ナーウィス伯爵家再び③
「ティリーエじゃないか! なぜここに…! 君は確か先日、陛下から聖女に認定され、魔術師団の補佐役になったはずでは…」
そのことは新聞で何度も目にしているから、国民であれば平民すら知っている。ただ、ジェシカもディローダもそういう政治や情勢に興味が無いので、新聞は読まないからよく知らないのだ。
「あぁ、何か、聖女とか言われて良い気になっているのですってね。
おおかた、その珍しい容姿に男どもが誑し込まれたんじゃないの? こいつは薬屋の娘だから、割りと効く薬を作れるんじゃない? それを大袈裟に騒がれたのだわ」
ね?と、同意を求めるようにジェシカが義母を見つめる。
「その通りよ。陛下の周りも師団長も、全員男性だもの。こんな小娘に全く情けない。
娼婦の娘は男を懐柔する技術に長けていらっしゃるから、馬鹿な男達を集めて信奉者を作らせるくらい、わけないのよね」
頷きながらティリーエを睨みつける。
セブルスからも似たような一瞥を浴びて、ティリーエは身の竦むような恐怖に震え―――てはいなかった。
ティリーエは無の表情を浮かべ、ただそこに立っている。
むしろ、真っ青な顔で歯を鳴らしているのは、当主であるダムアだった。
ダムアは震えるあまり、ソーセージを刺していたフォークを床に落としてしまう程、動揺していた。
カチャーンと高い音が響く。
「おっ… お前達、何と言うことを…」
「まぁっ貴方! 行儀の悪い! ただでさえくすんだ顔に皺が増えて醜くおなりなのですから、せめてマナーくらいは気をつけて下さいませ」
非難を込めた目を細め、甲高い声でダムアを窘める。
「いや、今、行儀もマナーも関係無い! お前達、自分が何をしたのか分かっているのか…!?
我が家が、侯爵様から、ティリーエに対する一切の手出しを禁じられていることを忘れたのか。
しかも今のティリーエは以前とは違う。王立魔術師団の後ろ盾を持つ、この国200年ぶりの聖女となったのだ。
先程、連れ戻したと言っていたが、まさか了解なく拐っててきたのではあるまいな…!?」
どんどん口が乾いて行くのか、みるみる唇が白くなっている。
「はぁー本当煩いわね。醜い上に煩くて財力もない貴方から何と言われようと、どうでも宜しいわ。
貴方に充分稼ぐ力さえあれば、私だってこんな面倒臭いこと、しなくて良いのです。
私の家は子爵家ですが、こんな落ちぶれた伯爵家よりずっと裕福でしたわ。 貴方と結婚したばかりに、不自由ばかり。貴方に文句を言う権利はありません!」
ピシャリと言い放つ。
責任転嫁も甚だしく、支離滅裂なのに、全く疑う余地なく自分が正しいと思っているのだ。
ダムアは脂汗を流しながら、それでも言葉を続けた。
「ヴェッセル侯爵様が、きっと黙っておられないぞ…
すぐに見つかり、そうしたら伯爵家は終わりだ…」
途切れ途切れに吐き出したそんな言葉さえ、2人には伝わらない。
「もうっ お父様ったら心配性ね! そのために使用人は全員辞めさせたんじゃない! あの子を連れてくるのも、誰も人を使わずセブルスにお願いしたの。
ここに居ることは、私達しか知らないのよ」
ジェシカは得意気に言った。
「あの娼婦の母親が最後に欲しがった本の続刊が出たら、絶対欲しがると思ったわ。簡単に1人になるタイミングを狙えたの。
あの時と、同じようにね…」
ディローダがティリーエを意地悪い目で見ながら、舌で唇を湿らせた。
あの時…?
先程までティリーエは目の前で繰り広げられる家族喧嘩を、どこか遠くの出来事のように感じ、無表情で眺めていた。
このおかしな人達に何と言われようが、どう思われようが、どうでも良いからだ。
ティリーエには苦労して得た自立できる薬師という仕事があり、魔物討伐部隊で役に立って認められ、たくさんの団員から温かく迎え入れてもらい、多くの患者様に喜ばれ、セリオン様に大切にして貰っている。
畏れ多くもディアナ様という友人もできた。
ティリーエは、自分に価値がないとは、もう思っていなかった。強くなったのだ。
しかし、最後のセリフが気になり、意識を戻す。
母が死んだ日、街に取り寄せの本を受け取りに行ったこと。
その日も、日時を指定されていたこと。
その他の本の受け取りは"いつでも良い"こと。
母を撥ねた馬車の色と小さな薔薇の紋と、本屋の紙袋。
いつも口数が少なく、話さない店主が、珍しく売るのを躊躇していたこと。
新刊なのに、ポスターが無かったこと。
義母の実家の家業が貿易商で、異国の商品の輸出入を管理していること。
… …。
頭の中のパズルのピースがぱちぱちと音を立てて嵌り始めた。
「お…お義母様… まさか、私の母は…」
事故ではなく殺されたのですか?
恐ろしすぎて、最後は言葉にならなかった。
まさか、そこまではしないと思っていたからだ。
これまでも、寝食を充分与えられないことはザラだったが、激しい暴力を振るわれることは無かった。
だから、その一線は越えないと、ある種信用していたのだ。
「やめて頂戴。お前にお義母様などと呼ばれたくないわ。
でも…事故だなんて、まだ信じていたの? 我が屋敷の泥棒に制裁を加えるのは、女主人である私の仕事よ。当然のことだわ」
これまでの顰めた顔とは真逆の、むしろ笑顔を浮かべて、ディローダは言ってのけた。
ティリーエとダムアは氷り付き、ティリーエは指先まで痺れたように感覚を失った。




