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帰宅

ティリーエは新聞と雑巾をひとつずつにし、持って来た時と同じようにバケツにしまった。

軋む膝に鞭打って立ち上がり、義姉から支給されたメイド服の埃を払う。

伯爵家から派遣された『腕利きメイド』として可笑しくないよう、制服は綺麗で新しい。

見るも哀れな程に痩せて枯れ木のようになったティリーエに、フリフリブラウスとキュートなリボンのメイド服はかなり異質な組み合わせだ。

多分、碌に見もせずに買ったものなのだろう。

似合うかどうかなど関係なく、最安値の物を選んだだけ。

しかし一応、花の15歳、年頃の女の子であるティリーエは、この可愛いメイド服を気に入っていたので、そのひらひらしたスカートが汚れないよう気にしているのだ。



「あの…  お仕事、終わりました」


歩くのもやっとの足で侯爵家の本邸に戻り、蚊の鳴くような声で、メイド長に声をかける。



「ええっ!? そんなわけないでしょう!? あれからまだ3刻しか経っていないのですよ!?」



メイド長は驚愕の表情を浮かべる。

おおかた適当に掃除したのだろうと思ったらしく、ティリーエを待たせて現場を確認しに行った。

離れに向うときは憤怒の表情を浮かべていたが、戻ってきた顔は『鳩が豆鉄砲を食ったよう』であり、そのあまりの完璧なぴかぴかさに腰を抜かしたようだった。



「ま… 間違いありませんでした。ちゃんと、お掃除されていました。大変失礼を申しました…」


信じられないという顔で、メイド長が頭を下げる。



「いいえ、構いません。ご確認頂けたのなら、こちらで失礼致します。またお仕事を頂ける時がありましたら、ナーウィス伯爵家にご連絡下さいませ」



お辞儀というよりも、『畳む』に近い礼をして、ティリーエはとぼとぼと歩き出した。

行きは、約束の時間に遅れては信用に関わるからと伯爵家から馬車を出してくれるが、帰りは辻馬車を自分で捕まえて帰らなければならない。



仕事の給金は、いつも先払いだ。

依頼を受けた時点で、伯爵家に支払われている。

ティリーエに渡されることはない。

ティリーエが無事に帰ってくれば、また新しい仕事を与えて働かせるし、もし無事に帰って来なかったとしても、伯爵家は何も困らないのだろう。



ティリーエはふらふらと、辻馬車が通りそうな大通りに向かって行く。

なにせ、ここがどこかも分からないのだ。

歩いて帰るのは、物理的にも体力的にも不可能だ。

辻馬車で家名を伝え、伯爵家に着きさえすれば、余所行きの顔をした執事が、御者に代金を払ってくれる。

その後、居候で使用人のくせに馬車などと罵声を浴びせられるが、仕方ない。

いつものことだ。

地図の見方も分からないのだし。



そう思っていたら、メイド長に呼び止められた。


「貴女、そのような覚束ない足取りで歩くのは危険です。

お仕事も、こちらが期待していた以上の内容を、信じられないほど短時間でされたことに追加でお給金をお支払いしたいくらいです。

どうか、今日は我が邸の馬車でお帰り下さいませ」



そんなことを言われたのは初めてだった。

伯爵家から派遣されているとは言え、令嬢ではなく一介のメイドとして来ているのだ。

馬車を充てがってくれるような人はいなかった。



ティリーエは一応断ったが、メイド長から何度も何度も勧められ、仕方なくご厄介になることにした。



侯爵家の馬車はもう、何というか別世界の乗り心地だった。

高級ベッドに車輪がついているのかしらと思うふわふわぶり。

包み込むような温かさと心地良い揺れ。

掃除で使い果たした体力と疲れから、またしてもティリーエは、目的地に着くまで眠り込んでしまったのだった。




伯爵家に着き、御者に優しく起こされた。

ヨダレは垂らしてなかったかしら… 

多少の気恥ずかしさにうつむきながら、馬車から降りた。

御礼を言って屋敷に入ろうとすると、今日休憩時間にお出しするはずだった物だと、焼き菓子の袋を持たされた。


バターと砂糖の甘い匂いがする。

お腹がきゅるきゅると音を鳴らした。



「お疲れ様でした。 それでは、また」


御者のおじさんの微笑みを見送って、ティリーエは屋敷のエントランスへ進む。



「た… 只今、ヴェッセル侯爵家から、戻りました」



またしても小さな声で報告する。

伯爵家執事のセブルスが舌打ちでもしそうな顔でこちらを見る。

とりあえず、帰還さえ伝われば、今日の食事は貰えるので、ティリーエは頭を少し下げて、自分の住処に戻ろうとした。

ティリーエの部屋は、伯爵邸の裏の畑の横の小屋だ。

こちらの屋敷に引き取られてから、ずっとこの小屋に住んでいる。

元々、庭園の作業道具を入れていた納屋だったようが、今は半分が物置で、半分がティリーエの部屋だ。

最初にこの部屋を充てがわれた時は驚いたが、ティリーエの不思議な力を知られないためにも丁度良い。

雨風が凌げるだけ有り難い。



さて、今日は頂いた焼き菓子をちびちび楽しもうとエントランスに背を向けて歩き出した時、甲高い声がした。



「アーラ! 良いものを持っているのね。

お土産だなんて、アンタにしては珍しく気が利くじゃない」


義姉のジェシカだ。

嫌な人に見つかってしまった…



ジェシカは、コツコツとヒールの音を響かせて近づいてくる。

ティリーエは反射的に身を固くする。

ジェシカはティリーエの目の前で立ち止まり、ティリーエが持つ袋をじろじろと見つめた。



「ヴェッセル侯爵家のお茶菓子ね。 侯爵家のお菓子ともなれば、さぞ美味しいのでしょう。

本来なら、アンタの手に触れた菓子なんか食べたくないけど、今丁度甘いものを食べたい気分だったから、貰ってあげるわ」


言うが早いか、ティリーエから袋を奪い去る。



「あ…」


ティリーエは未練たっぷりに目で負い、手を彷徨わせたが、諦めて肩を落とした。

ほわりと漂う残り香だけ、忘れないよう吸い込んだ。


その様子をにやにやと満足そうに見つめたジェシカは、ふと思い出したように聞いた。



「ねぇアンタ、侯爵の顔、見た? どうだった?」




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