ティリーエ、魔塔で働く④
「これは…!」
歯肉からの出血でティリーエは確信し、ファラを見れば、ファラもまた頷いていた。
「壊血病ですね」
「壊血病、ですか?」
神官は、聞き覚えのない病名のようで不安げだ。
ヤンは、アッという顔をしている。
「ヤン、壊血病とはどのような病気かな?」
それを見てファラが質問した。
「はい… えと、壊血病は、ビタミンCが不足して起こる病気で… 船乗り病として知られています。
症状は倦怠感、貧血、関節内の出血や腫れ、易出血性による皮下出血、歯肉からの出血、時に歯の脱臼です」
「その通り。知ってはいたんだね」
「はい。でもすぐには結びつきませんでした」
「今回は船乗りじゃないわけだけど、なんでこの病気が流行ったと思う?」
「えと… 食糧不足で、ビタミンCが多く含まれているレモンとか苺とかを食べられないからですか?」
「んー。どうかな。神官さん、ハムサの人は、以前はレモンとか苺を食べていたのかい?」
「いいえいいえ。このあたりは果物など滅多に口にすることはありませんから。食べたこともないです」
「だそうだ。壊血病は最近始まったらしいから、元々食べてないものは原因にならないね」
「そうですね… ウーン…」
ヤンはさっぱり分からないようだった。
ファラ様が楽しそうなのは、これがディアナ様達が専門の、食養生で解決する問題で、答えが分かっているからだろう。
「やはり、じゃが芋でしょうか」
ティリーエがそう言えば、ファラは少し口を尖らせて面白くなさそうにした。
「もう答えちゃつまらないじゃないか」
ブーと音が聞こえそうな口には構わず、ティリーエは説明を始めた。
「じゃが芋は意外にもビタミンCが豊富な植物で、りんごの5倍含まれていると言われています。また、多くのビタミンが調理によって加熱したり水に溶けたら減ってしまうのに対し、じゃが芋のビタミンCは調理をしてもほとんど減りません。
効率よく摂取できる食べ物です。
恐らく、この土地ではじゃがいも以外でビタミンをとることが難しかったのに不作で摂取できず、ビタミンの少ない小麦が主食となって1年、徐々にその皺寄せが来ているのでしょう」
ヤンはなるほど!と、こくこく首を振り、一生懸命メモをとっている。ファラは、やれやれという様子で、だが見解は一致しているようだった。
「えっと、つまり、この病気は治るのですか? 聖女様の御力で皆すぐ元気に…?」
まだよく分からないらしい神官が、ティリーエに尋ねた。
ティリーエは申し訳なさそうに、しかし正直に答える。
「ご期待に添えなくて申し訳ありません。壊血病は、私の力では即刻治すことは難しいのです」
「エッ…!!!」
ティリーエの聖力は、疲労や筋肉痛に効かない。また、正常な細胞が無い身体を治すことができない。
ティリーエの能力はあくまでも"複製"なのだ。
手だけ、腹だけ、頭だけ、のような部分的な病気や怪我はすぐに治せる。しかし、栄養失調によって全身の細胞が正常に機能していないと、複製しても変わらないからだ。
「そんな…」
表情が一気に絶望色に染め上げられた神官に、ティリーエは励ますように言った。
「でも大丈夫です。秒で即刻、とはいきませんが、皆様を元気にすることはできると思います」
ティリーエは自分のすべきことを決めたようだった。
◇
「なんでも、王都から聖女サマが来て下さってるんだってね」
「あぁ、でも、この病は治せないとか言ったらしいぜ」
「病を癒せない聖女なんて、偽物じゃないか。何しに来たんだ」
「やっぱり噂って誇張されてるんだよな、結局何もできない、見た目が綺麗な女ってだけなんだよ」
あの後、まだ動けるハムサの街人が集められた。
先程療養室でのやりとりを聞いていた人が悪いニュアンスでティリーエと神官の話を言いふらしたため、歓迎ムードとは到底呼べない雰囲気が漂っている。
街人は、家にある限りのじゃがいもを持ってくるよう言われていた。ある限り、と言っても、各家庭に1〜4個、あるいは全く無い家もある。
ショベルや、鍬も持ってくるように言われていた。
それが何故か分からず、不思議で不安で、更に不信感を煽っているのだ。
「腹が減って、もう歩くのもやっとなのに、なぜ芋と鍬なんか持たせるんだ。まさかこれを、差し出せとか言うんじゃ…」
「馬鹿言え! 来年のための、最後の種芋だ。これを失ったら生きて行けないぞ。絶対に渡さない!」
空腹と不安で疑心暗鬼になっている街人は、痩せこけた頬の上に目をぎらつかせて目の前のティリーエ一行を見つめた。
ティリーエは、こんなに大勢から敵意を向けられたことがなかったため、胸が締め付けられるような緊張感の中にいた。
だが、ファラから優しく肩を叩かれ、ふっとひと呼吸を漏らす。先程、ファラとヤンと魔術師団員の皆と、この土地を救う方法をちゃんと話し合ったのだ。
皆で協力すれば絶対大丈夫。
ティリーエは深呼吸をしてから、努めて口調を穏やかにし、優しく語りかけた。




