書店の店主の苦悩①
私がこの街で書店を始めて5年目くらいの頃のことだ。
最初は、綺麗な母娘だなと思った。
5〜6歳の女の子の手を引いた、ビックリするほど綺麗な女性が来店したのだ。
その日から度々うちの本屋に買い物に来てくれるようになり、容姿が特徴的だからすぐに覚えた。
医療や薬学、植物に興味があるようで、いつも楽しそうに選んでいた。
いつも頼む定期出版の雑誌を購入しに来店した時、たまたま新刊案内で貼っていたポスターが気になったようだった。
それは異国発刊の植物図鑑で、我が国にない植物や煎じ方が細かく書かれ、また図画そのものがとても美しく色鮮やかなことが評判の本だった。
かなり値が張る本だったので、しばらく逡巡していたが、結局取り寄せを頼まれた。
異国の書籍の取り寄せは、購入希望者の名前と住所を聞いておく必要がある。
代金は先払いで、引換券を渡すことになっているが、納品時の連絡手段は郵便だ。
書籍が届き次第、その住所に連絡することになっている。
その女性は、リリラーラという名前だった。
名前まで可憐だなと思った。
また、預かった情報は、基本的に業者と共有することになっている。特に医学書や薬学書は、悪用や転売を防ぐためだ。
私はいつものように、取り寄せや輸入を頼んでいる仲介業者に購入希望者の情報を渡した。
それから数日経って、見るからに貴族の女性と男性が訪ねてきた。
それは、貿易業を手広く扱う、アテリオン商会の方だった。今回の図鑑の輸入を委託されたらしい。
アテリオン商会はメイアン子爵家が運営している商会で、訪ねてきたのは会長の娘、ディローダ様(とその付き人)と仰った。
ディローダ様は1枚の姿絵を取り出し、『あの図鑑を注文したのは、この女だったか』と尋ねた。
このあたりでは珍しい容姿であったから、すぐに一致し、特段何も考えずに、そうです、と答えた。
ディローダ様は、彼女がこの本を受け取りに来る日時を、自分に伝えて欲しいと言った。
長らく会っていない友人だから是非会いたいのだと。
確かに年頃も近いし、別に悪い話ではない。しかも取引先の貴族の頼みを断ることもできず、私は了承した。
件の図鑑が納品された時、彼女に受け取りに来る日時を連絡して欲しいと郵便屋伝いに伝えた。
返ってきた日程を、ディローダ様にもお伝えした。
かくしてその受け渡しの日。
購入した図鑑を胸に抱いて嬉しそうに微笑む姿は眩しく輝いて見えて、本当に女神もかくや、という様子だった。
一緒に来られなかった娘にと、絵本も何冊か購入された。
私は、弾む足取りで店を後にする背中に、
「ありがとうございました〜」
と言いながら、そういえばディローダ様と言う方が貴女に会いたがっていましたよと伝え忘れたなと思いながら、帳簿の記載をしていた、その時。
通りからガシャンという大きな衝撃音と甲高い馬の嘶きが聞こえた。
馬車と何かがぶつかった?そう思ったが、すぐに馬車の蹄の音は足早に遠ざかる。
外は人の叫び声や喧騒に包まれた。
一体何があったのだろうと外に出てみると、誰かが馬車に撥ねられたということだった。
まさかと思ったが、人混みを掻き分けて進めば、先程まで柔らかく笑っていた女神が倒れていた。
胸にはあの図鑑を抱いている。
私は息を飲んだ。
「まだ若いのに可哀想に」
「綺麗な子じゃないか…」
「立派な馬車だったからきっと貴族の馬車だ。平民なんて何とも思っていないのさ」
倒れて動かない女性の周りで、気の毒そうに話す人々。
駆けつけた街の医術師に医療院へ運び込まれる時、1人が言った。
「ぶつかった馬車見たよ! 色は朱殷色で… 扉に小さく薔薇の紋があったよ」
「それだけじゃ、分からないな。第一もう走り去った馬車を追うことはできないし」
医療員のスタッフは困ったように話した。
まだまだ身分がものを言う国だ。
もしその特徴の馬車を捕まえても、貴族が知らぬ存ぜぬを通せば現行犯でない限り、証拠不十分で釈放されてしまう。
だから皆、若い被害者を憐れみながら、成す術なくため息をつくしかなかった。
どうか怪我が酷くなくて、助かりますようにと祈りながら。
"小さな薔薇の紋"…
どこかで見た気がする…
私の胸がドクンと嫌な音をたてる。ふらつきながら何とか店に戻り、あの図鑑が納品された時の包装紙を探す。
包装紙は図鑑を取り出した後は破って捨てていたから、屑籠から引っ張り出した。
「あっ…」
そこには、小さな赤い薔薇が、印字されていた。
そして後日、あの美しい女性が助からなかったことを聞いたのだった。




