薬師ティリーエ
テディベアに問われ、傷に向き直る。
どうやら試されているらしい。
ティリーエは一瞬傷口を凝視した後、持ってきた浄水で傷を洗い流して裂傷の深さを確認した。
ふむふむ。
ティリーエは言った。
「出血が多いけど傷は骨に達していません。真皮と脂肪層までです。一部筋肉が傷ついていますが、ほんの少しです。これであれば、消毒と縫合で治癒できると思います」
「‥‥消毒には何を使う?」
「一応家からは蒸留したアルコールを持ってきています。
また、化膿止めであれば、サハの汁が良いと思います。
さっき、道中に自生している場所がありましたから、調達も容易いかと」
テディベアは少し考え、そして「君に任せる」と言った。
責任者である彼がティリーエに任せた場合、失敗すれば責任を取らされる筈だ。
ティリーエは驚いたが、とりあえず目の前の患者さんに処置をするのが先決だ。
本来、縫合は医術師の領分だが、緊急時や医術師の管理下では薬師もして良いことになっている。
また、ティリーエは間違いなくできる自信があった。
まず、洗い流した傷口の水分を、清潔なガーゼで拭き取る。
次に、自身の手をアルコールで消毒し、持ってきた別の液体を、皮膚表面に塗って乾かす。
そして、カバンから1番細い針と、アガラスの線維で作った糸を取り出した。
針を火で炙って、再度自身の手をアルコールで消毒し、素早く縫合を始める。
本当は、縫合などしなくても、聖力で傷を塞ぐことはできる。
ただ、今はティリーエの一挙手一投足をファラが注視しているから、おかしなことはできない。
それに、信頼して貰えなければ、この先治療にあたらせて貰えない気がする。
ティリーエの薬師としての判断力や技術を見極められていると感じていた。
縫合は脂肪層、真皮、表皮と3段に分けて行ったから、結構時間がかかった。10分程だろうか。
最後に皮膚表面を閉じて、化膿止めを振りかける。
こっそり"綺麗に癒合しますように"と祈れば、痛みが引いたらしく、兄団員は静かに寝息をたて始めた。
ティリーエが額の汗を拭って身体を起こすと、ファラが尋ねた。
「縫合を始める前に塗っていた薬。あれは化膿止めではないようだったけど、何を塗ったの?」
「あぁ、あれはアネスシージャの葉を煎じたもので、要は麻酔です。数刻だけ、皮膚表面の感覚を麻痺させられるのです」
「はっ!? アネスシージャ!?
あれは、イノシシや鹿を捕らえるときに鏃に塗って使う痺れ薬だぞ!? 熊だって倒せる毒だ!
それを人に使ったというのか!?」
ファラは呆れと怒りの籠もった顔でティリーエを見る。
「え… だって、縫合って痛いじゃないですか」
ケロリとティリーエが答えた。
「ファラ様は、自分の腕を、針と糸で縫ったことはありますか?」
「はぁ??? 勿論無いけど…」
「でしょう? 絶対、死ぬ程痛いと思いませんか?」
「それは… まぁ… そうだろうな」
「でしょう。 アネスシージャの葉は、噛んだり食べたりすると痺れて動けなくなる毒草です。
ご存知の通り、神経毒が含まれます」
「そうだ、そんな危ないものを…」
「ではなぜ、狩猟で使うのです? 狩猟はスポーツ目的以外では、野生肉を楽しむために行われますよね。
あんな巨体が倒れる痺れ毒ですよ。 そんな毒を喰らって倒れた獣を食べたら、食べた人も異常を来たすと思いません?」
「む… 確かに…」
「でも実際には、アネスシージャを使って仕留めた獣も普通に食べることができます。
アネスシージャの葉の良い所は、持続性や残留量が低いことです。
裏を返せば短時間しか作用しないので、狩猟で使った時は即刻止めを刺さねばなりません。
身体に入れば30分程度動けなくなりますが、それを過ぎると元通りに動き出します。揮発性というか、昇華が早く身体に残りません。
また、大量に摂れば運動麻痺で動けなくなりますが、少量を薄めて摂れば、感覚麻痺程度に留められます。
触覚や痛覚を感じなくなるのです」
「‥‥‥‥」
「私と祖父が作ったこの煎じ薬は、10分程度感覚を感じなくなり、15分後には感覚が完全に戻るものです。
その希釈と調薬配合は私と祖父の秘密です」
ティリーエは人差し指を小さな唇に当てていたずらっぽく笑った。
「ですから、縫合は14分以内、できれば10分以内には終わらせたいですね。
なるべく痛みを感じないように」
ティリーエは、穏やかに眠る目の前の彼の背に、そっと手を置いた。
先程まで不安に目を潤ませていた付き添いの彼(弟)も、安心したのか傍に座り込んだ。
ファラはしばらく黙り、そして両手を挙げた。
「僕の負けだ。君は素晴らしい薬師だよ。先程は失礼なことを言った。本当に申し訳なかった」
お見逸れしました、と手をひらひらさせる。
「こんな戦場じゃ、痛いのなんて当たり前さ。
それを気遣って苦痛を少なく治療しようとするなんて…
マトモに縫合ができる薬師だってかなり稀だよ?
腕があって優しい薬師なんて、そんなのアリ?
最近で1番のびっくりだね」
認めて貰って嬉しい反面、褒められ慣れていないティリーエは酷く照れていたが、またすぐ次に運ばれてきた患者さんの治療にあたることになった。
最初はじっと傍でついて見ていたファラだったが、途中からは2人で手分けして治療にあたり、別々に診療をするようになった。
びっくりする程に効率良く、スムーズに作業は進んだ。
ファラの監視が外れてから、ティリーエは聖力をバリバリ使った。




