最期の記憶
《リザルト:《憤怒》の侵食を解除しました》
《リザルト:デッドスキル《憤怒の暴走》を停止します》
《リザルト:バッドステータス《呪い:鬼神の侵食》が付与されました》
《システム:デッドスキルの使用者の死亡により、カウンセリングシステムを起動します》
☆
「あれ……?」
琥珀の手によってHPを全損させられた私は、リスポーンすることなく謎の白い部屋へと送られていた。
真っ白な部屋に椅子が二脚、向き合うように置かれている。正面には扉があって、でもそれだけだ。私はその椅子のうちのひとつに座らされていた。
アバターはデッドスキルを解いた時と変わらず、全身がひび割れたような黒い線に侵されていた。
「失礼します」
「イリス?」
「ええ、そうですよ旅人スクナ。つい先程出会ったばかりですから、それほど時間も経ってはおりませんが」
扉を開いて入ってきたのは、ナビゲーターのイリス。
今回のイベント中、全プレイヤーのセーフルームにてアイテム交換を担当していたNPCであり、普段はチュートリアル担当でもある修道女のようなキャラクターだ。
彼女は私に向き合うように椅子に座ると、大きなメニューカードのようなものを取り出した。
「ここはカウンセリングルーム。本来は私の世界を揺蕩う異邦の旅人の中で、一定の感情値を超えた者を慰撫するための空間です」
「本来なら?」
「そうです。貴方が発動したデッドスキル《憤怒の暴走》とは本来、異邦の旅人が発動することを想定して作られたものではありません。本来ならば発動した時点で感情値が異常値に達し、ほとんどの旅人は元の世界に魂が送還されるようになっているはずでした」
「ほとんど......ってことは、返されない条件があるんだね」
「はい。詳細は省きますが、簡単に申しますと《憤怒の暴走》を発動してもなお精神が崩壊しないほどの感情値受容能力を持った旅人に関しては、元の世界への送還が行われません。貴方の場合は受容できる時間が5分だったのです」
丁寧に説明してくれてるイリスには悪いんだけど、今の私は全く頭が働いていない。
彼女の説明を聞いても、ぼんやりとした反応しか返せなかった。
「今あまり頭を使える感じじゃないんだけど……結局、イリスは何しに来たの?」
「カウンセリング、と言うよりは確認です。感情値の鎮静化及び正常な思考を取り戻せていなければ、しばらくの間来訪の制限をかけさせていただくことになっています。旅人スクナ、貴方は両方共問題はありませんが……デッドスキルの影響を考慮し、2日程来訪を制限させていただきます」
つまりアレか。精神に異常をきたしていないかチェックしに来たってことか。
もしかしてそのでかいメニューカードに、私のステータスの状態でも書いてあるんだろうか?
しかもイリスがあまりゲームらしい用語を使わないからわかりづらいんだけど、多分2日間ログインできなくされるっぽい。
まあ、私もちょっと疲れちゃったし、2日くらいはほとぼりを冷ましたほうがいいように思う。
「……うん、それでいいよ」
「また来訪してくださることを祈っています、旅人スクナ。私の世界を守ってくれてありがとう」
表情が変わる訳ではない。けれど、確かな感謝の気持ちは伝わってきた。
ほんの5分程度の短い邂逅だった。
私の世界、か。
そうだ。すっかり忘れてたけど、お金の単位にもなっている「イリス」という名前は……この世界の創造神の名前なんだ。
☆
実質的な強制ログアウト処置を受けた私は、VRマシンの上でぐったりと横たわる。
疲れた。すぐにでも寝落ちしてしまいそうな程に、今の私は疲労している。
「でも、今は……」
確認するべきことがある。
隣のマシンに人影はない。つまりリンちゃんは既にログアウトしているということだ。
逸る気持ちを抑える。
あれはゲーム内での出来事だった。そんなことは私にもわかってる。
それでも。それでも。目の前でリンちゃんが死んだ、その光景が頭から離れない。
部屋を出て、廊下を歩いて。
リビングの扉を開いた。
「リンちゃん!!」
扉を開けた先には、いつものようにリンちゃんが居る。
ソファに座って、タブレット端末を弄っていた。
目頭が熱い。
両親が死んだあの日から初めて、私は自分の涙腺が緩むのを感じた。
「あ……」
暖かいものが頬を伝う。
涙が溢れるのが分かった。
死んでないって分かってた。
それでも、涙が止まらなかった。
「おかえりなさい、ナナ」
「うん、うん……!」
扉の前に立ち尽くして、溢れる涙を抑えられずにポタポタと零す私を見て、リンちゃんは優しく微笑んだ。
ソファから立ち上がって、私を包み込むように抱き締めてくれる。
あったかい。私が欲しかった熱が、今確かにここにある。
「思い出せたのね」
「ぐすっ……うんっ」
「もう大丈夫?」
「うんっ!」
語彙力の欠片もない。
ただただ嬉しいという感情だけが全身を支配していた。
いつだってそうだ。
どんな時でも、リンちゃんは私を見守ってくれている。
見えるところで、見えないところで、私を支えてくれている。
本当に暖かい。抱き締めてくれるその優しさが、ただただ心を満たしていた。
「ふふ、そしたらご飯にしましょうか。お腹減ったでしょ?」
「うっ……」
そう言われて、確かにお腹が減っていることに気が付く。
長い時間ゲームに潜っていたからかなぁ。
使徒討滅戦の前からずっとゲームの中にいたんだし。
そんな折にタイミング良く私のお腹がグゥと鳴ったのもあって、リンちゃんは軽く噴き出した。
「……もう少し」
それでも、私はご飯よりも優先したいことがあって。
「もう少し、このままで居させて」
「……了解しました、お姫様。少し、ゆっくりしましょうか」
これはわがままだ。
だけどリンちゃんは許してくれる。
リンちゃんは微笑みを崩さぬまま、私の背中をそっと優しくさすってくれた。
☆
「全部思い出したよ、リンちゃん。あの日のことも、あの日より前のことも……あの日から今日までのことも」
ソファでリンちゃんと隣り合って座りながら、私はそう話を切り出した。
「……つらい?」
「ううん、もうつらくないよ。でもさ、リンちゃん。少しだけ話したい気分なんだ。あの日あったことを、リンちゃんには知ってて欲しいの」
「ええ、話してちょうだい。ずっと待ってたんだから」
ツンと私の頬をつついて、リンちゃんはそう言って微笑んだ。
私の両親は事故で死んだ。それは紛うことなき事実だ。
けれど、私があの日何もかもを失って記憶を閉ざしてしまった理由は、ただ両親が死んだからではなかったのだ。
「雪の日だったよね。あの日はすごい寒くて、お父さんもお母さんもとても寒そうにしてた」
私は寒さや暑さをほとんど感じないので、2人が寒そうにしてたのを見ていただけだけど。
手袋をして、マフラーをつけて、それでも寒いような一日だった。
「リンちゃんも知っての通り、お父さんとお母さんは同じ日が誕生日だったでしょ? だから、毎年毎年、その日だけはリンちゃんと離れて2人と過ごしてた。家族の団欒って言うのかな。私はお父さんもお母さんも大好きだったから……2人が繋いでくれた手がとっても暖かくて、すごく幸せだったんだ」
思い出したおかげで、あの日の温もりを、喜びを再びこの手で握り締められる。
お父さんとお母さんとの最後のお出かけ。それはとても幸せで、寒かったのに暖かくて……それがどうしようもなく嬉しかった。
でも。悲劇というのは突然人を襲う。
「幸せだったから……気付けなかった。見落としちゃったんだよ。2台のトラックがね、スリップして突っ込んできてたの。私は、2人を、助けようとして……」
ゴクリと唾を飲み込んだ。息が途切れる。あの日の光景がフラッシュバックして、どうしようもなく体が震える。
「ナナ、落ち着いて。焦らないでいいから、ゆっくり話して」
「……ありがと、リンちゃん」
そんな私を、リンちゃんがゆっくりと撫でてくれる。
あの日と同じ熱を感じて、徐々に動悸が収まっていった。
「気付いた時には、もう間に合わなくなってた。それでもね、リンちゃん。私が犠牲になって、2人を押し出せば! ......お父さんは、お母さんは、助かるはずだったの……。だけど……! だけど……」
言葉が続かない。
何があったかはわかってるのに、つらくて言葉にできなかった。
ただ、そんな私を見て、リンちゃんは全てを悟ったのだろう。
悲しそうな顔で、核心をついてくれた。
「そう……ご両親は、ナナを助けてくれたのね」
「そう、なの」
そう。
あの時、2人は回避不能のトラックを前に、私をその軌道上から押し出したのだ。
そんなことをしたら、2人とも生き残れないってわかってたはずなのに。
私を助けるために、その命を使ってしまったのだ。
そして、届かない手を伸ばして、私は2人が死ぬ瞬間を間近で目にしてしまった。
私が壊れかけるほどに苦しんだ最大の理由は、2人を助けられなかったことじゃない。
2人に助けられて、自分だけが生き残ってしまったことだったのだ。
「2台のトラックに挟まれて、2人とも即死だったと思う。今思えば、痛みだけはなかったのかもしれないなぁ……」
そうであると思いたい。
そうでなければ、あまりにも救われない。
「それで、ね。私は、運転手の2人を、殺してしまいそうだった。けど、その2人もね。お父さんたちと同じで、その場で即死してたんだ」
「ええ、そうだったわね。事故の原因は完全なスリップ、死亡者4人、全員即死の悲惨な事故だった」
そう言って目を伏せるリンちゃんに、私は苦笑を返した。
きっと、リンちゃんはあの事故の後、作為的なものではないかとか、そういったことを徹底的に調べていたんだろう。
そして、鷹匠の家の力全てを使ってそういう結果が出てしまった。
つまりアレは、本当に偶然。ただの偶然だったのだ。
「どうしようもないくらいの怒りと、崩れ落ちちゃいそうなほどの哀しみと……そして、その2つの行き場さえその場でなくなっちゃって」
そして、私は雪の中でひとり。
「壊れちゃった」
心が壊れて、記憶を閉ざして、感情を忘れた。
そこまでして、私はかろうじて「私」を保った。
「バラバラになった自分をかろうじて拾い集めて、私は私っぽいナニカを作り上げた。仮面を被って、普通の人らしく生きようとした。それが私。それこそが、私」
それでもあの日から6年以上、私はそうやって生きてきた。
リンちゃんと離れて、何とかひとりでやってきた。
それまでずっとべったりだったリンちゃんと離れていた理由は、怖かったから。
リンちゃんを目の前で失う悲しみに耐えられる気がしなかったから。
隣で守った方がいいって分かってるはずなのに。
それでも、あの時の私の世界にはリンちゃんしかいなかった。
その喪失に耐えられないと、無意識に確信していたのだ。
「でもね、今になってわかったよ。壊れてなんかなかった。生まれてからずっと、私は私のままなんだよ。まあ、私はずっとそのつもりで生きてきたから、今更といえば今更かな」
「そうね。ちょっと性格が変わったりとか、そんなのは誰にでもある話だもの。そもそも昔からナナは怒ったりしなかったしね。昔よりずっと自分の意見を言えるようになって、むしろ成長したくらいよ」
「あははは、確かに」
昔の私はずーっとリンちゃんの後ろにちょこちょこ付いてくだけの腰巾着だったからなぁ。
無口で無表情で、人形みたいだって言われたことも数えきれないくらいある。
それでも、あの頃はあの頃で幸せだったのだ。
リンちゃんと一緒にいれて、トーカちゃんもいて、お父さんとお母さんがいて、リンちゃんの親戚がいて。
とても幸せな日々を過ごしていた。
あの頃にはもう戻れない。
両親の死は覆らないし、私の性格も随分と変わった。リンちゃんとの関係だけが変わらずに残っているけれど、それ以外は何ひとつ、変わっていないものはない。
でも、もういいのだ。
私は一番思い出すべきだった記憶を、ようやく思い出せたんだから。
「……リンちゃん、私ね。やっと思い出したんだ。2人とも、最期は笑顔だった。笑顔、だったんだよ……」
死の間際に。
2つのトラックに押し潰されそうになっていたのに。
それでも2人は、私に向けて微笑みを向けてくれていた。
最期の最期まで、お父さんとお母さんは私を愛してくれていた。
「お父さん、お母さん、私はもう大丈夫だから」
2人はきっと、私の幸せを願ってくれていた。
そして、さっき私を助けてくれた「私」のことも、もう閉じ込めることはない。胸の中で今なお柔らかな熱となって、私を満たしてくれている。
だから、もう迷うことも忘れることもない。
隣にはリンちゃんがいて、私が今ここにいる。
こんな私を、ずっと陰ながら支え続けてくれていたリンちゃんがいるから。
「リンちゃん、ありがとう」
その時の私はきっと。
今までで一番の、最高の笑顔を浮かべていた。
3章の本編はここまでです。
次回から諸々を挟み、4章に入ります。





