新しい一歩
ティリーエが祖父の元に帰って1ヶ月が経った。
最初はなんだか通夜の後みたいな雰囲気だったヴェッセル侯爵家も、少しずつ日常を取り戻しつつあった。
「明日はまた北で魔物の討伐だ」
セリオンがビアードに支度を頼む。
「またあの地でございますか?」
北の辺境へは、少し前に討伐へ行ったばっかりだった。
この国の北側と西側は森と山と崖と岩場の荒地が広がっており、魔物が暮らしている。
これまではあまり中央に近づいて来なかったのに、最近徐々に距離を詰めてきているようなのだ。
「あぁ。最近は魔物が力を付け始めているのか、数も増えているし、一度に討伐できる数が減っているのだ。
このままでは街に降りてきて被害が出ないとも限らない」
「魔力持ちは元々希少ですが、最近は数ばかりでなく質も下がっているとか… 坊ちゃまの負担が増えるばかりですな」
ビアードは若き当主を気遣う。
国で5本の指に入る魔術師であるセリオンは、氷魔法で右に出る者はいない。
美しく強い師団長として名を馳せている。
ただ、氷は相性や適正を選ぶ。
火系の魔物が大量にいる場合、数で押されることがあるのだ。
ビアードの言う通り、魔術師の力が低下している気はしていた。
今までは魔術師1人で平均50匹の魔物を屠っていたのに、最近の新参魔術師は30匹が精一杯だ。
守ってやらなければならない者もいて、師団長として自分はなかなか戦いに集中できない。
「言っても仕方がない。仕事だ」
息を短く吐き出し、話を切り上げた。
◇
祖父はティリーエの物覚えの速さや正確さに度肝を抜かれていた。
天性の才能と言っても過言でないセンスで薬草を組み合わせ、副作用を最小限に効果は最大にと、新しい薬効の薬をたくさん作り出した。
薬効だけでなく、同じ効能で苦みを感じにくいとか甘みを感じるなど、子供が服薬しやすい薬も多数精製した。
お陰で祖父の薬屋は連日大盛況だった。
希少な薬草は全て複製ができるから、平民でも買える値段で販売できることも喜ばれていた。
幸い、この界隈で商売敵もいないため、安価で販売しても困るものや嫌がらせをするような人はいなかった。
勉強をすればする程、人を助ければ助ける程にティリーエの聖力は上がっていった。
以前は身体組織の組成や走行を、詳細にイメージして組み立てなければ修復できなかったが、今では手をかざすだけで軽い外傷なら瞬時に治すことができる。
まぁ、医学書の内容は全て頭には入っているが。
ただ、不思議な力のことは秘密なので、特に何の効能もないジェル状の樹液を塗り拡げる時に祈り、治すようにしている。
名付けて、"あたかも最高の薬を塗ったごとし"作戦だ。
先日は骨折患者だったが、ティリーエが「捻挫ですね!」と言ってジェルのついた湿布薬を貼った。
貼るときに治るように念じれば、骨はしっかりくっつき、すぐに患者さんは歩けるようになった。
「丸太が足に落ちて、めちゃくちゃ痛くて絶対折れたと思ったんよ! なのに捻挫とか言いだしたからこいつヤブだと思ったのに、今は全然痛くない! ありがとうな!」
そう言って少年は喜んだ。
連れてきた母親らしき人はその失礼な物言いにずっとペコペコしながら謝っていた。
ティリーエが薬を塗ればたちまち傷が治るとあって、女神の薬師は、瞬く間に評判となった。
擦り傷、切り傷、骨折、そして筋肉の裂傷、挫滅、神経損傷…
だんだんと難易度を上げて聖力を使っていく。
後半は、一度に治すといくらなんでも怪しすぎるので、少しずつ癒やし、何回か通ってもらって治すようにした。
でも本当は、一気に治せる。
祖父も、まさかこんなに早く見習いを卒業できるレベルになるとは思わなかったようだ。
もともと、小さな頃から医学書や薬学書を読んでいて本当に良かった。
そんな時、街に王城から御布令が出された。
魔物討伐部隊の、参加者募集だ。
①魔術師
②医術師、薬師
③野営補助者
性別は問わない。
報酬は… 破格の値段が提示されている。
平民の年収の3倍の給金だ。
①の魔術師枠で応募した場合、成果を出せれば正式に王立魔術師団の団員として採用されるらしい。
②の医術師、薬師枠は、戦闘で怪我をした魔術師の手当や保護、療養を目的にしている。ただでさえ希少な魔術師を簡単に失うわけにはいかないから、負傷後の手当や救命処置の出来る人材は、後衛としてとても大切だ。
③野営補助者は、読んで字の如く、野営の補助者だ。
魔物との戦闘で傷つき戻ってきた者に、簡単な食事の提供や、身体を清めるための湯を沸かして布で拭いたり、物資の追加要請があれば最寄りの街まで買い出しに行くなどの役割を果たす。
この野営補助は調理担当も兼ねることから、魔力持ちの女性が就くことが多い。
それも、水や火の属性が喜ばれる。
魔力持ちの平民の女性に人気の仕事だが、最近は魔力持ちの女性自体が減ったことと、貴族女性は戦場を怖がって行きたがらないため、常に人手不足だった。
これだ!
ティリーエは拳を握りしめた。
街の薬師として対応できる軽い怪我や外傷は、概ね治せるようになった。
後の実践は、大怪我や珍しい外傷のジャンルだ。
魔物にやられた傷は、そこいらの怪我とは違うのかもしれない。
恩義を忘れないティリーエは、有言実行、いずれセリオンの腕を治せるようになりたいのだ。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
同じような怪我を治す経験が、必ず役に立つと思った。
そう話せば、祖父は渋々頷いてくれた。
15歳のティリーエは既に、能力的にも年齢的にも見習いの域は越え、立派に薬師として独り立ちできるのだ。
薬師は国家資格ではなく、免許皆伝型だ。
祖父から"ファルマチーア=ラヴィム"つまり、"ラヴィムの薬屋"を継ぐ者の証(手形)を貰った。
ラヴィムさんというのは、祖父のお師匠様のことらしい。
この手形があれば、1人前の薬師として開業することが認められている。
流行って繁盛するかしないかは、勿論腕次第だ。
不思議な力がバレないようにだけ、十分気をつけなさいと何度も念を押された。
ティリーエは、薬師枠の応募要項を持って、役所の窓口へ向かった。




