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いつもの仕事

目の前がかすんで揺れる。


窓枠が2重にも3重にも見え、汚れとそうでないものの区別すらつきにくくなっていた。


ティリーエは必死で頭を振り、視界を保とうとした。

ギュッと目を瞑り、細く開くと、何とかギリギリ、部屋の様子が分かってきた。






今日の仕事は、どこかの貴族のお部屋掃除だ。

どこかの、というのは道中の馬車で死んだように寝ていたので、はっきりとした位置関係が分からないためだ。

着いて御者に叩き起こされ、学校の校舎くらいあるお屋敷の前に放り出された。

このお屋敷で命じられる仕事を終えなければ帰ることは許されない。

馬車はあっという間に見えなくなった。



お屋敷に入る時、丁度依頼主らしき人が出掛ける所だった。

身なりがよさげな男性で、使用人ぽい人が側で頭を下げている。

ティリーエは、挨拶の作法も分からないが無視は良くないだろうと会釈をすると、酷く驚いた様子だった。

その時から既に視界がブレブレだったから顔もよく分からなかったけど、比較的若い当主のようだ。

どうでも良いけど。




お屋敷に入ってしかめっ面のメイド長から命じられた仕事は、ずっと使われていない離れの部屋の掃除だった。

ここはヴェッセル侯爵家の屋敷らしい。

案内されてみれば、その部屋は確かに酷い有様で、床は木の色が分からないほど埃まみれ。

ガラスは白くけぶり、外の天気も分からないような霞みっぷりだ。

何年もこの状態だっただろう部屋を何のために掃除するのか、なんて、考えても仕方ないし知らされていない。



ただとにかく今日は、この部屋をぴかぴかに磨き上げなければ帰ることは許されないし、1日1回の食事の時間に間に合わなければ、食事すら貰えないのだ。



メイド長が仕事場に戻ったことを確認してから、もう1度部屋を見渡す。

疲れ切った目と、空腹でふらふらの頭と身体が、正常な視界を保てない。身体と部屋の境界線まで、分からなくなりそうだった。

ティリーエは、自分の枯れ枝のような手足に触れる。

肌もガサガサ、乾燥していて指先はボロボロだ。



「おばあちゃんみたいね」



自嘲ぎみに呟いた声は小さすぎて、この広い侯爵邸の冷えた空気を震わせることもなかった。



「さぁ始めましょう」


誰に言うともなくそう口にするのは、気合いを入れたいから。

空腹と体力の限界で、立っておくのもやっとだった。



持ってきたバケツには、コップ1杯の水とボロ雑巾がひとつ。

あとは新聞紙が一巻き。

それ以上重たいものは、今のティリーエに持ち運ぶことはできない。




ふぅ…


ティリーエがため息をついて指を組む。


胸に念じると、コップからこぽこぽと水が溢れ出した。

雑巾は、ボロのままではあるが、いつの間にか20枚くらいに増えている。

一巻きだった新聞紙も山と盛られていた。



ティリーエが大きく両手を開くと、コップから溢れた水を吸った雑巾と、乾いた雑巾が一斉に壁や床を走り出した。

新聞紙は、ガラスを磨き始める。



ティリーエは、さながら指揮者のように腕を動かし、それらを上手に操って(それでも2時間はかかった)、壁と床、窓拭きを終わらせた。



うぅっ…   はぁっ  はぁっ  はぁっ



ドサッと座り込み、壁に背中をもたせかけて荒い息をつく。


お腹が空いて力が出ない…



震える手でポケットの小瓶を探る。

指に当たるガラスの感触に安堵する。

中には飴玉がひとつ入っていた。


コロンと取り出し、掌の上に乗せる。

さっきと同じように胸に念じて、飴玉を複製・・した。

そして、ひとつを口に放り込み、ひとつはまた瓶にしまった。



口の中に、とろんとした甘みと、花のような良い香りがする。

なんの味の飴なのか、ティリーエは知らない。

ただ、亡きお母様から頂いた大切な飴玉だ。

ほっぺたの中を転がして、小さな幸せを噛みしめる。



これは、お腹が空いて空いて仕方のない時に食べるようにしている宝物。

こんな嗜好品、義母や義姉に知られたら取り上げられるに決まっているから、小さな小瓶にひとつだけ残して、見つからないよういつも持ち歩いているのだ。

食べている所を見られでもしたら危ないので、滅多に出して食べることはない。

だけどここは他人の屋敷。

義母や義姉に見られることは無い。

だから、久々に口にした。

飴は腐らないと聞いたことがあるが、何年も前の飴だから、実際の所はどうなのか分からない。

でも、腐っていたって構わない。どうせ今も、死んでいるようなものなのだから。



甘みが体温となって、お腹も指先も少し血が通った気がする。

飴玉はすぐに溶けてなくなった。

ティリーエはそのまま、少し気を失ったように眠った。





閉じていた目を開けると、水拭きの後で乾拭きをしていた床は、しっかり乾いていた。

まだ身体に力は入る。指も動く。

あとは、ワックスをかければ完了だ。

また手を動かして新しいボロ雑巾を複製すると、メイド長から預かっていたワックスを取り出し、水拭きと同じ要領で作業を進める。



今度は半刻ほどで作業は終了した。




新しいお話を書き始めました。

最初は悲しいお話が続きますが、ティリーエの幸せな未来のために、しばらくお付き合い下さいませ(*‘ω‘ *)

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