49 終わりはいつも突然に
ざくっざくっ。
聞き飽きた足音が、山脈端の斜面を響く。
"グゴー、グゴー……"
しかしブリザノスめ。でっけえイビキだ。
視界が真っ白でも、進むべき方角は一瞬でわかるな。
「ぬわぁん、ウチ疲れたわぁ!」
「ククク……吹雪がバッチェ冷えているゾ。」
「おい、フタバ。二人に変な言葉を教えるな。」
「うおw ギルド長先輩やりませんねスギィ!」
"ゴスッ!"
かなり強めに頭を殴られた。これが日本のブームだと言っても、全然理解してくれない。
「おっと、赤髪チャン。前方にギガント・オーガの魔力を感じる。こっちを狙っとるで。」
「ん、了解だ。」
"ガンッ!バギィッ!ドグシャアッ!!"
ギルド長が隊列から外れた途端、槍で戦っているとは思えない音が響く。
視界が悪くて助かったな。どうせグロいことになってるだろうし、敵の悲鳴まで聞こえる。
「それにしても、マク姉さんはすごいですね。魔力で敵を感知できるなんて。」
「ふふん、自分はエルフ族の中でもいちばんの天才やからな!魔力係数が53万もあるで!」
もはや、この2人がいれば勝ち確じゃん。山より大きなブリザノスだって、雷撃でイチコロだろう。
どうやら私の抱えていた悪い予感は、思い違いだったらしい。
「状況終了だ。フタバ、この魔石も預かってくれ。」
「……これで100匹目ですよ。なんかエンカウント率が高くありませんか?」
私達はここまでに、異常な数の魔物に襲われている。無人の領域へ侵入している要因もあるだろうけど、それを考慮しても戦闘数が多すぎるぞ。
「ノス山脈に生息していた魔物達が、棲み家を失い逃げてきたんだ。きっと奴らも混乱しているのさ。」
「なるほど。いわゆる『スタンピード』というやつですね、ギルド長。」
「ちょっと何言ってるか分からない。」
「なんでだよ。」
これ以上ないほどの的確な表現だろうに。
いきなり会話をぶん投げるのはやめてもらいたい。
「そういや赤髪チャン。1週間前にフェンリルが樹海へ現れたっちゅうのも、山脈が消滅する予兆だったのかもしれへんな。」
「ちょっと何言ってるか分からない。」
「なんでやねん。」
マク姉さんが言いたいのは、犬やカラスが地震をいち早く感知するみたいなアレだろう。
近年に多様化したという樹海の生態系は、大災害の前座に過ぎなかった訳だ。
"ヒュオォォォォ……"
「あれ?ちょっとだけ、視界がマシになったような気がします。」
「みたいやね。風の音も弱くなっとる。」
歩みを進め、土砂と雪の混じった尾根に立つと──次第に吹雪の勢いが落ち着いていく。
雪の渦がほどけるように薄れ、数十メートルほどの空間が開いた。
「ギルド長の予測は正しかったみたいですね。冷気自体はどうにもなりませんけど、いずれ視界の問題は改善されそうです。」
「え……?私そんなこと言ったっけ?」
「次にボケたら槍で貫きますよ。」
おそらく彼女は、戦闘の疲労で頭が回っていないのだ。
ここまでずっと『行動時間<2倍>』による支援無しで、彼女は連戦を重ねている。その負担は相当なものだろう。
「ク……クククのク……」
「なあ、まずいで。クレミちゃんの魔力が落ちてきとる。」
しかし、最も消耗が激しいのはギルド長じゃない。
一番シンドイのは、ここまでずっと≪保温魔法≫を発動し続けているクレミだ。
私の腕時計に仕込まれた温度計は、"摂氏マイナス43度"を記録している。
そんな環境に身を置いて細胞が壊死せずにいられるのは、彼女が頑張っているおかげなんだ。
「赤髪チャン、そろそろ落ち着ける場所を見つけんと。」
「分かってる。最初に使ったような洞窟があると良いんだが、こういう時に限って遭遇しないな……」
先程から私達は、クレミを安全に休ませれる場所を探していた。
消費された魔力というのは、睡眠や精神統一でしか回復できないためだ。
そして、彼女が休んでいるその間は──≪保温魔法≫なしで"摂氏マイナス43度"の環境に放り込まれることになる。相当に深い洞窟を発見しないと、強烈な冷気から生存することはできないだろう。
「ククク……すべてはチョコレートのため、究極の甘味のため……あーしは命を燃やすぞ……!」
本当に辛そうだ。クレミは強がっているが、かなりの疲労が見て取れる。
ゲームと違って『MPの枯渇』は、まさに生命力を削っている状態なんだ。
「くそっ、私も『体温<2倍>』が使えれば……」
転生特典が使えるのは、一度に一つだけ。
そんな致命的な弱点のせいで、私はクレミに何もしてあげることができない。
「フタバ。気持ちは分かるが、お前はブリザノスを寝かしつけることに集中しろ。」
「ウチらには、この後の出番がちゃんとある。今はクレミちゃんを応援してあげよ。」
「でも……このままじゃ……」
今のクレミを例えるなら、トイレに行きたいのにサービスエリアが見つからない状態だ。
これが長引くと、いろいろ大変なことになってしまう。
「ごめん……着替えは用意してないんだ……」
「盟友。あーしに対して、なにか失礼なこと考えてないか?」
「───みんな止まれ!!渓谷だ!!」
突然、前衛を務めるギルド長が腕を広げて私達を制した。
その数十メートル先は、地面が抜け落ちたかのような大穴が形成されている。
「うへぇ。こんな不気味な場所、地図にありましたっけ?」
「いや、私も知らない。なんだこれは……」
まるでブラックホールだ。白い世界にぽっかりと開いたその裂け目は底が見えず、覗き込んだ瞬間に吸い込まれそうな錯覚を覚える。
「たぶんここは、最初にブリザノスが起き上がった場所やね。吐き気がするほどの魔力痕が
残っとる。」
「じゃあ私達は、相当近くまで来たってことですね……」
「そうだな。間違いなく、この渓谷沿いにヤツはいるぞ。」
視界も段々と広がってきているし、決戦のときは近い。
心臓がバクバクしてきた私は、生唾をごくりと飲み込む。
「でも、ここはアカンわ。奴さんの魔力残滓がデカすぎて、他の脅威を感知できん。」
「そうだな。別ルートを探しつつ、クレミが休める場所を探すぞ。」
「ククク……ご足労おかけします……」
ギルド長は踵を返して、後方にいる私達の方を向いた。
いずれにせよ、この地形を追跡するのは難しいだろう。一歩でも足を踏み外せば、あの世行きだ。
「ん……?」
「どうしましたか、ギルド長。そんな目を細めて。」
「───全員伏せろッ!!」
"ウグガァアアアアッ!!"
一瞬だった。
霧の中から飛び出してきた大狼の牙。それがマク姉さんの死角を襲う。
"ガキィィィィンッ!!"
重く鈍い音。ギルド長の握る赤い槍は、マク姉さんを守り抜いた。
「全員私から離れッ──!?」
「ひぃあぁぁぁぁ──!!」
……なぜ、こんなに不幸が重なるんだ。
フェンリルと共に、ギルド長とマク姉さんが巨大な渓谷に落ちる。
崖が許容できる重量ではなかったのだ。
足場が一瞬で崩れて。2人は声を残す間もなく、真っ暗な闇へと吸い込まれた。
「えっ……ぁ……」
「ど、どうしてこんな……」
残されたのは、私とクレミだけ。
先程まで談笑していた彼女らは、もういない。
……ああ、駄目だ。
彼女達がここから助かる方法を必死に模索するが、その全てが潰されてゆく。
仮に二人が落ちた先へ、地下水があったとしても── この高さでは着水の衝撃で死んでしまう。
スライムの魔石を持っていたとしても、生身の垂直落下ではどうにもならない。
(バカな……そんな筈はない。こんなの、あっけなさすぎる。)
しかし。頭にフラッシュバックするのは、お母さんの理不尽な最期。
あの時と同じだ。お別れする暇もなく、手を握る事すらできなかった。
(……そうか。また私は、掴み損ねたのか。)
2人へ伸ばしたはずの両手は宙で止まり、風が指先を這うように吹き抜けていった。




