ある意味死ぬより危険な状況
「せっかくの才能をあえて使わずに過ごすなんて、もったいないと思わない? だからこうして気付けたはずの脅威を簡単に内側に入れてしまうのよ?」
背後を取られ、急所も抑えられている。
完全に詰んだ状況で、それでも私はメルティの言葉を否定した。
「……思わない。少なくともここは、安全地帯だし」
「あら、そうなの。戦うのは好きなくせに悪戯に力を振るうのは好みじゃないのね。そういうところも酒呑にそっくり」
軽く手を握れば私の首なんて簡単に抉り取れる。それだけの力なんて当然のように持っているはずだ。
そうしないのは、殺す気がないからだろう。
威圧の意味での殺意はある。でも殺す気はない。
何なら私の反応を楽しむためだけに軽く狂気を向けてきただけかもしれない。
どう対処したものか動けずにいると、不意に気の抜けるような声が下の方から聞こえてきた。
「メルティ、あんまり若い子をからかっちゃダメよ」
よいしょっと、なんて若干ジジくさいセリフを言いながらメルティの影からのっそりと這いずり出てきたのは、ボロ布を一枚だけ纏ったような姿の女性。
一応上からローブを羽織ってるから様にはなってるけど、かなり精巧なゴシックドレスに身を包んだメルティとは対照的に、酷くみすぼらしい見た目をしていた。
「リィン、起きてたの?」
「今起きたの。そしたらメルティが鬼の子を虐めてたから出てきたのよ」
呆れたようにそういうリィンさん? は私の前に来ると、私の首にかけられていたメルティの手をひっぺがそうと手をかけ……。
「ふんぬぬぬぬぬぬぬぬっ」
全身の力を振り絞ってもなお、全く歯が立たない様子だった。多分、筋力値の差が絶望的な程あるっぽい。
そんな彼女の姿を見て、背後にいるメルティは呆れたように嘆息していた。
「バカなの? ううん、ごめんなさい。リィンはバカだものね」
「バカで悪かったわね! とにかくこの手を離してあげなさい……!」
「はぁ……わかったわよ。もう、こんなのただの演出じゃない」
リィンという女性の言葉に興が削がれた様子で、メルティはあっさりと私の首を解放してくれた。
ただの演出。まあ、世界最強とまで言われるNPCな訳だから、箔付けとかそういうところでこういう演出を見せてくるのはおかしなことでもないのかな……?
「実際に会うのは初めてよね、スクナちゃん! 私はリィン。メルティとは……まあ腐れ縁ってとこ」
「リィン……さん? でいいですか」
「わあ、いいわねその呼び方!」
ただの「さん付け」がよっぽどいい響きに聞こえたのか、リィンさんはルンルンと鼻歌でも聞こえてきそうなくらい、ぱぁっと表情を輝かせた。
ちょっとの会話でわかる。この人、眩しいくらい陽の人だ。
それだけになんでこんなボロ布一枚の姿をしているのかとか、さっきは気付かなかったけど全身に残ってる噛み跡とかがすごい気になってきた。直接怪我の跡が残ってるNPCって珍しいから。
というか、この人の姿は配信に映して大丈夫なのかな。
えっちな画像とか映すとBANされるって聞いたことあるんだけど。
「この私を前にしてそこまでリラックスできるなんて、本当に大した胆力ね。貴女達のそのぼやぼやしたところ、癪だけどちょっと似てるわ」
少し不機嫌そうにふんぞり返っているメルティの言葉に、私はハッとしてそちらを向いた。リィンさんは未だにえへえへと嬉しそうにしていて、正直びっくりするくらいぽやっとした人なんだなと思った。
「おバカのせいで余興は台無しになってしまったけれど、まあいいわ。今日は貴女に用事があって来たのよ」
「用事?」
「イリスがわざわざ私を派遣するほど大切な用事よ。リィンは別に要らないんだけど、私が外に出る時はいつも付いてくるのよ」
「イリス……創造神イリスのこと?」
「ええ、その認識で合ってるわ」
「ちょっと! 聞き捨てならないんですけど!? 私が付いてきてるんじゃなくてメルティが無理やり連れて……むぐっ」
「リィンはちょっと黙ってて。話が進まないでしょう」
原理は分からないけど、メルティが指をすっと水平に動かしたら影が触手みたいになってリィンさんを縛り付けた。
ただでさえ薄着なのに全身を触手に絡め取られてしまって、なんだかやけに扇情的になってしまった。もう一歩間違えれば見えちゃいけないところが見えちゃいそうなくらい。
『マズイですよ!』
『えち?』
『このままじゃZ指定』
『BANされちゃうぅぅぅぅ』
『突然のBANチャンスで草』
『モザイクはよ!』
「ちょ、ちょっとポジション変えるね」
会話中は基本的にカメラの画角はメインで話してる人を映すようになってる。
微妙にリィンさんが映りそうになってたのでポジションを変えようとする私を見て、メルティは最初に不思議そうに首を傾げた後、納得したように頷いた。
「? ああ、そういうことね。ごめんなさい、つい癖でいつもみたいにしちゃって。配慮が足りなかったわ」
「いつもみたいに……?」
なかなか聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたけど、そこに突っ込む前にメルティの足元の影がぶわっと広がって、そのままリィンさんを飲み込んでしまった。
影が消えた後には跡形も残っていなかった。飲み込まれる前にちょっと泣きそうな顔をしてたのはなんでだろう。
「わっ、今の大丈夫なの?」
「あの子が這いずり出てくるところは見てたでしょう。私の影はそれなりに大きな空間になってるのよ。インベントリとは違って時間の経過は止められないから、貴女たち風に言うなら動かせるマイホームってところね」
メルティはそう言って、影から日傘を取り出して見せてくれた。影の中に空間とはまた厨二心をくすぐるワードだ。
日傘を取りだした理由は、やっぱり吸血種だからだろうか。少し文字は違うけど、吸血鬼と言ったら日光が苦手なものだもんね。
「やっぱり日光は苦手?」
「とっくの昔に克服しているわ。これもイメージ戦略の一環ってところね。世界最強の肩書きを背負うとそれなりに周囲の視線には気遣うものなのよ」
「意外と世知辛いな……というか、案外気さくなんだね。もっと傍若無人なんだと思ってた」
「否定はしないわよ。私は私の好きに生きているし、そこで障害になるなら排除するもの。私を気さくだと感じるのならそれはスクナ、貴女の存在が私にとって心地よいというだけの話ね」
「まあ、リィンさんには割と容赦なかったしね……」
影に収納されてしまったリィンさんを縛る速度を見るに、割と頻繁に行われてることなんだろうし。
あそこまで気兼ねなく騒げる時点でメルティがリィンさんに対してどれだけ気を許しているのかはわかった。
「それにしても、メルティは配信のことをわかってるんだね。これが配信用の端末だって知ってる人はそれなりにいたけど、こっちのルールまで言及してきたのは初めてかも」
「それは私が特別なだけよ。今日の用事のついでに、貴女を含めた全ての旅人に対して幾つか情報を流してあげる。そうね、まずはひとつ『特別』を見せてあげましょうか」
メルティはそう言うと、日傘を閉じてから先端でトントンと地面を叩いた。
「『Code:000129』」
その瞬間、世界の色がひっくり返った。





