ティリーエ、侯爵家へ①
その後、ティリーエは祖父と相談し、やはりヴェッセル侯爵家でお世話になることにした。
「寂しいが、お前を永遠に失うことに比べたら、離れて暮らすぐらいは耐えられる。セリオン様は信頼できるお方だし、きっと守って下さるだろう」
元に輪を掛けて心配症になった祖父は、あまり迷わず決めたようだった。
正式に住み込みで働くなんて、本当に大丈夫かしら…
と、どちらかと言えば、ティリーエが自信なく迷っていた。
以前滞在した時はただただ幸せで楽しいばかりだったが、セリオンを意識し始めた今、いち使用人として普通に接することができるか、分からなくなっているからだ。
馬車でエスコートして貰ったり、謁見の際にドレスを買って頂いたりして、何だか自分が特別な人にでもなったような勘違いをしている自覚がある。
「私は平民。セリオン様とは釣り合う筈が無いわ。
でも、想うのは自由だから、頂いたご恩をお返しし、これからもお支えしていくのよ」
自らへ言い聞かせるように口の中で呟いて、ヨシ!と頷いた。
そうして3週間後に、ティリーエと祖父は、ヴェッセル侯爵家の門の前に立っていた。
いつもいつもお迎えに来て貰っては申し訳が立たないことと、祖父もきちんと御礼をお伝えしたいと言うので2人でやってきたのだ。
勿論事前に連絡はしていたので、門騎士には顔パスで、すぐにエントランスまで案内をして貰えた。
笑顔で出迎えたセリオンから使用人一同を紹介され、ティリーエ様をお任せ下さいと口を揃えて挨拶された祖父はいたく感激している。
何度も何度も御礼を言い、ティリーエをどうか宜しくお願いしますと頭を下げた。
セリオンはこちらこそ、いつでも会いに来て頂いて構いませんしこれからも懇意にしていきましょうと握手を交わした。
その後、ティリーエの今後について話をするとのことだったので、セリオンと祖父は別室に移った。
ティリーエは、その間に今回滞在する部屋へ案内するよう言われていた3メイドの所へ近づき、挨拶をした。
「ベラさん、ネネさん、アナベルさん!お久しぶりです!
今日から一緒に働かせて頂きます。
ご迷惑をお掛けすると思いますが、これまで頂いたご恩がお返しできるよう頑張りますので、宜しくお願い致します!!」
元気ハツラツ、敬礼でもしそうなティリーエの様子に、3メイドは一様に残念な顔をしてため息をついた。
「「「ホラ〜〜!!」」」
「???」
◇
「ティリーエさん、去年お会いした時よりも、だいぶ大人っぽくなられましたね!」
「元からお美しかったですが、今は更に磨きがかかったようです!」
「今や聖女様ですものね!すごいです! うちの坊っちゃ…セリオン様の腕を治されたこと、本当にありがとうございました!」
やいのやいのと賑やかにもてなされながら案内された部屋は…
「こちら、ですか!?」
ティリーエは驚いた。
生成りや白を基調としたコットンファブリックで統一された広い部屋。
複雑で多色の緑糸で綺麗な刺繍が施されている。
あまり新しくないが、落ち着く清潔な部屋だ。
そう。この部屋は、いつかティリーエがレンタルメイド業で頼まれた部屋だった。でも確か、、
「こちらはセリオン様の婚約者様のお部屋では…?」
そうだった。
セリオンには婚約者がいる筈なのだ。
自分がその部屋を使うわけにはいかない。
「坊っちゃまには、婚約者様はおられません」
メイド長のノンナが、様子を見にやってきた。
「えっ」
「いつかは迎えて頂かなくてはと、準備だけは進めておりましたが、今日までそのようなお話はまとまっておりません」
「そうなんですね…?」
だとしても、何故私をこの部屋に…? 一使用人には勿体ない広さと美しさだ。
私がこの部屋を使ってしまったら、本当の婚約者様が決まった時に困るのではないだろうか。
本当に良いのだろうか…
でも何となく、聞ける雰囲気でない。
皆笑顔なのだが、有無を言わさないオーラがあるのだ。
オロオロと、考えていることが完全に顔に出ているティリーエを、3メイドとメイド長は微笑みながら眺めていた。
その目は完全に、捕食者の瞳だった。




