帰路…お出掛けリベンジ②
あっと言う間に夜になり、その日は宿屋で一泊することになった。
行き道は野宿だったし、そもそもティリーエは旅行に行ったことが無く、お泊りが初めてだった。
セリオンが受付帳を書いている間も、物珍しげにキョロキョロしている。
たまたま部屋は空いていて、隣続きの部屋を取ることができた。
ティリーエはまだ昼飯が消化できておらずお腹がいっぱいだったが、セリオンはどこかへ食べに出るようだった。
男性の胃袋って本当にすごい。
部屋にはバスタブは無いが、シャワールームがついていた。
さすがに、魔物討伐中は湯浴みができず、沸かした湯で温めた布で身体を拭くだけだったから、熱いお湯が身体を弾く感触が気持ち良い。
持ってきた石鹸を泡立てて肌を滑らせれば、汚れも疲れも取れて流れていくようだった。
水魔法の使い手と、魔道具の設計士に感謝しながら全身をくまなく洗い上げた。
ほかほかと湯気を立てながら浴室から出て夜着に着替え、髪を拭いていると、ノックの音が聞こえた。
「ティリーエ、俺だ。今戻ったが、無事か…?」
どうやら夕飯から帰ってきたらしい。
ティリーエはカチャリと鍵を開けてセリオンを迎え入れた。
「セリオン様、湯浴みをしたらサッパリしました!
すっっごく気持ち良いですよ!
ハッ! セリオン様は石鹸をお持ちですか? 無ければお貸ししま」
一気に話しかけ、目の前のセリオンが真っ赤なことに気付いた。
???
「と、とにかく無事で良かった。この街は治安が良い方だが、安易に鍵は開けないようにな…。
先程外に出た時に、珍しい果物を見つけたんだ。
もし夜に腹が減ったら、つまむと良い」
夕飯が不要だと言うティリーエを心配して、何か食べられるものを探してきてくれたようだ。
ティリーエの手の上に、木苺が盛られた小籠を乗せる。
ぷっくり大きくよく熟れて、見るからに甘そうだ。
「まぁ、すみません。ありがとうございます。
セリオン様も召し上がりますか?
温かい薬草茶なら、ご用意できますよ」
腹には何も入らないと思ったが、果物なら入りそうだ。
その気遣いが嬉しく、ティリーエは満面の笑みを浮かべて部屋のテーブルを示した。
その可愛らしいことと言ったら…!
セリオンはたいした返事もできずに曖昧に断り、おろおろと自分の部屋に逃げ込んだ。
危なっ!
夜に宿屋であんなに可愛い顔をされたら、本当に危険だ。
私じゃなかったら耐えられて無かったぞ。
うっかり抱きしめてしまう所だった。
濡れた髪がまた煽情的だし。
普段から精神力を鍛えていて良かった。
耐えた自分を褒めてあげたい。
だいたい何だあの夜着は!
ほぼ布そのものじゃないか!
ティリーエは手荷物を減らすため、1番薄くて嵩張らない夜着を持ってきていたが、それは着古してボロボロで、セリオンにとって服と呼べるような物ではなかった。
明日は朝1番で服屋に行くぞと心に決めて、何とか眠りについた。
ティリーエはというと、セリオンの葛藤など全く知らないまま久々の柔らかいベッドで、誰の目も気にせず大の字になって転がる幸せに酔い痴れていた。
昨日、今日は本当に夢見心地で、自分がこんなに幸せで良いのだろうかと不安になるくらいだ。
行き道は、地図を片手に知らない道を馬車の乗り継ぎで進み、夜は野宿で碌に眠れず、前衛地、後衛地でもそれなりに緊張していたからいつも気が張っていた。
けれど、団員の皆に喜ばれ、初めて医術師に認められ、帰りは侯爵様の庇護下で安心して過ごせている。お土産まで買ってもらい、美味しい食事をご馳走になった。
「お母様の言う通り、辛いことの後には、幸せが待っていたのだわ…」
窓際に置いている小瓶の飴に目をやってから、枕に顔を埋めた。
そのまま、深い微睡みの中に落ちていった。
翌朝は簡単な朝食をとり、開店と同時に服屋に連れて行かれた。
ティリーエは大丈夫ですと遠慮をしたが、どうしてもセリオンが買うと言って聞かないので、渋々了承した。
店主のマダムから、「男性に恥をかかせてはなりませんよ」と優しく諭され、確かに自分の服はすす汚れて色褪せているし、侯爵様の横を歩くのに不釣り合いなのかもと思い直したからだ。
セリオン様に恥ずかしい思いをさせてはならないと思い、ワンピースを買うことにした。
アクアブルーとパステルグリーンで悩んでいたら、両方買われてしまった。
また、セリオンは店員に、彼女に似合う着心地の良い夜着も見繕うよう頼んだ。
露出の少ない物をと念を押す。
土埃にまみれたワンピースはそこで処分となり、着替えたら簡単にヘアセットまでして貰った。
ついでにセリオンも綺麗なシャツとズボンを買って着替え、店を出る。
降って湧いた上客に、マダムも上機嫌で見送りに出てきた。
「本当にお似合いなお2人ですわ。どうぞお幸せに」
深々とお辞儀をされてしまった。
さすがにその意味が分からないティリーエではないので、勘違いを訂正すべきか迷ってセリオンを見上げるが、セリオンは表情を変えずに小さく頷き、さっさと馬車へ向かった。
そうか、もう来ることも無い街で、会うこともない人なのだ。
いちいち訂正なんて必要なかったとティリーエは理解し、マダムに向かって一礼してからセリオンの後を追う。
凛とした背中のセリオンの顔が、誰も見たことがないくらい緩んでいることは、ヴェッセル家の御者しか知らない。




