ティリーエ母
ティリーエの母の一家は異国の薬師だった。
何という国だったのかは知らない。
とにかく、遠い国から珍しい薬草を探して国から国へと旅をしていた。
たまたま立ち寄ったこの街で困っている人を助けたら、どうかここに留まって皆を助けて欲しいと請われ、そのまま居着いたと聞いた。
ある時、この街の領主であるナーウィス伯爵の前当主が病に倒れた。
ティリーエの母の父(つまり、ティリーエにとって祖父)が呼ばれ、献身的に看病と投薬調整を行い、奇跡的に持ち直した。
いたく感謝され、祖父は伯爵家のお抱え薬師ポジションになったそうだ。
その後、更に年を重ねた前当主がついに亡くなって、その息子、ダムアが後を継いだ。
薬師見習いとして父について学んでいたティリーエの母も成人し、伯爵家の定期診察にも同行するようになった。
そして、伯爵家当主とティリーエの母が出会ったのだ。
ティリーエの母は、リリラーラという名前だった。
歌声のような名前だなと、伯爵は言ったそうだ。
母は金に近い蜂蜜色の髪に、グレーの瞳。
陶器のような白く艷やかな肌に、薔薇色の唇。
茶髪や黒髪など、暗い髪色が主流のこの国において、ひと目で異国の出身と分かる美しい容姿に加え、薬師としての献身さと優しさがある女性だった。
教会の壁画に描かれている女神様に近い外見も手伝って、治療を受けた後に拝む人までいたと聞いている。
伯爵はといえば黒髪黒目の中肉中背、ごく平凡な容姿の穏やかな男だった。家督を継いですぐ、政略結婚をした。
執事から強く勧められた女性だ。
ディローダという金持ちの子爵家の女だった。
子爵家は他国との貿易業を営んでいたから、伯爵領の特産品を輸出したり、他国の品種や肥料を安く卸してくれると進言され、なるほど有益な相手だと思えた。
彼女からの持参金で、領民に新しい農機具や肥料を買って配給をするつもりだった。
しかし、結婚してから分かったのだが、ディローダは想像以上に傲慢で浪費家な高飛車令嬢だった。
子爵家より高位貴族だからこの伯爵家に嫁いだのに、実家より全然贅沢できないと毎日文句を聞かされる。
気に入らなければ喚き、使用人に当たり散らす。
そんな妻を諌められない情けない当主として見られる辛さまで加わって、伯爵は毎日命を削って生きることとなった。
領民に還元するはずだった持参金は喰い潰され、湯水のように金を使うから、むしろマイナス収支だ。
もともと農耕貴族の家系でのんびりとした生活をしていた当主は、胃が痛む生活を強いられた。
唯一、月に一度の定期診察で顔を合わせる女神、リリラーラに癒やされ、心の支えとしていた。
そんな時、義務として行っていた夫婦生活が身を結び(?)、ディローダが懐妊した。
こんな貧乏っちい家じゃ不安でお産が出来ないと断言し、彼女は出産まで早々に実家へ里帰ることになった。
久々に圧政から解放された伯爵はある定期診察の日、気の緩みと安心感から、リリラーラに想いを打ち明けたのだ。
ひとときも安らぎのない我が家において、君が来てくれる日だけは光がさすようだ、と。
この家は針の筵で、身体を中から焼かれているように辛い。
本当は陽だまりのような君と、ずっと一緒にいたい、と。
リリラーラは驚いたが、ヒステリックで高慢な伯爵の妻をよく見知っており、些細なことで罵られる伯爵に同情していたし、その弱さや優しさを好ましく思っていたから、良くないことと知りつつ、その気持ちを受け入れ、関係を持ってしまったのだ。
そして、あろうことか、リリラーラも懐妊してしまう。
しまう、という言い方は適切ではないかもしれないが、本当に予期せぬ出来事であった。
妻の妊娠中に他の女を妊娠させたなどとなればさすがに伯爵家の外聞が悪くなるし、ディローダに知られれば母子ともにただでは済まない。
リリラーラは祖父にこっぴどく叱られたが、お腹の子に罪はないと、産むこと自体は否定されなかった。
さすがに伯爵家に合わせる顔もなく、祖父と身重な母は逃げるようにこの街から離れた。
薬師はどこでも人材不足だから、どの街でもそれなりにやっていけた。
そうして、ディローダが娘、ジェシカを産んだ4ヶ月後に、リリラーラは遠い街で密かにティリーエを産んだのだ。
祖父、母、娘の3人家族は各地を転々としながらもしばらくは楽しく幸せに暮らした。
薬師の家だけあって、薬草や人体の構造についての本が山程あって、ティリーエは絵本代わりに毎日それらを読み、自然と覚えていた。
2歳で数を理解した時は、既に
「けーつい(頚椎)ななつ、きょーつい(胸椎)じゅーにこ、よーつい(腰椎)いつつ」
と脊椎の数を覚えていた。
左右の概念が分かる4歳では
「ぜんとうよう(前頭葉)からおりた運動しんけいは、のうかん(脳幹)で交差する。右脳がケガしたら左のからだが、左脳がケガしたら右のからだに障害がでる」
と脳神経について理解できていた。
この子は神童だ天才だと、祖父も母も喜んでくれた。
それが嬉しくて、どんどん本を読み、人体と薬草を学び、知識を深めた。
他者への提供や実際の治療は、慣例で12歳になってからだと言われていたから、実地練習はしたことがなかった。
ティリーエは実地練習ができる日を楽しみにしていたのだけれど、結局、その日は訪れなかった。
ティリーエが10歳の時、母が突然、死んでしまったからだ。
そこから、ティリーエの運命が、大きく変わり始めた。




