
筋量が多いということは、それだけ強い力を発揮できるということ。そして満ち足りた栄養はより強靭な肉体を造り上げ、事実としてまくらには極めて高い身体能力が備わっていた。
ただし、それは瞬間的な出力の話。
多くのエネルギーを消費する筋肉のせいで持久力に乏しい。
また、関節や腱の耐久性も常人に比べれば頑丈とはいえ、筋肉の重量と出力に追いつけていない。
まくらの身体は極めて高い出力を誇りながら、それを十分に発揮するための耐久性を有していなかったのだ。
それに加えて、「身体能力が高いこと」と「それを制御する才能」は全く別の話だった。
まくらにはその類稀な肉体に相応しい身体能力があり、その肉体を十全に活用できるだけの高い反射神経まで持ち合わせながら、絶望的に運動神経が欠けていたのだ。
物を掴んだり、握ったり。歩いたり、走ってみたり、殴ってみたり、蹴ってみたり。
そんな当たり前の動作の全てが自然にできない。
力の自然な使い方がわからない。
ほんの少し気を抜いただけで力を出しすぎてしまう。
そんなまくらにとっての日常生活とは「力を入れすぎないようにひたすらふんばり続ける」ことだった。
医師は親身になって診てくれたものの、如何せんミオスタチン関連筋肉肥大はあまりにも症例が少なく、まともな診察をできる病院はほとんどなかった。
常人と比べて異常な数値が出ていても、どこまでが正常でどこからが問題なのかを判断しきれない。
辛うじて見つけた医師もまくらの悩みを解決するには至らず、「高すぎる身体能力の制御」などという門外漢のリハビリテーションを求められ、それっぽいものをどうにか捻り出すしかなかった。
結局病院でできたのは定期的な経過観察と、「日常生活を送れる範囲の力加減を覚えさせること」だけ。
成長するにつれて力加減を覚え直さなくてはならないこともあり、まくらは随分と不自由な生活を強いられた。
(辛くはないけど、窮屈ではあったな)
何事もそっと触り、その後に慎重に力を入れるものだから、彼女の動作はとにかく遅かった。
何をするにもノロマだったし、自然な力み方がわからないから雑で不器用な結果になる。
徒歩での移動、瞬きや排泄といった生理現象、毎日の食事、それから文字を書くことと勉強。
まくらがほとんど意識せずにできる作業はこんなもので、それ以外は万事が万事ノロノロと生きていた。
それでも、学生の間はそれほど苦労はしなかった。
不器用でノロマでも悪事や問題は起こさなかったし、大きくて力持ちなことが活きたシーンもなくはなかった。
男子顔負けの体格はイタズラこそ呼び込んだものの、ふとした拍子に力加減を間違えて文房具を壊すところを見られる度に、そういうイタズラもなくなっていった。
それに、まくらは勉強が好きだった。勉強のためなら文房具や教科書を壊してしまっても怒られたりはしなかったし、ゆっくりとでも真面目にやっていれば褒めて貰えたからだ。
そうやって不器用ながら真面目に生きて、優しい家族と少しの友人に恵まれつつ大学生になって。
まくらは初めて、自分の抱えた問題点に気がつくことになる。
☆
大学に入ってからは比較的放任されるようになった。
まくらには二人の兄姉がいて、白糸家は御家としては既に跡継ぎとなる男子を得ていた。
まくら自身は特異な体質からそう言ったことには期待しても酷だろうと半ば諦められていたため、家に縛られることもない。
大学に入る頃には日常生活は十分送れるようになっており、延々と続いていた機能訓練も進展がないからと落ち着きを見せていたこともあって、自由な時間が一気に増えることになった。
大学はそれほど多くの課題を要求される場ではなく、日々の授業を真面目に受け、不定期なレポート作成などをこなしていれば単位の取得も問題ない。
そうして空いた時間を持て余し始めたまくらを見て、母が提案してきたのがアルバイトだった。
「本当に仕事が見つからなければ農業の手伝いをすればいいけど、そんなのいつだって出戻りできるんだから。若いうちは色んな仕事をしてみた方がいいと思うな」
(確かにそうかも)
母の言葉に納得して、家から少し離れた飲食店のアルバイトに応募してみた。地主の家の子ということもあり、まくらは地元ではそこそこ有名だったからだ。
面接はボロボロだったものの、あっさりと採用された。そうして大学二年生からまくらの初めてのアルバイト生活が始まった。
「白糸さん、もう少し料理の仕込みを素早くすることはできないの? 遅くて丁寧ならまだいいけど、白糸さんの場合は遅いし雑なの。上がり症だからってキッチンに入れてもらってるのに、いつまで経っても成長しないんじゃ困るのよ」
未だに一字一句忘れられない、ベテランのパートタイマー唐松さんからの言葉。今でもたまに夢に見る。
いや、彼女の言うことに間違いはないのだとまくらも理解はできている。正論過ぎて耳が痛いからこそ今でも覚えてしまっているだけだ。
遅くて雑。まさにその指摘こそ、まくらの人生そのものだったからだ。
何をするにもそう。与えられたタスクをこなすのに時間がかかる。
時間がかかってしまうのがわかっているから、まくらは足りない結果を時間と量でどうにか埋め合わせて生きてきた。
これまではそれで良かった。学校というものはある程度生徒に寄り添ってくれる場所で、支えてくれる友達もいて、エスカレーター式の学校で長期間過ごす中で周囲もまくらの特徴を理解してくれていたからだ。
けれど、社会ってものはいつだって「制限時間」が決まってて。
給料というものは「時間」に対する「成果」で貰うものだと気づいた時、まくらは底なし沼にハマったような気分になった。
自分だけが時間を使って、自分だけが疲れるならいい。
けれど、店舗という共同体の中では、まくらの足りないところは他の店員が補わなければならなくなる。
最初は「それでも初心者だから」「経験不足だから」で済まされていたことが次第に不快感や徒労感に変わっていき、最後には爪弾き者として扱われる。
優しい人がいない訳では無い。手伝ってくれる店員だって沢山いる。けれど同時に、無駄な負担をかけられて気に食わないという人もいる。
(ああ、そっか。私って社会に向いてないんだ)
視野を広く持てば活躍できる場はいくらでもある。
けれど、まだ社会という大海に飛び込んだばかりのまくらは、身につかない技術と出せない成果、成長を感じられない日々に厳しい叱責を受ける苦しみから、そんな結論に辿り着いてしまった。
その矛先がそもそもの原因である自身の特異体質に向き、ひいてはそんな体質に産んだ両親さえ恨むようになる……そんな負の連鎖に入っていく直前だった。
「マーちゃんって不器用さんなんだねぇ」
「……マー……え?」
調理をするまくらの手元を覗き込んで納得したように頷く、ひとりの少女に出会ったのは。
4年と12日前なので当時ぎりぎり17歳!
まくらは5月生まれなので20歳になってます。





