ナーウィス伯爵ダムアの憂鬱
「ええっ!? 打ち切る!?」
突然侯爵家からティリーエ不在中の補償金を打ち切ると連絡があったのは、ティリーエが侯爵家に行ってから2ヶ月後のことだった。
伝令には、伯爵家が就労年齢に満たないティリーエを不当に働かせていたこと、給金や休暇を与えず、身体を壊すまで労働を強いたことなどから、未成年保護令違反であり、貴家に彼女を養育する権利は無いと書かれていた。
ティリーエ不在の間に、十分すぎる補償金は支払ったため、これ以上の支払い義務は侯爵家に無い。
この上は、きちんと正当な給金で使用人を雇い、正しく管理すること、と。
また、万一再びティリーエを害することがあれば、これまでの悪事を詳らかにし、王家に訴状を提出、侯爵家が総力を以て伯爵家を訴追する(要は王家に言いつけて爵位を返納させるぞ)とも書かれていた。
伝令を読んだナーウィス伯爵家当主、ダムアは真っ青になって震えた。
ティリーエに関して行われたことを、全て知っているぞと言われている気がしたからだ。
確かに、ダムアが気付いた時には既に、ティリーエは痩せ果てた身体でボロボロだったし、ディローダの"無給金で労働"案に『好きにしろ』と許可を出したのは自分だ。
ただ、この書状では、このままで大人しく平常に過ごせば、とりあえずのお咎めはナシ、とも読み取れた。
セーフだ。
危なかった。
2ヶ月分とは言え補償金は莫大だったし、まだまだ資金に余裕はある。
「と、とりあえず事を荒立てられなくて良かった。
侯爵様の温情に感謝して、また以前に戻って暮らそうか」
「馬鹿じゃないの!?」
ダムアの声を遮るように、ジェシカが吐き捨てた。
「あいつは母親の代わりに贖罪をしていただけよ。
別に私達が不当に虐げたわけじゃないわ。
なるべくしてなった、あるべき形だったのよ。
あいつは多分、侯爵様にある事無い事言って、情けを縋ったのね。
哀れに思った侯爵様がこのような手段に出たのだわ。
さすが、血は争えない、男を騙すのが得意な女狐!」
ダムアは娘の気迫に口を噤んだ。
「その通りよ、ジェシカ。私達は何も悪いことはしていないわ、むしろ夫を寝取られた被害者の側よ。
ヴェッセル侯爵はまだお若いそうだから、夜の汚れなど知らないのだわ。
それを分からないなんて…」
ディローダがギロリとダムアを睨みつける。
蛇に睨まれた蛙とは、まさにこの状況だろう。
ダムアの脂汗が止まらない。
「まぁでも、しおらしくするのは、まだ青い侯爵サマへのポーズとして有効そうね。
その間に、何か手を考えましょう」
暗赤色の唇を釣り上げて、ディローダが嗤う。
ジェシカも瓜2つの顔を歪めて笑っていた。
ダムアは、冷たい背中にシャツが張り付くのを感じながら、この2人から逃げ切ることなんて出来ないのだと、天を仰いで目を閉じた。
◇
「信っじられない! アンタ怠けてるんでしょう?」
「こんなにお金がかかるわけないじゃない!」
ジェシカのヒステリックな声が屋敷に響く。
「そっ…そんなことを言われましても、これっぽっちの予算では、とても4人分の御食事は作れません」
「1人で掃除、洗濯、庭仕事に料理、奥様とお嬢様のお支度など、できるわけないではありませんか」
ティリーエ不在中は、侯爵から貰った補償金で外食三昧、ドレスは買い放題、スパにエステにと散財をしていたが、打ち切りとあって、再び使用人を雇うことにした。
その使用人が、ひたすら使い物にならないのだ。
「前の使用人でさえ、これでコース料理、デザートまで4人分仕上げていたわ」
「埃一つ無く部屋を磨いて庭も管理していたし、いつも清潔なシーツをベッドに張っていたわ」
そう言っても、新しい使用人は泣きそうな顔で首を横に振るばかり。
「そんなの、到底できるわけありません。できるとしたら、魔法使いだけですよ」
「あの子に魔力は無いわ。神官様が、そう仰ったのよ」
泣き言だらけの使用人を扇子で叩きながら、ジェシカの苛立ちは収まらない。
どいつもこいつも愚図ばかり。
家事程度もあいつに劣るなんて!
結局、ティリーエがしていた量の仕事を全て使用人が行う場合、最低でも5人を雇う必要があった。
そんなことをしていたら、貰った補償金はすぐに底をついてしまうだろう。
そもそも、既に半分以上は使ってしまった。
もう!
もう!
何1つ思い通りにならない!
ジェシカは地団駄を踏んで歯軋りをした。
そして1ヶ月が経ち、やはりというか何と言うか、資金が底をついた。
たまたま昨年は領地に悪天候が続いて不作だったこともあり、領地収入も少なかったのだ。
2人は補償金を打ち切られても一度覚えた贅沢を忘れなかったし、変わらず散財をし続けた、当然の結果だった。
ダムアは一度、宥めすかしてジェシカを役所の前まで連れてきた。
王城からのお布令で募集があった、魔物討伐部隊の野営補助者に立候補させるためだ。
ジェシカは火の魔力持ち。
特別な訓練はしていないが、火を起こして野営を保つくらいはできる。
野営補助で戦士を支え、健気で優しい令嬢を演じれば、魔術師団の高位貴族に見初められるかもしれないし、給金は破格で、しばらく2人が贅沢できるぐらいの額を貰える、一石二鳥の案だった。
「ジェシカのような美しい女性は、居てくれるだけで士気が上がるさ」
「女性の魔力持ちはとても希少なんだ、きっと大切にされて喜ばれるよ」
言葉を尽くしてあの手この手で気を引き、ジェシカも満更でもない様子で役所の前まで来たのだが、直前になって翻意した。
「やっぱり、働くなんて嫌よ。
戦場なんて、ドレスが汚れたらどうするの?
私が魔術師の世話をするなら、誰が私の世話をするの?
ふかふかの綺麗なベッドでしか眠れないもの。
野営なんてできるわけないじゃない。
しかもお風呂に毎日入れないのでしょう?
そんな汚れ仕事、平民がしたら良いのよ」
役所は街の中心部にあり、貴族も平民も集う場所で、そんなことを憚りもせず言うものだから、ダムアはまたしても冷や汗をかくことになった。
周りの視線が痛い。
慌ててジェシカを屋敷に連れ戻した後は、ご機嫌とりに明け暮れた。




