第二十二話 ズールー
7442年6月4日
もう転移してきてから一㎞くらいは進んだろうか。ここまで一本道で迷う要素などどこにもなかった。
どのあたりが「迷宮」なんだろう?
こんなことを思っていると、遂に分かれ道に行きあたった。
一つはそのまま前方に伸びる幅の広い洞穴。もう一つは右に折れる幅2~3m程の狭い洞穴だ。
「これから先、万が一強敵に出くわして後退することを考えたら、今日はこのまま広い方を進もうと思うが、どうだろう?」
ゼノムにそう聞いてみると、
「そうだな。どちらにしろ今日は時間を制限しているし、無理することはないだろうな。俺もアルに賛成だ。このまま進もう」
と返事が返ってきた。ゼノムに賛成して貰えるなら、大丈夫だろう。ゼノムは続けて、
「糸はどうする? この様子だとここでは必要ないように思えるが……」
うん。確かにここにはいらないんじゃないだろうか? そう思って返事をしようとしたら、
「念の為、糸を準備したほうがいいと思う。この先すぐまた分かれ道になるかも知れないし」
ラルファがそう言った。なんだ、えらく慎重だな。だが、慎重過ぎて困ることもあるまい。
「そうだな。まだ初めてだし、ここは慎重に行こう。いらないようならまた回収に戻ればいいさ」
俺がそう答えると、ゼノムは早速ボビンを取り出して分かれ道の手前で適当な石を見繕い始めた。
ゼノムが石に糸を結びつけている間、右の細い方の分かれ道の奥を鑑定の視力を使って覗いてみたが、特に怪しいものは見当たらず、数十メートル先で左にカーブしていることが分かっただけだった。
糸の用意が終わるとまた俺とズールーを先頭にして用心深く前進を続けた。
・・・・・・・・・
糸を五回継ぎ足すまでの間、分かれ道は三つもあった。
俺たちは出来るだけ幅の広い洞穴を選んで進んできた。罠も落とし穴が一つあったが、上手く気づくことが出来たのは上出来だった。地面の微妙な差に気づかないと発見出来ないのは辛い。
少しづつ慎重に歩を進めないとどんな罠に嵌るか想像出来ないのが神経を擦り減らす。
因みに、発見した落とし穴の脇にはまた前回のように回収したノールの槍を突き立てて置いたので、帰りは幾分楽だろう。
更に前進する。
また新たな分かれ道だ。
今度は十字路状に三方向に道が分かれている。
前方に続く幅の広い洞穴の他は幾分幅の狭い左右へと伸びる洞穴だ。
だが、十字路以外にも今までの分岐と異なる点を発見した。
分岐している道の脇に直径30cm程の、洞穴内ならどこにでも転がっているような石があるのだが、その石に糸が結わえ付けられていた。
糸は俺たちが使っているような木綿の糸で、見たところそう新しいものではないようだ。
「どう思う?」
俺は誰とは無しに聞いてみた。
「普通に考えるなら、俺たち以外の冒険者のパーティーがこの先にいるんだろうな」
ゼノムが答えた。
「ですが、この糸は結構汚れています。その冒険者のパーティはまだ生きているのかが問題でしょう」
ズールーがしゃがんで糸を観察しながら答えた。
「なら、決まりね。この糸の先を追ってみようよ。全滅してたら装備を手に入れられるかも」
ラルファが元女子高生とは思えないような提案をした。
まぁ俺も同じ考えなんだが、全滅してたら普人族や亜人の死体に出くわすことになると思うんだが、平気なんかね?
あと、墓泥棒の真似事になるんだけど……それはいいのか。迷宮での目的の一つでもあるんだし。
「よし、じゃあこの糸を辿ってみようか。上手くすればラルファの言う通り装備が手に入るかも知れないしな」
俺がそう言うと、全員で古い糸を辿って右に折れる洞穴を進み始めた。
糸は途切れることなく続いている。
糸があるからには少なくとも落とし穴などの罠は糸の下には無いのではないだろうか。
俺がそう言ってみるとゼノムは、
「いや、油断はできんだろう。この糸自体が何らかの罠であることも考えられる。今まで通り慎重に行ったほうがいいと思う」
と答えてくれた。
確かにその通りだ。
俺たちは今まで以上に気を引き締め、神経を尖らせてそろそろと進んで行った。
幾つかの角を曲がり、分かれ道を糸を頼りに進んでいく。
長いな。
もう一時間ほどが経つ。
1km弱は進んだのではないだろうか。
この間、自分たちの足音やちょこちょこ話す話し声以外の物音は殆どしない。
たまに何かの叫び声が小さく響いてくるだけだ。
そう言えば、地下にこんなに大規模なトンネル群が掘られているが、空気穴のような換気装置は全く見当たらない。
空気はどこから湧いてくるんだろう? ふとそんな考えが頭をよぎった。
今はどうでもいい(いや、良くはないが)ことを考えながら進んでいると、洞穴の先に何やら広い空間があるのが分かった。洞穴を折れ、30m程先で床以外の天井や壁がなくなっているのだ。
糸はその空間に続いている。何となく嫌な予感がする。ここは俺が先頭に立つべきだろう。そっと足を速めると先頭に立った。簡単なジェスチャーで俺の後をついて来いと指示する。
俺は鑑定を使って見える範囲内のもの全てに(と言っても洞穴のサイズより少し広いくらいだが)視線を動かす。
石のようなものや奥に壁らしきものがあることは分かった。天井も洞穴よりは少し高いようだが見えないほどではない。
慎重に目玉を動かして少ない視界範囲をスイープする。
と、洞穴の壁に視界を遮られる右隅に人工的なものが目に映った。思わず鑑定してしまった。
どうやら剣のようだ。
【ブロードソード】
【鉄】
【状態:良好】
【加工日:9/6/7440】
【価値:97500】
【耐久:480】
【性能:100-150】
【効果:無し】
二年くらい前に作られたもののようで、比較的新しいと言えるだろう。
他には何かないか?
更に慎重に見回す。何かの柄のような細長いものがある。
【槍】
【オーク材・鉄】
【状態:良好】
【加工日:30/3/7441】
【価値:45800】
【耐久:324】
【性能:50-160】
【効果:無し】
他にはここから見える範囲だと何も見つからなかった。
視界を広げるためには前進する必要がある。
だが、前進するとこの武器の持ち主を、二度と武器を持てなくした相手に出くわす可能性も否めない。
出来ればその正体を鑑定しておきたい。モンスターなら強力な相手かも知れないし。
うーん。
だが、息を殺して少しづつ前進してきたとは言え、俺たちに何かが襲いかかってくる様子は窺えない。
この空間には既に生き物はいないのではないだろうか?
ゼノムに相談したいが、声を立てるのはまずい。
ひょっとしたらまだ気付かれていない可能性もあるし。
俺はそっと振り返り、ラルファやゼノム、一番後ろのズールーの顔を見つめると頷いた。
再度前方に向き直り、そろそろと足を擦らせてじわじわ前進を開始する。
数メートル進むのに何分を要したのだろうか。
あまりの緊張に額に玉の汗が浮かび始める。
視界が広がるたびに新たに鑑定を重ねていく。
やはり以前の冒険者たちの成れの果てのようだ。
そして、それとは明確に異なる生き物の気配。
何か重い袋でも引きずるような音が小さく聞こえる。
音の主はまだ視界に入っては来ていない。
この期に及んで視界に入ったら鑑定すべきか、すぐさま魔術で攻撃すべきか決まっていない自分に腹が立つ。
死体が残っていて死亡直後であれば生前同様に鑑定出来るからここは攻撃すべきだろう。
そっと銃剣のフォアグリップから左手を離し、いつでも魔術を放てるように力を抜いておく。
足を擦らせながら少しづつ前進する。もう目の前に広がった空間まで10mもないと思う。
幅2m程の洞穴の出口から見える範囲は大分広くなったとは言え、まだ先に広がる空間の左右の壁は見えない。
奥行は多分50mくらいだろう。
左右の壁までの距離がわからないので、闇雲に氷漬けにもできない。
一度でも視線が通らないと土や氷の元素は出せないのだ。
心なしか音は少しだけ大きくなったように思う。
こちらから近づいた分大きくなったのか、向こうが近づいてきているのか、その両方か。
この音はモンスターが発する移動音なのだろうか?
だとすると動きは鈍いのかもしれない。
いやいや、普段は鈍いだけで戦闘になったら俊敏になると思っておいたほうがいい。それに、音の感じからして結構大型だろう。
確実にノールやゴブリンのような二足歩行する小型のモンスターではない。
洞穴の出口まであと5m。音はまだしているが、遠ざかっていく様な気もする。
判断がつかない。
視界はかなり広くなった。
最初の二本以外にも武器や盾が転がっている。
だが、死体やそれに類するようなものは見受けられない。
どういうことだろうか?
食われたのだろうか?
ジリジリと前進してるうちに気がついた。
ほのかに腐臭がする。
あそこに転がっている武具の持ち主達の香りか。
かなり広くなった視界の隅には前方の壁の左右に壁があることが見て取れた。
おおよそ50m四方くらいの空間だろう。
かなりでかい。ついでに物音を立てている主をも視界に収められた。
大部屋の右手前に全長3mはあろうかという大きなイモムシ状のモンスターがいて、大部屋の奥の方へと移動しようとしている。
あの巨体だ、いつかのホーンドベアーの時のように魔術の一発や二発に耐えるということも考えられる。
僅かだけ逡巡したものの、俺はすぐさま魔術を発動させた。
『オーディブルグラマー』の魔術だ。
イモムシなので動きは鈍いだろうと思ったからだ。
遠く離れた場所で音を立てて出来るだけこちらから引き離した上で仕留めてやろう。
魔術の発動とともに大部屋右奥で車がパンクした時のような大きな破裂音が轟く。
同時にモンスターは前進速度を速めたのが分かった。
意外に速い。
走ればこちらのほうが速いだろうが、思ったよりスピードがある。
大きな音を立てたので後ろで三人がびっくりしたのか、息を呑んでいたが、すぐに大部屋の奥をめがけて走るイモムシに気がついたようで、それぞれ武器を構え、動いてはいないようだ。
大部屋の右奥、先ほど音を鳴らしたあたりまでイモムシが移動するのに要した時間は6~7秒だったろうか。
それだけあれば鑑定ウインドウを開いてHPを見ながら魔術の用意をするくらいは問題ない。
HPは150程か。
次に『ライトニングボルト』を放った。
放たれた電撃がイモムシを貫く。
すぐさま『フレイムアロー』を飛ばす。
炎の矢が5本一固まりでイモムシ、もとい、スカベンジクロウラー目掛けて飛翔する。
緑色のゴムのような表皮を炎の矢が貫き、周辺の組織を火傷で爛れさせたようだ。
ケツの方にぶち込んだが、きっちりとダメージを与えられたようだ。
鑑定ウインドウのHPは-23になっている。
まだ死んではいないが、瀕死の重傷だ。
スカベンジクロウラーはピクピクと痙攣を繰り返しているだけだ。
死ぬ前に鑑定ウインドウを読んでおくか。
【 】
【男性/4/9/7423・スカベンジクロウラー】
【状態:電撃傷・熱傷】
【年齢:19歳】
【レベル:13】
【HP:-23(151) MP:26(26)】
【筋力:10】
【俊敏:8】
【器用:25】
【耐久:55】
【特殊技能:麻痺】
ついでに麻痺の特殊技能のサブウインドウも見てみる。
【特殊技能:麻痺(スカベンジクロウラー);スカベンジクロウラーの口蓋下部より生えている八本の触手の先には細かく鋭利な刺があり、触手先端から分泌する粘液で常に濡れている。この刺に刺された体重200Kg迄の麻痺への耐性の無い生物は、即座に麻痺に侵され、嚥下と呼吸以外の随意運動は全て阻害される。麻痺の効果はスカベンジクロウラーのレベルと同じだけの日数継続するが、被害者のレベルで相殺可能。但し、最低でも一日間は持続する。しかしながら、被害者のレベルがスカベンジクロウラーのレベルを10以上上回っている場合には麻痺は効果を及ぼさない。また、体重が200kgを超える場合、体重10Kg毎に麻痺の効果が発動するまでに10秒間の猶予がある。麻痺に侵された被害者を効果時間より早く回復させるには解麻痺の飲み薬(魔法的なものに限る)か解麻痺の魔法をかける以外の方法はない。なお、スカベンジクロウラーの特殊技能の麻痺は毒ではなく、魔法的なものに近いため、抵抗するには麻痺に対する耐性か、魔法に対する耐性の能力が必要である】
ぱっと見しかしていないが、ヤバそうな相手だ。
さっさと殺したほうが身の為だろうが、大部屋の中を見回してもモンスターはこいつ一匹しかいなかったようだ。
ここは余裕もあるし、実験すべきだろう。
俺は『ストーンアロー』を飛ばした。
ぶじゅっと音を立てて石の矢がスカベンジクロウラーの胴体に突き立つ。
HPはマイナス三四になった。
ふむ。今度は『アイスアロー』を飛ばしてみる。
HPはマイナス四三だ。
こっちのがダメージが大きいか。
『エアカッター』で切り裂けるだろうか。
HPはマイナス四九になった。
ダメだ、こりゃ。
あの分厚そうな皮膚だとグラベル系の礫を飛ばすような魔法だとダメージが通らない気がする。
最低でもアロー系じゃないとだめだろうな。
あと6ポイント分のダメージでスカベンジクロウラーは完全に死ぬだろう。
アロー系だと『フレイムアロー』が一番効果があったようだ。
一本で15くらいのダメージだった。
ファイアー系ならもっとダメージが大きいだろうか。
まぁいい。
さっさと殺してしまおう。
『フレイムアロー』の魔術で止めを刺した。
鑑定ウインドウの状態が死亡になったのを確認し、息をついた。
ズールーに魔石を取ってくるように言う前に、全員に用心しつつ前進するように言った。
その間に鑑定のサブウインドウを開いてみた。
【スカベンジクロウラー;クロウラー族の一種。体長3m前後。寿命は約50年。卵生。常に腐臭を発しており、複数の足で移動する。口蓋下部の八本の触手で獲物を麻痺させ、後に繭状に獲物を包み、保存する。口蓋の両脇から生えている大きな一対の顎によって獲物を噛切る。口蓋内部には糸鋸のような細かい歯が無数に生えており、この歯によって噛切った獲物をすり潰すように捕食する。胴体の左右に並んだ耳門によって音を感知し、頭部からナメクジの触角のように飛び出した二つの眼球で可視光を捉える。嗅覚はない。数年おきに発情期を迎え、異性と交配して10個程度の卵を産む。卵が孵るまでの半年間、親は卵の傍で過ごし、外敵から卵を守る。腐肉を好むが生きている生物も将来の食糧確保のため積極的に攻撃する。獲物を麻痺させたあとは尾部より噴出する糸によって繭状にして熟成させた後、餌とする】
スカベンジクロウラーの種族の鑑定ウインドウを読んでいる時に違和感を覚えた。
ああ、ウインドウ内の文章にじゃない。
とにかく、今は違和感については放っておくしかない。
さっさと遺品を集め、魔石を採ったらこんな場所とはおさらばしよう。
無性に太陽が恋しい。
少し早いけれど、もう今日は引き返すべきだろう。
ズールーに魔石を取るように指示し、俺たちは大部屋の中に散らばっている武具を集め始めた。
鉄製の剣が四本に槍が三本。
木と鉄でできた直径40cmくらいの丸い盾が二つ。
あと、ナイフらしきものが七本。
どうやら金属と木製部分以外の有機物はすべてあんにゃろうの腹の中で消化され尽くしていたらしい。革手袋の一つも残ってはいない。
武器は特に大きな錆びも浮いておらず、そのままでも売り物になりそうだ。
この大部屋が乾燥しているからか。
しかし、スカベンジクロウラーとまともに戦うのはよろしくない。
魔法がなければ苦戦どころか麻痺を食らってやられていた可能性すら十分に考えられる。
まぁ経験値は馬鹿でかかったが。
七千をちょっと超えていた。
朝殺したノールの一団で約三千八百、ゴブリン二匹で百八十くらいか。
一万一千くらいの経験値を稼げたのはでかい。ホクホクと言ってもいいくらいだ。
もしこの調子ならもう一度同じくらい経験を稼げるならレベルアップするな。
ズールーが魔石を回収してきた。
直径三㎝位のやつだ。
灰色がかった色で価値は五千くらいだった。
あんまたいしたことねぇな。
ホーンドベアーなんか十万近い価値だったのに。
スカベンジクロウラーは別にして武具類が沢山手に入ったので、今日はもうここで切り上げを宣言した。
帰り道は特に問題もなく、転移の水晶まで戻ることができた。
念の為呪文を確認したが「ダ・リ・オ・フ」から変わっているようなことはなかった。
ふと、転移の時に誰か取り残されたらどうなるのか興味が湧いたが、せいぜい呪文が変わるくらいでどうにもなりはしないだろうと思い直し、全員が水晶棒を握っていることを確認して転移した。
・・・・・・・・・
まだ時刻は昼をちょっと回ったくらいだ。
俺たちは手に入れた武具を換金するため、鍛冶屋に出向いていた。
剣は一本あたり五十万Z前後で処分することが出来た。
槍の方は二十~二十五万Zと言ったところだ。
盾は三十万Zだった。
締めて三百二十六万Zの売上だ。
大儲けだな。
俺はゼノムとラルファに十万Zづつのボーナスを支給してやり、ついでにズールーの分の宿代を渡すと、今日は晩飯を食う時まで解散することにした。
ゼノムとラルファと別れたあと、ズールーと二人で食事に向かった。
大儲けできたので少しだけ奮発して昼定食にオプションで串焼きの豚肉もつけた。
ズールーはしきりと感謝していたが、俺はそんな彼の言葉を遮って言った。
「なぁ、ズールー。いいんだよ。確かに俺は戦闘奴隷としてお前を買った。だから俺はお前のご主人様なのは間違いない。だけど、それはさ、俺にとってどうしてもお前が必要だと思ったから買ったんだ。だから、飯くらい堂々と食ってくれ。奴隷の食事の面倒くらいきちんと見れるつもりがなきゃ、最初から買ったりなんかしてないんだからさ」
なんかうまく説明できないな。
「ありがとうございます、ご主人様。ですが、俺は平民の次男で、正式な従士として取り立てられていたわけじゃないんです。そりゃ、子供の頃から剣の修行は欠かすことはありませんでした。ですが、この前の戦で捕らえられた時、兄貴は身代金を払って貰えたので帰れましたが、私は最初から諦めていました。
それこそ、命があっただけで儲け物だと思っておりました。ああ、兄貴のことを恨んでいるわけじゃありません。これも俺の運命だと思って諦めていただけです。きっと戦奴としてデーバスの、事によったら同じ村の連中と戦わせられるんだと思っていたんです」
なんだ? 身の上話か?
「でも、戦地で奴隷商に売られた俺は巡り巡ってバルドゥックまで来ちまいました。戦争に駆り出されるなら存分に暴れてやろうとも思っていました。せいぜい華々しい最期にしようって思ってたんです。だけど、バルドゥックならそうも行きません。デーバス王国にも迷宮はあります。ベンケリシュの迷宮と言います。ご存知ですか?」
「いや、すまんな。知らない」
「そうですか、まぁ外国の迷宮ですからね、ご存知ないのも無理ないことです。ですが、ベンケリシュの迷宮に挑む冒険者の戦奴は死亡率が高いので有名です。魔物への盾として、場合によったら囮として使われることも多いと聞いていました。だからバルドゥックでもそれは一緒だろうと思っていたんです。きっと俺はバルドゥックの地下で買われた相手の代わりに魔物に食われて終わるのか、って思ってたんです」
「……」
「ですが、俺はご主人様に買われて幸運でした。上等な剣もご用意していただけましたし、鎧までご用意して貰えます。そればかりか、常に一番危ない先頭を行くのだと思っていたら、きっちりと交代して貰えています。あのイモムシの魔物の直前に私を抑えて先頭を行っていただけたのには驚きました。何が待ち受けているか判らない、恐ろしそうな大きな広間に向かうのに、ご主人様自らが一番危険な先頭を往かれるのです。私は驚いて口が開きっぱなしになっていた程です」
後ろなんかいちいち振り返ってないから知らないよ。
「そして、あの強力な魔法の連発であっという間に魔物を屠ってしまわれました。ご主人様、どうかお聞かせください。何故私を買われたのでしょう? ご主人様ならお一人でも迷宮に入れる実力をお持ちだと思います。私にはそれが不思議でなりません」
「……何度かズールーにも心配して貰ったように、俺の魔力だって無限にあるわけじゃない。一人で出来ることなんか限界があるんだ」
「ですが、ご主人様ならたったお一人で何十人もの騎士を相手取ることもできそうな気もしますが……」
「ああ、状況が許すならそういうことも出来るかもしれないな。数人づつ順番にかかってきてくれるとか、迷宮の中とかで大きく人数を広げ辛いような狭い場所でなら何とか出来なくもないだろうな。だが、今日の大きな部屋みたいな場所や外なんかだと大人数を相手するなんてとても無理だ。それに、さっきも言ったが魔力もいつか尽きるし、剣だって永遠に振れる訳もない。飯も食わなきゃならんし、寝ないと丸一日も持たないだろうよ」
継戦能力は言った通りだが、百人やそこら程度なら野外だって土で埋めるなり何なりすれば何とかなるだろう。
「……確かに、そこはご主人様の仰る通りです。私が何十人もの騎士を相手取るなど申し上げたばかりに、私の申し上げたい事とはいささか異なる方向に進みましたが……。いや、私の申し上げたかった事など今のお返事で小さな事だと少しわかった気がします」
恐らく、迷宮の、少なくとも一層では奇襲にさえきっちりと用心を払っていれば俺は苦戦することなくモンスターを相手取れるはずだ、とズールーは言いたかったんだろう。
ズールー自らの例え話に乗っかる形でわざと別の答えを返した俺はなんなんだろうね。
でも、自分の奴隷にさ、お前を買ったのは盾役が欲しかったからだとは言えないじゃんよ。
いや、言っても良いのかも知れないけどさ。なんか嫌じゃんか。
しかし、ズールーが初めて見せる真剣な問いかけの表情に、今可能な限り誠実に答えてやりたい。
「ズールー。お前はひょっとして、自分がお荷物になってやしないかと心配なのか? もしそうならそんな考えは今すぐ捨ててくれ。確かに、お前は今のところ正面から戦えば女のラルファにすら勝てない。だが、それが何だと言うんだ? 永遠に勝てないままなのか?
それに、直接剣で勝てないなら何か別のことで優ればいいだけだろう? お前は一生今のままの力なのか? だとしたらお前は主人である俺に無駄金を使わせたということになるぞ。まぁ、もしそうなら単に俺に人を見る目がないだけなんだとも言うけどな」
ズールーはテーブルに並んだ料理を見つめながらじっと俺の話を聞いていたが、しっかりと俺の目を見て答えた。
「ご冗談を。安い買い物だったと証明してみせますよ」
「うん、そうこなくちゃな。明日も朝から迷宮に入る。今日はしっかり食って休んでおけ」
俺はにやっと笑うと豚の串焼きを口に運びながら言った。
その後食事が終わったら晩飯は全員で今朝飯を食った飯屋に集合だと言ってズールーの背嚢を彼に渡すと俺は店を出た。




