ヴェッセル侯爵家③
中に入ったセリオンが見たものは、見事に仕上がったコットンファブリックの数々だった。
セリオンの希望通りに白から生成りを基調とした清潔な生地に、明るい緑や青みの強い緑など、多様な色使いで複雑な刺繍がされている。
それも、模様のように全体的に、ではなくまるで絵みたいに緩急をつけてというか、ポイントポイントに刺してあり、そのセンスが素晴らしい。
ソファはパッチワークの合わせ布で、柄のあるものが多くとり入れられている。
多少の汚れも気にせず使えるような配慮が窺え、この部屋が住みやすくあるような工夫が感じられた。
カーテンは、光を遮らずに視線は遮られるよう、複雑なドレープやレースを重ね、品の良い高級感と実用性が兼ね備えられている。
「‥‥‥」
大変美しく、細工は細かく、それでいて実用的。
非の打ち所がないとはこのことだ。
が、
どう考えても、こんなに短時間にできるのはおかしい。
だけど、例え魔法を使ってやり遂げたとしてどんな属性の魔法がこんなことをできるかと考えても思いつかない。
本当に不思議だ。
他にも完璧な出来映えの調度品に目を奪われていたが、ハッと本来の用事を思い出した。
キョロキョロと"腕利きの神メイド"を探せば、壁にもたれて気を失っているではないか。
「きっ… 君!!」
肩を揺するが反応が無い。
顔色は以前にも増して青白く、唇に色は無い。
手首で脈を測ろうとするが、脈の気配が無い。
じっとりと嫌な汗をかいている。
まずい。
「す、すまない!」
心の中で謝って、首すじに触れた。
ひんやりして、その肌質は本当に紙に近かったが、僅かに拍動が感じられた。
良かった…
命はまだあるらしい。
すぐに壁からその身体を離して右手で引き寄せ、呼吸を確認する。
良かった、浅いがギリギリ息がある。
それにしても、驚くほど軽い。
まるで羽のようだ。
いつも仕事に持っていく鞄の方が重い気がする。
侍医を呼ぶようメイド長に伝え、執事に本邸まで運ばせて客室のベッドに横たえた。
執事も、その身体の軽さに驚きを隠せなかった。
本当に、このメイドには驚かされてばかりだ。
◇
実に3日間、ティリーエは眠り続けた。
これまで寝たこともない、ふわふわの羽毛布団に包まれ、陽当りの良い部屋で…
全く目が覚めなかった。
充分な睡眠をとり、満を持して(?)目覚めてから驚いた。
ウウーンと背伸びをし、周りを見渡す。
ここはどこ??
美しい部屋に柔らかな寝具。
もしかして天国?
私はついに死んでしまったのかしら。
おじいちゃん、先立った不幸をお許し下さい。
さて母様に会いに行こう。
上半身を起こせばクラッと目が回る。
起きていられなくて、ぽふんっと、また布団に身体を埋めた。
石鹸の匂いがする。
再びまどろんで、優しい眠りに吸い込まれていった。
◇
「まだ目覚めないのか」
王城での会議から帰宅してメイド長に聞くが、困った顔をするばかり。
侍医の診察結果は、完全な栄養失調、発育不全だそうだ。
アバラが浮き出て骨も細く、あれでは転んだだけで全身複雑骨折しますよと言っていた。
老婆だと思っていたが、14〜15歳の娘だそうだ。
伯爵家で劣悪な環境に置かれていたことは明らかだ。
執事に命じて、このメイドについて調べさせている。
使用人相手だとて、虐待は犯罪だ。
絶対に許すことはできない。
腕利きの神メイドは、倒れて4日目に、部屋から出てきた。
出てきていきなり足がもつれて転んだが、幸いなことに骨折はしなかった。
4日眠っていたことを知った時は顔面蒼白で震えだし、見るだけで可哀想だった。
ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんと、額を床にすりつけるのも、すぐに止めさせた。
とりあえず、消化の良いパン粥をコックに作らせて出すと、涙を流しながら食べていたが、半分も食べられなかった。
名前を聞くと、小さな声で「ティリーエです」と答えた。
顔色は、倒れた日よりはだいぶんとマシになっている気がした。




