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狼領主のお嬢様  作者: 守野伊音
第二章
33/70

33.あなたと私と名前のない店Ⅲ





 いつまでも下を向いているわけにはいかない。けれど、茹で上がってしまった頬の熱はなかなか下がらない。

 困ってしまった私は、奥から人が出てくる気配に慌てて顔を上げた。このきっかけで勢いをつけなければ、ずっと顔を上げられなくなってしまうと思ったからだ。




 ぱっと顔を上げた視界に映った存在に対し、最初に感じたものは既視感だった。

 てっきりナモンが戻ってきたのだと思ったけれど、彼は一人の青年の後ろから人数分の飲み物を乗せた盆を持ち、そぉっと移動している。ならば、彼の前を歩いている人が、彼の師なのだろうか。

 それ自体が宝石のような青く美しい平箱を持っている青年は、カイドと同じ程か、少し年下だろう。少し癖のある波打った銀髪に、青い瞳。その青い瞳が流れるように私達を見ていき、見開かれた。見開かれた青年の目は、まっすぐにカイドを向いていた。

 カイドを見れば、特に驚いた様子はない。けれど、軽く肩を竦めている。

 青年は、深い深い溜息を吐いた。


「ナモン、お前……よりにもよってな相手を招き入れたな……」

「え?」


 首を傾げる弟子には答えず、青年はまっすぐに前を向いた。


「弟子が世話になったようで申し訳ありません。ライウス領主、カイド・ファルア殿」


 カイドは、店の関係者は私の知り合いではないかと言っていたけれど、どうやら彼の関係者のようだ。どこかで会ったことがあるような気がしたのは、きっと気のせいだろう。だって、私の持っている記憶の中にいる宝石商にも宝石職人にも、彼の記憶はない。そもそも、若すぎる。

 私達と取引をしていた人は皆、経験を積んだ人々ばかりだった。カイドと前後するほどの年齢であれば、あの頃はまだ子どもだったはずだ。ならば、店に出てきてはいないだろう。そうなると、知り合うことは難しくなる。特に、昔であればなおのことだ。


「領、主……?」


 ナモンは、驚きで目を見開いた拍子に傾いてしまった盆を慌てて平行に保とうとしている。ジャスミンとサムアも、ガラスの箱越しに身を乗り出して手を伸ばし、盆を支えていた。三人がかりで支えた盆が、戻ることも進むことも出来なくなっている。



「やはり、お嬢様の関係者でしたね」

「え?」


 耳元でそっと囁いたカイドに驚く。けれどカイドは、それ以上は何も言わず、ある意味三竦みになってしまっている三人の中心にある盆をひょいっと持ち上げた。


「ありがとうございます、旦那様!」

「すみません、旦那様!」

「あ、りがとうござい、ま、す、領主、様?」


 三者三様の反応をもらったカイドは、盆を片手に持ち直した。


「ガラスの上に置いていいのか?」

「あ、すみません! そっちのテーブルの上にお願いします!」


 並ぶガラスの箱に遮られたナモンは、慌てて台が途切れた隙間からこちら側に出てくる。その頃には既に、カイドによって指定されたテーブルの上に盆が置かれていた。

 呆然とお礼を言ったナモンは、カイドを見ながらじりじり後ずさり、ジャスミンとサムアの間に収まる。


「……ライウスの領主様って随分気さくなんだね。そこいらの貴族様よりよっぽど話しやすいって相当だよ…………」

「でしょでしょ!? 私達の旦那様、すっごく優しいんだよ!」

「流れるように手伝ってくださるから、ほんと申し訳なくなるくらいになー……」


 恐らくこっそり話しているつもりなのだろうけれど、三人の会話は私達に届いていた。カイドは苦笑しつつも視線を向けないので、聞こえない振りをしてあげるつもりなのだろう。

 両手が空いたカイドは、それを組み、軽く壁に凭れた。その視線の先にはナモンの師がいる。





「さて、十五年ぶりか?」


 十五年。その歳月に、子ども達は目を丸くする。恐らく彼らは、その長さに驚いたのだろう。だが、私に広がったものは長さによる驚きではない。十五年という歳月は、特別な意味をはらむ。あの、全ての終わりであり始まりを、名前をつけられぬ感情を知っているのは、私達だけでいい。


「……覚えていらっしゃったのですか」

「今更口調を取り繕わなくて結構だ。それに、あの用件で来た人間は全員覚えているからな。さすがに十五年経てばいろいろ変わるもんだが、面影を覚えるのは得意なんだ。さて、フェンネル・ニオンだったな。偽名でなければの話だが」


 フェンネル・ニオン。頭の中でその名前を繰り返す。やはり、聞き覚えはない。

 王城へ向かう準備として昔の記憶を洗い直しているので、知っている名前は思い出し直しやすくなっているというのに、名前にも家名に覚えがない。だというのに、カイドは私の関係者だといった。家族の知り合いだろうかと考える。母や祖母はよく宝石商を屋敷へ呼んでいたけれど、宝石商達はあの屋敷に子どもを連れては来なかった。自分の子どもは勿論、見習いや下働きの子ども達もだ。


 カイドは彼のことを面影で覚えているといった。ならばカイドは会ったことがあるのだ。もしかして、彼を取り次いだのがカイドだったのだろうか。


 記憶をひっくり返すことに夢中になっていた私は、視線を感じてはっとなる。青年は、私と同じようにじっと私を見ていた。その顔に、少し不快が滲んでいることに気づく。

 初対面の相手を凝視してしまった。初対面でなくとも、あまり凝視しては失礼だ。自分の非を謝罪しようとしたが、その前に青年は一つ溜息を吐き、ガラスの上に青い箱を置いた。静かに置かれたからか、音はほとんどしない。


「……本名だ。俺には、名を偽るような後ろめたいことはない」

「まあ、そうだろうな」


 取り繕わなくてもいいと言われ、その場で口調を変更できる人は多くないのが現状だ。だが、フェンネルはあっさりと口調を、恐らくは普段使っているであろうものへと変更した。

 二人とも、笑顔どころか愛想の欠片もない表情と声音だ。一度私からずれていたフェンネルの視線が、流れるように戻ってくる。じっと見つめられると少し困ってしまう。さっき同じ事をしてしまったことを更に申し訳なく思った。


「はじめまして、シャーリー・ヒンスと申します」


 当たり障りのない簡単な挨拶をした私に、名乗りを返してくれたフェンネルは私を見つめたままだ。徐々に怪訝そうになっていく顔つきを不思議に思って見上げる。


「……失礼だがどこかで会ったことが?」

「……いえ、私は生まれてから十五年間、ライウスを出たことがございません」


 一瞬ひやりとしたが、彼はそれ以上追求することはなかった。

 追求されないことはありがたかったが、彼の言葉は聞き流せないものだ。やはり、会ったことがあるのだろうか。もう一度記憶を探るが、やはり名に聞き覚えがないし、面影を辿ることも難しい。そもそも、十五年前に会った子どもの姿を覚えているカイドが尋常ではないのだ。

 だが、そうはいっても、そのカイドが彼を私の関係者と言った以上、そのまま流してしまうわけにはいかない。

 フェンネルの視線が私から外れた隙に、頭の中で情報を組み立てる。少年。子ども。宝石職人。王都。分かっている情報を頼りに、くるくる記憶を回す。名にも顔つきにも、髪の色でさえ覚えがない。


『――――です』


 それなのに、何かがちらりと過った気がした。だが、その記憶を追いかける前に上げられた声により、ぱっと意識が散る。




 ぴりっと散った不穏な空気に飛び上がったのはジャスミンだった。さっと顔色を悪くすると、慌てて距離を詰めてくる。


「ご、ご歓談中失礼します! すみません! 私がお話を伺って気になってしまって、旦那様はそれに付き合ってくださっただけで、あの、だから、申し訳ございませんでした帰ります!」


 深々と、折れそうな勢いで頭を下げたジャスミンに、カイドとフェンネルはぽかんとした。ジャスミンの勢いに面食らったのだろう。必死な少女の前で、二人は動きを止めた。それをどう取ったのか、ジャスミンは更におろおろとうろたえる。

 それを見て、カイドが慌てて口を開いた。だが、先に言葉を発したのはフェンネルだった。


「……いや、弟子を善意で助けてもらったこと、感謝している。ありがとう、助かった」

「い、いえ、こちらこそ、ご無理を言って申し訳ございませんでした! でも、嬉しいです! 凄く気になっていたんです!」


 言葉通り、ぱっと満面の笑みで顔を輝かせたジャスミンに、フェンネルはかすかに微笑んだように見えた。それは、彼のことをあまり知らなくても、悪い人ではきっとないのだろうと思うには充分なものだった。


 場の空気がふっと緩んだことに肩を落としたサムアの横から、ナモンが師の横に場所を移動する。


「あの、お師様……ライウスの領主様とお知り合いだったんですか?」


 そぉっと窺ったナモンの問いを、フェンネルは彼に視線を向けないことで閉ざした。彼らの師弟関係がどれほど続いているかは知らないけれど、決して仲が悪いようには見えない。それなのにナモンが知らないと言うことは、答えたくない問いだったのだろう。どちらにしても、ライウス出身の私達がいる場で答えるつもりはないだろうと思った。

 だが、なぜだか私と目が合った途端、酷く奇妙な表情になった。何か奇妙な物を見るような目をした後、そんな自分を信じられないと疑うような、そんな顔を。


「十五年前に一度だけ会った」


 しばしの沈黙の後、ぽつりと、本当に静かな返事が落ちた。最低限の情報を伝えただけという短い返事に慣れているのか、ナモンは驚きはしなかった。そこで途切れたフェンネルに何かを告げようとした彼の言葉は、そしてと続けられた師の言葉でごくりと飲みこまれた。


「俺の誓いと願いを絶った男だ」


 静かに紡がれた言葉は、深く深く落ちていった。




 平坦な声は、部屋の空気を陰らせた。けれど、カイドもフェンネルも気にした様子はない。

 その時ふと、ふと思った。これが十五年の歳月なのではないかと。二人の間に何があったかは分からない。それは私に関係することなのか、関係しないことなのかも分からない。けれどきっと、十五年前ならばこんな風に陰りを流すことは出来なかったのではないだろうか。

 傷がある。十五年前、ライウスに関わっていた沢山の人についた傷だ。傷の大きさも深さも、傷がつくに至った子細も様々で、私がそれを知ることはないのかもしれない。だが、そのどれもが、最初からこれほど静かに語られる物ではなかったかもしれないということは分かる。まして、十五年経った今も抱えているような傷なら尚更だ。

 私が停滞し続けた年月を、進み続けてきた人達がいる。それを今、改めて目の当たりにしているのかもしれない。

 本当は、傷など跡形もなく消えてしまえばいいと思う。癒えて、消えて、蟠りなど霧散して、誰もが幸せであればいいと。けれど、ずっと蹲り続け、ようやく前を見ることが出来ただけの私がそんなことを願うのは、きっとおこがましいことなのだろうとも、思うのだ。











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