洗礼と不思議な力の目覚め
相変わらず伯爵家の仕事は鬼畜の所業だったし食事もまともに貰えなかったが、母の飴があると思えば頑張れた。
どんなにお腹が空いていても、耐えられなくなった時にあの飴を食べれば不思議と満たされるのだ。
身体は、変わらずガリガリだったが。
伯爵家に来て1年が経ち、いよいよ骨と皮だけになったら、初めて父、義母と義姉に面通しがされた。
「なんだ。平民のくせにお父様を籠絡した娼婦の娘と言うから、どれ程美しい女かと思ったけど、ただの汚い枯れ木じゃない。
髪もボサボサ、目玉も落ちそうにぐりぐりで、気持ち悪いわ」
義姉ジェシカは吹き出し、それ以上に「しかも臭くて醜いわね」と嘲る義母ディローダの憎々しげな視線が刺さる。
今更何で面通しするのか?と不思議に思っていたが、何となく合点がいった。
初めて会った義姉は長い黒髪をコテで不自然に大きく巻き、目の周りにキツイ化粧をして睫毛がバサバサの女性だった。
義母は似たような髪をアップにしているが、露わになった耳に、ギラギラしたイヤリングが重そうに垂れ下がっている。
2人とも、胸元に大きい宝石のネックレスをつけていて、とりあえず全身的にビカビカしていた。
ティリーエは初対面でいきなり罵られ、あっけにとられた。
ただ何となく、予想通りの人柄だと思った。
ヒステリックな声だけは、いつも聞いていたから。
父らしき人はそんなティリーエの姿を見、一瞬驚いた顔をして何事かを呟いた。
しかし、ディローダから何かを尋ねられると、「好きにしろ」と言い捨てて立ち去った。
彼らの前に現れて良くなってから、仕事量は更に増えた。
掃除区域に彼らの部屋が加わり、庭木の世話まで含まれた。それでもティリーエは、何とか頑張った。
父の姿を見ることはあったが、多分避けられていて目が合うことすらなかった。
そうなって初めて、義母や義姉だけでなく、父とも親子にはなれないのだと、完全に理解した。
ごくたまの贅沢として、大切に大切に食べていた飴がだんだん少なくなり、瓶の中が心許なくなってきた。
◇
ほどなくして、ジェシカとティリーエは12歳になった。
12歳になると、ソレイユ神殿で洗礼を受ける。
洗礼は、平民も貴族も関係無しに行われるが、貴族の方が魔力持ちの可能性が高いらしい。
それでも魔力持ちは国民の1/3しかいない貴重な存在だ。
大変大切にされるし、人の役にたてる。
ちなみに魔力がなくても、魔力が込められた魔道具を使うことで日常生活は不自由しない。
例えば、雷属性の魔術師が放った電気を魔道具に込めれば、電池として売り出せる。
普通国民は、その電池を買って使い、家電的な機械を動かすというわけだ。
洗礼では、神官が式文を読み上げた後、太陽の光を集めた水盆からひとすくいの水を、受洗者の手の甲にかける。
もし魔力があれば、その手の甲に模様が浮かび上がるのだ。
赤の花なら火。
青の花なら水。
黄色の花なら雷。
緑の花なら草… などなど。
その時現れた紋様は、儀式が終われば光と共に消えてしまうが、現れた属性のものは念じるだけで具現化したり操ったりできる。
魔力は1つあるだけで珍しいが、複数持つ者は更に稀だ。
ただ、その場合も魔力が同量あるわけではなく、主属性と副属性というように、他方は少し弱く、できることも限られる。
複数の魔力持ちは洗礼で、主属性は花、副属性は葉の紋様が現れる。
伯爵である父は茶色らしい。土の属性だ。
ティリーエは、いつかは祖父や母の跡を継いで薬師になりたかったから、薬草を育てる時に有用な緑か茶色の魔力が欲しかった。
洗礼で魔力持ちかどうか分かれば使い道が広がると、ティリーエも洗礼に連れ出された。
ティリーエは、これが自分の運命を変えるかもしれないと、少しばかり期待し、緊張していた。
結果は、ジェシカが赤の花で火、ティリーエは…
魔力無しだった。
手の甲が水に濡れただけ。ハンカチも貸して貰えなかった。
無能だの役立たずだの散々罵られ、それに比べてジェシカはすごいと義姉が持て囃された。
ジェシカが念じると、小さな炎が掌の上でチロチロと揺れる。
得意気にティリーエを一瞥し、汚い言葉を投げつけた。
火は攻撃魔法にも生活魔法にも役立つ使い勝手の良い属性だったから、屋敷中がお祭り騒ぎだった。
ティリーエはその日、いつも以上に孤独な夜を過ごした。
嫌なことは重なるもので、ティリーエを慰めてくれる飴も、とうとう残り1つになっていた。
食べて無くなってしまったら、母とのつながりがなくなるような気がして食べられないけど、空腹はとうに限界を超えていた。
身体は芯から冷え切って、心まで凍りついたようだ。
絵本に出てくる魔法使いは、ビスケットを増やすことも、かぼちゃを馬車に変えることもできる。
この世界の魔法とはだいぶ違うけど、ティリーエにとっての魔法使いは、絵本の中の魔法使いだった。
「神様、魔法使い様… 誰でも良いから助けて下さい。
お母さんの飴が無くならないようにして下さい。
ずっと食べられる、ように…」
その日は妙に月明かりの眩しい、静かな夜だった。
ティリーエは泣きながら飴の瓶を抱きしめて眠り、目が覚めたら、、
飴は2つに増えていた。




