ナーウィス伯爵家再び②
義母と義姉は出掛けており、セブルスは父に呼ばれているからと、ティリーエは早速1人になった。
掃除道具一式を並べ、吹き抜けのエントランスに立つ。
深呼吸をひとつして、両手を広げた。
ティリーエの小屋ほど酷くはないが、家は薄汚れていて手入れをされていないことが明白だった。
おおかた、使用人の数を渋ったか、無理難題を言いつけられて逃げ出したりされたのだろう。
ティリーエはまず、はたきを複製量産し、天井や絵の額から埃を落としていく。
見えている範囲、廊下の奥のさらに奥、螺旋階段などもはたきが踊りだす。
そうして床面に落ちた埃を、増やした箒で片っ端から集め、ごみ袋に収める。
バケツと水と雑巾をトリオにして壁や床を走らせ、くしゃくしゃにした新聞紙で窓を磨く。
「えっ… ものすごく楽だわ…!」
自分自身で驚いたことに、50でも100でも、どんなにたくさん複製して、それらを同時に扱っても、全然疲れないのだ。
「前は、部屋ひとつ掃除しただけで、仮眠をとらなければならなかったのに…」
しかも、ティリーエがおおまかに願えば、ほぼ自動的にその次の作業をしてくれる。
まるで、掃除道具が意思を持っているかのようだ。
手からは無限に温かな力が広がる。
どちらかと言うと、気持ちが良いくらいだ。
例えるなら…スポーツをしている感じで、軽く額に汗が滲みつつ息を弾ませ、動く程に身体が軽くなる感じなのだ。
乾いた場所にワックス掛けを行ってから、ティリーエは次の部屋に移動した。
屋敷中の掃除は40分で終わり、そのまま庭木の剪定に入る。これも剪定バサミや竹クマデで枝葉の処理を手早く済ませ、枯れた花・蕾を取り除き、肥料を撒いて水やりをした。
庭もキラキラと光って美しく整った。
菜園に行くと、ティリーエが植えていた野菜達が野生化していたが、芋などは充分育ち、トマトやピーマンも実っていた。割れたり形の悪いものばかりだが、あるだけ助かる。
愛しい気持ちで収穫した。
太陽の加減を見れば、多分時間は昼過ぎだろう。
手を洗い、スイーツ作りを始める。
準備のために戸棚を開いて、笑ってしまった。
懐かしいと言うか何と言うか。
卵ひとつと小麦粉と砂糖が箱の隅に僅かに残る程度、牛乳はコップ半分ほどが瓶の中にあった。
バターは全然無い。こんな材料で4人分のお菓子を作れだなんて、本当に頭がおかしいんだわ、と思った。
すぐに増量し、そんな材料でも作れるプリンと、シフォンケーキ、庭木の柑橘実の皮で作ったママレードを入れたタルトを作る。
作ったお菓子はティリーエのぶんも含めて複製した。
その後すぐに夕食の用意を行う。
菜園で採れた新鮮野菜をたっぶり使い、保存庫にあったソーセージを柔らかく煮てポトフをメインにした。
結局彼らはおやつの時間に帰って来なかったので、さっき作ったスイーツは、デザートとなった。
ディナーは5人分作り、ティリーエは自分もしっかり食べた。デザートも頂く。
前は、自分の分は作らなかったけど、もう今は大丈夫だと思える。
お腹が膨れると余裕もでき、今の状態を俯瞰で考えられるようになった。
先程は目が覚めていきなりのことで混乱していたから、目の前にすると声が出なくなったけれど、冷静に思い返せば、彼らのことを以前ほど恐ろしくは感じなくなっていた。
あの頃と違って、逃げようと思えば逃げることもできる。
ただ、ティリーエは持ち物や有り金全てが巻き上げられており、無一文だ。馬車には乗れない。
このナーウィス伯爵家からヴェッセル侯爵家までは、移動中にいつも寝ていたから距離感や道のりが分からない。
ナーウィス伯爵家から薬屋の家までも分からないし、こんなメイド服で街を不安げにウロウロしていたのでは、逃げ出した使用人だとすぐにバレてしまうだろう。
つまり、路頭に迷うのが関の山なのだ。
迷子の使用人がいることを聞きつけたセブルスは、外面だけは大変良いので、手八丁口八丁で優しい執事を装ってティリーエを回収していくだろう。
今の聖力量があれば与えられる仕事をこなすのは難しくないし、腹さえ満たされるなら、良い方法が見つかるまではここに居ても良いのではと思った。
「我ながら、図太くなったものね」
くすっと自嘲ぎみに笑い、自分が食べた皿を片付けると、屋敷の住民達のためにテーブルのセッティングを始めた。
◇
「まぁ。貧乏くさい食事だけど、食べられないことは無いわ」
「そうね。最近では野菜が美容に良いと聞くし」
ティリーエが作った食事は素朴なものであったが、宝石やドレスなど思う様買い込んだ2人は引き続きご機嫌だったため、あまり文句を言わずに平らげた。
「どうしたんだ。急に昨日、使用人を全員解雇したと言っていたから心配をしていたが、今までより量も味も良いじゃないか」
ティリーエ父であるダムアは、ソーセージの脂を楽しみながら、何の気も無く聞いた。
「ふふっ 前逃げ出したメイドを連れ戻しただけよ。他に使い道の無い女だけど、家事や調理はまぁまぁ使えるから、また雇うことにしたの」
ジェシカがディローダと目を合わせて楽しげに笑う。
財政が厳しくなってから、2人がこんな風に笑う所を見るのは久々だった。
「そうか、そのメイドとやらは、かなり優秀だったのだな…」
誰のことだ…?と思いつつ、給仕の者に目をやって息を飲んだ。
皿を運んでいるのは人手不足によりセブルスなのだが、そのセブルスに料理を手渡しているのは…
「リリラ… ティリーエ…!?」




