ティリーエの修業③
10人診たら1団子、10人診たらポタージュ一杯。
お腹は全く減らないが、定期的に無理矢理詰め込みながら、ティリーエはひたすら聖力を放出し続けた。
味もへったくれもない。
途中から頭がおかしくなってきたので、患者数のカウントと、給餌は祖父にお願いした。
100人めの患者様は、人差し指の先が無くなった人だった。
草刈り鎌で落としたというその人に、ティリーエが念じると10秒ほどで指先が再生したのだ。
もちろんスムーズに動く。
「き、奇跡だ…! ありがとうございます…!!」
指を見つめ、飛び跳ねて喜ばれた。
鎌の扱いには気をつけられて下さいねと伝え、お見送りする。
ティリーエはかなり前に、猫の前足を再生したことがあったが、人間では初めてだった。
しかも、以前より格段に速くなっている。
そういえば、もう100人を突破したのに聖力が切れる様子は無い。
まだまだ放出できそうだ。
その後50人を超えた頃、手を引かれて来たのは、両目の見えない女の子だった。
病気ではなく、山菜採りの途中で土砂崩れに巻き込まれ、もがいて何とか出たものの、砂がかなり目に入ってしまった。しかもこすってしまい、目に傷が入って見えなくなったという話だった。
「もう7年も前になります。叶うなら、この子がもう1度目が見えるようになるなら、私は何でもします」
母親らしき女性は、手をすり合わせてティリーエに頼む。
全財産を持ってきましたと言って革袋を差し出した。
娘は緊張しているのか、口を結んでしゃべらない。
ティリーエは診察を行った。
そして、説明を行う。
「娘さんの瞼や目にはまだ、たくさんの砂が入っていて、それが悪さをしています。まずはこの砂を出してしまわないと、目の治療はできません。
まずは砂出しを行いましょう」
まるでアサリかハマグリのような雰囲気でそう話すと、祖父に目洗いの湯の準備を依頼した。
祖父は頷いて調湯を始める。
目は体温と温度刺激の少ないぬるま湯で、殺菌効果があり目に染みず、傷を修復する作用のあるヤソメの葉の煎じ汁を希釈した。
痛み止めのナナの果汁も絞り入れている。
それに、顔をつけて目を開けるように言った。
ほんのり薄いライトグリーンの湯に、娘は恐る恐る顔をつけ、目を開けてみる。
(痛くない…)
娘は驚いた。 その湯は、まるで空気のようだった。
見えないから何も分からないが、目に触れているのが分からないくらい、心地よい湯なのだ。
これまでずっと、目が痛かった。
寝ていても起きていても痛かった目は、本当に痛くないのだ。
「その中でゆっくり、目をパチパチして下さい。
あと、時々息継ぎをして、また何度か繰り返してみて下さいね」
パチ… パチ…
まばたきをしても、やはり痛くなかった。
ほんのりトロミがついたようなまろやかな湯は、ティリーエの指示通り、優しく目を洗い続けた。
その間に、ティリーエは5人を治療し、また戻ってきた。
タオルで顔の水気を拭いた娘は、ティリーエの気配を感じると、初めて喋った。
「め…目はまだ見えませんが、全然痛くなくなりました。
それだけでも嬉しいです。ありがとうございました」
「まぁ…!」
母親は、早くも感極まりかけている。
「いえいえ、目の中の異物が取れたのなら良かったです。
次は治療を行いますね」
ティリーエは当たり前のように言って、娘の瞼に手をかざした。
手からは柔らかな光が出て、瞼の上にもやがかかる。
「おぉ… これが聖力… ありがたや…」
母親は娘の手を握りながら感嘆の息を漏らした。
まず、角膜に入っている無数の傷を治す。
傷ついた角膜は炎症を起こしていて、虹彩や水晶体にも及び、白く濁らせていた。それらの炎症を抑え、修復を促す。
最後に、瞼の内側の粘膜を回復させてから、手を下ろした。
そしてティリーエは電気を薄暗くしてカーテンを閉めた。
「さぁ、目を開けてみて下さい」
娘は、ゆっくり、怖々、目を開いた。
「… どう?」
母親が尋ねる。
娘はぽろぽろと涙を零し始めた。
「どうしたの? まだ痛いの?? 見えるの??」
「…見えます… 壁の模様、紙の、文字…… 」
「えっ!本当!? 見えるのね、私が、分かる…?」
「うん…
ママ… なんか、シワが、増えた? しわくちゃじゃ」
最後は嗚咽に掻き消され、更に歓喜した母親が号泣しだして、何も聞こえなくなった。
「良かった…!良かった…! 私が山菜採りなんかに連れて行かなければ良かったって、何で雨の後に行ってしまったんだろうって、ずっと…!!」
わぁわぁと大声で泣く母親に、娘は照れくさそうにしていたが、抱き合って涙を流し続けていた。
「まだ、光には弱いと思うので、暗いところから少しずつ慣らしていって下さい。 夕方や夜は楽だと思います。
1週間もすれば、日中の外も歩けるようになりますよ」
ティリーエが伝えると、
「聖女様、ティリーエ様、この御恩は絶対に忘れません。本当に、ありがとうございました」
「聖女様、ありがとうございました。ママがずっと落ち込んでいたので、それがずっと辛かったけど、こうしてママを安心させられて、お顔が見れて、すごく幸せです」
「それは良かったです。私も嬉しいです」
目の治療が初めてだったティリーエにとっても、良い経験になり、勉強になった。
お代はいらない代わりにそのお金で馬車で帰るよう念押しをして治療は終了した。
今日は青天。まだ瞼を閉じていても、かなりまぶしく感じる筈なので、歩くのはかなり辛い筈だからだ。
2人は何度も何度もお辞儀をしながら、帰路についた。
結局その日は、280人治療をして、診療を終了した。
昨日が、朝7時から夜9時までで150人。つまり1人あたり5〜6分かかっていたが、今日は1人平均3分で治療をしたことになる。
複雑な症状の患者様はそれなりに時間がかかるが、通常の怪我や簡単な治療だと、数〜数十秒で治せるようになってきたのだ。
しかも今日は、全然動ける。
やはり、食べ飲みながらの治療は合理的だった。
「ヨッシャー!」
ティリーエは、確かな手応えを感じて、拳を天井に突き上げた。
…本日1番瀕死の重症者は、老齢なのにシャカリキに働かされた祖父だった。疲労は聖力で治せないのだ。




