ジョアンナのサプライズ
コミックス2巻の発売を記念して、SSを投稿します。
本編の39-40話頃のお話です。
(コミックス派で小説のネタバレNGの方は、漫画の14話くらいを読み終わってから、お読みください)
やわらかな春の日の光が、カーテン越しに部屋を照らし始める。
少しずつ明るくなっていく部屋の中で寝返りを打ったジョアンナは、まぶたをこすりながら目を覚ました。
ぼんやりと瞬きをしながらゆっくりと起き上がり、毎朝の日課である【ログインボーナス】の画面を出す。
「ふぁ……」
口から小さなあくびを漏らしながら[ログイン]を押すと、いつも通りに『ログインチケットが1枚』と『コインが10枚』が手に入る。
そのまま画面を閉じようとして、右上にある[×]に指を伸ばしながら、ジョアンナはあることを思い出した。
「そういえば、今日はヴィンセント様はいないんだわ……」
ケルヴィンから当主としての仕事を教わっていることもあり、最近の彼はいつも忙しそうだ。
領内の視察や魔の森への遠征などで、数日屋敷にいないことも多い。
おとといの朝、ヴィンセントは騎士団を率いて魔の森へ出発した。
戻りは、明日の午後の予定である。
「今日はこのまま[ガチャ]も回そうかしら?」
そう呟いたジョアンナはガチャ画面を開き、[スタート]を押した。
上下左右に並べられた4枚のカードは、右回りに1枚ずつ順番に光っていく。
その動きを見ていると不思議と心が弾み、少し沈んでいた気持ちが浮上する。
ジョアンナは光の動きを目で追いながら、「ここだ」と思うタイミングで[ストップ]を押した。
光は徐々に速度を落とし……下のカードの所で止まると、画面が強く光った。
「わっ!」
思わず声を上げて、ジョアンナは目を見開いた。
いつもの[ガチャ]では、画面がこんな風に光ることはない。
[ストップ]を押すと、手に入れるカードの所で光が止まり──画面が光ったりせずに──すぐにカードがめくられるのだ。
今日、手に入れるはずのカードは色が変わり、輝きだした。
「これはっ!」
この現象にジョアンナは覚えがあった。
前に二度ほど、同じことが起こったことがあるのだ。
いつもと違って輝きだしたカードを下から照らすように、何度か光が点滅してからカードがめくられた。
ジョアンナの予想通り、出てきたカードは光り輝いていて、真ん中に『R』の文字がある。
この不思議な現象は、[ガチャ]でR以上のカードが出るときに起こるものである。
初めての時は、何が起きたのかわからずに驚いたものだ。
「えっと……、『バロンタ』?」
カードの上部分には、黒い楕円の絵が描かれていて、真ん中に『R』の文字。
その絵の下には「バロンタ」と書かれている。
「バロンタって、何かしら? 初めて目にする言葉だわ」
自分の記憶を探りながら、カードを見つめていたジョアンナだったが。
カードが消えて[ガチャ]を回す前の画面に戻ったことで、ハッとする。
「あっ! お義父さまに報告しなくては!」
最近は[ガチャ]も自分の好きなタイミングで回し、出た物も好きに使っていいことになっている。
しかし、ジョアンナの知らない物が出た時は、ケルヴィンへ報告して指示を仰ぐことになっていた。
ジョアンナはケルヴィンへの手紙を書くために、机に向かった。
その日の午後。
セリーナとのお茶の席で、バロンタの正体は判明する。
教えてくれたのは、もちろんセリーナだ。
今日、[ガチャ]で出たバロンタとは、果物であった。
ジョアンナたちの暮らすエビロギア王国から、いくつかの国を越えた先にある西の国──デオタリス。
バロンタはデオタリスでのみ生息する木から穫れる、果物なのだそうだ。
収穫量が非常に少なく、あまり市場に出回らない。
そのため、とても高価でデオタリスでも一部の裕福な人だけが口にできるのだという。
ケルヴィンとセリーナは、新婚旅行でデオタリスを訪れた際に食べたことがあるらしい。
その時にケルヴィンがバロンタをえらく気に入り、なんとか手に入れようとしたそうだ。
しかし、残念ながらそれは叶わなかった。
二人がデオタリスに訪れた時期は、バロンタの収穫時期の終わった後だったのだ。
旅行中に一度だけでも、バロンタを口にできたのは幸運だったのである。
「懐かしいわ……」
セリーナはどこか遠くを見つめながら、静かにそう呟いた。
彼女にとって新婚旅行で思い出すのは、ケルヴィンが瞳を輝かせてバロンタを食べていた姿なのだという。
そんなセリーナと話しているうちに、ジョアンナはある考えが頭に浮かんだ。
今日は早朝に屋敷を出たらしいケルヴィンに、ジョアンナが書いた手紙は届いていない。
……と、いうことは。
まだ彼は、ジョアンナがバロンタを手に入れたことを知らないのである。
「お義母さま。食事の後にバロンタを出して、お義父さまを驚かせませんか?」
「まあ! 素敵ね! やりましょう!」
セリーナは瞳を輝かせて、満面の笑みを浮かべた。
それから二人で相談し、決行の日は明日の夕食後に決めた。
明日の午後、魔の森から戻る予定になっているヴィンセントにも、この計画は秘密にすることになった。
楽しそうに相談する二人の姿はそっくりで、側に控えていた侍女たちの顔には柔らかい笑みが浮かんだ。
翌日の夜。
数日ぶりに全員が揃った食堂では、絶え間なく楽しげな話し声が響いている。
いつもより賑やかな夕食を終え、いよいよ食後のデザートの時間である。
全ての皿が下げられて、デザートを乗せたワゴンが食堂へ入ってきた。
ワゴンの上の皿には、銀色の蓋がかぶせられている。
ジョアンナの心臓はドクンドクンと、大きな音を立てている。
思わずセリーナに目を向けると、彼女は片目をパチリと瞑り小さく微笑んだ。
その隣では、ケルヴィンがヴィンセントと楽しそうに話している。
――わー! ドキドキする。お義父さま、喜んでくれるかしら?
ジョアンナは落ち着かない様子で、水をひと口飲んだ。
そして、同じタイミングで全員の前にバロンタを乗せた皿が置かれた。
「っ!」
なんの気なしに皿に目を向けたケルヴィンは、信じられないもの見る目でバロンタを見つめている。
しばしの間、動きを止めていた彼は、目を見開いたまま顔を上げた。
その様子を見ているヴィンセントは、不思議そうに首を傾げている。
セリーナは澄ました顔をしているが、その瞳は楽しげな色を帯びている。
「これは……、バロンタ?」
あまりに驚いた様子のケルヴィンに、セリーナが種明かしをした。
「[ガチャ]で昨日手に入ったと?」
「ええ。ジョアンナがお義父さまにプレゼントして驚かせたいって、言うから……」
「お義母さま!」
まん丸の瞳でケルヴィンに見つめられ、ジョアンナの顔はパッと赤くなった。
「懐かしいでしょ? あなた。さあさあ、食べてみて」
全員に見守られながら、ケルヴィンはカトラリーを手に取った。
真っ白な皿の中央には、小さなガラスの器。
その中には、青い色の球のような粒がいくつも輝いている。
小指の先ほどの大きさのその粒――ひとつひとつが、まるで宝石のような美しさだ。
ケルヴィンは、慎重な手つきで丁寧にバロンタをすくう。
「…………懐かしい味だ。美味しい」
静かに咀嚼していたケルヴィンは、柔らかく微笑み静かに呟いた。
その幸せそうな表情を見ただけで、喜んでもらえたことが伝わる。
嬉しくなったジョアンナは、セリーナと目を合わせて満面の笑みを浮かべた。
「ふふふ。この味。懐かしいわ」
「ああ」
「ねえ、あなた。覚えてる?」
楽しそうに新婚旅行の時の話を聞かせてくれる、セリーナとケルヴィン。
仲睦まじい二人の話に耳を傾けながら、ジョアンナとヴィンセントは幸せそうに微笑みあった。
本日11/26(水)、紙版のコミックスの2巻が発売しました!
11/23(日)に一足早く発売された電子版も、多くの方が読んでくださり感謝しています。
今年は家庭の事情や様々なことが重なり、小説を書く余裕が全くなかったのですが……
夏の終わり頃から、また筆を取り始めました。
来年は、皆さまに作品をお届けできるように頑張りますので、引き続きよろしくお願いいたします。




