番外編4 自信と虚栄心について
ここからリクエストしてもらったテーマを元にした考察です。
今回は礼儀・言葉づかいについて。
その25の例文で出した「王様にタメ口をきく主人公」のように、『テンプレ』にはやたらと敬語を使わずタメ口で押し通そうとする主人公が多くないか? というご意見をいただいた。
確かに、多いかと思う。
20代からの社会人を主人公とした場合はそれほど見られはしないが、10代の中高生を主人公とした場合は9割くらいが終始タメ口なんじゃなかろうか。
また、主人公の年代を問わず、大よそは礼儀知らずだ。感想欄でもよくこの点に対する指摘が散見されている。
傲岸不遜、唯我独尊。
好意的な解釈をすればこのような意味合いにもとれはするが……それならその性格に合った言動や行動をしなければならない。
敬語とは、言葉の通り相手を敬う言葉だ。
現代日本において、目上の人間に対して綺麗な敬語で受け答えができる人間は、ほぼ例外なく好印象かつ高評価だ。これは礼儀正しさにおいても同じことだ。
異世界ではどうなのかは知らないが、王政でしっかり身分差が表れている世界観であれば、こういった礼儀や敬語の概念がないとは思えない。
王の前では膝を着いて頭を下げる。背筋を伸ばして左胸に右の拳を当てる、なんてのもあるだろうか。兵士が王や大臣を前にして敬語を欠くシーンなど見たことが無い。
こういった背景から、少なくとも「異世界だから礼儀や敬語なんてなくてもいい」という考えは通用しないだろう。
人はなぜ他人に礼儀を払い、目上の人間には敬語で接する必要があるのか。
様々な要素があるとは思うが、主だった理由としては『配慮』だろうか。
『配慮』とは、相手への思いやり、相手を立てる意思表示のこと。
王様への謁見時に頭を下げて敬語で話すのには、「相手はこの国で一番偉い人なんだから、言葉や態度は選ばなければいけない」という意思を周りに伝える効果がある。
王様含め周囲の人間は「ああ、この者は自分の立場を弁えて、しっかり考えて行動しているのだな」という評価が、たったこれだけで成立する。
中高生のような若者に『個人特性』としての魅力を付与するには、実はこの礼儀と敬語は意外と使えるのだ。「若いのになんとできた礼儀正しさだろうか! 親御さんの教育がよかったのか、それとも彼自身の努力の賜物か」と、少々大げさに書いてしまったが、概ねこれに近い心境を周囲の大人に植え付けることができる。
教育が行き届いた現代日本でもこれなのだ、文字を書けることが当たり前ではない(ことが多い)レベルの教育水準である異世界ならば、間違いなくこの『個人特性』は強い。
逆に、王様に対して敬語を使うべきでない状況を考えてみよう。
まずは、自分がその王様より地位や身分が高い場合。
大帝国の皇帝が、小国の王様に敬語を使ったり頭を下げたりするのは不適切だろう。
礼儀はともかくとして、敬語については「私はあなたより立場が対等、または下である」という意思表示にもなっているので、この場合はむしろ使わない方が正解だ。「皇帝としての威厳が!」「配下に示しがつきませぬ!」と家来から待ったをかけられるのはこういう理由だ。
また、少々イレギュラーではあるが『自信』においても敬語を使うべきではない状況があり得る。
これは名作ファンタジー漫画“バスタード!(著 萩原一至)”がいいお手本だろう。
主人公は、大昔に世界征服のために暴れまわったため封印されていた悪の大魔導師。
封印から蘇った主人公は、王国から闇の軍団と戦うため力を貸してほしいと頼まれるが、終始偉そうな態度を崩すことをせずに断っていた。まぁ……ヒロインには何故か逆らえず、渋々協力していたが(これはこれでコミカルな面が出て面白いのだ)。
主人公はとにかく自分の力に絶対の『自信』を持っており、仮に世界中が敵にまわったとしてもすべて捻じ伏せられると考えていた。
冒頭で挙げた傲岸不遜、唯我独尊キャラのお手本とも言える存在だ。
王道の西洋ファンタジーということもあり、『テンプレ』作者さんはぜひ一読してみてほしい。これまでの考察など歯牙にもかけない勢いで突き進む主人公の痛快な冒険活劇は、まさに『主人公最強』の完成形とも言えるだろう(ついでに『インフレ』面も振りきっている)。
こういったキャラだと、敬語を使うのはむしろ『個人特性』を殺す結果となるためオススメできなくなるわけだ。
では、彼がいいなら『テンプレ』主人公だって問題ないのではないか?
別に問題はない。
だが、この『自信』というのが果たしてどのレベルにまで到達しているかによって、唯我独尊なのか、それとも単なる礼儀知らずに終わるのかを分けると言ってもいい。
“バスタード!”の主人公は、とにかく自分が世界で一番最強であり一番いい男だという確信レベルの『自信』を持っている。
世界中が敵にまわろうがすべて返り討ちにでき、すべての女が自分に惚れると信じて疑わない。実際は本命のヒロインにすげなく扱われたり、戦闘面でも勝てない場合はあったが、それでもこの『自信』が揺らぐことはまるでなかった。
この「世界中が敵にまわろうが」、というのがミソだ。
異世界において最も敬語を使わなければならない人物となると、国を治める王(ないし魔王)になるかと思う。
そしてその王に礼儀を払わないということは、単純な話、国にケンカを売る行為にもなり得るだろう。
王にタメ口→不敬罪だー!→衛兵が取り押さえにかかるが、力でねじ伏せる
はい、この後どうしますか?
そのまま戦い続けるなら下手すりゃ全面戦争、逃げたら逃げたで国から指名手配というところか。「悪ふざけが過ぎました」と頭を下げて解決する段階もとうに過ぎている気がするし、諦めて捕まろうものなら「じゃあ最初から敬語使っとけよ!」と読者さんからのお叱りの声が殺到することだろう。
別段、冗談でもないぞこの展開は。
そしてヒロインがその国で暮らす人間だったらもう大変。人質にされるなり協力者と思われて処刑されるなり、ロクな未来が思いつかない。責任とって一緒に逃げるにも、逃げる理由が不敬罪ではお粗末すぎるだろう。
これを回避できるとすれば、主人公の存在がその国にとって無くてはならない人材であるか、それとも圧倒的な恐怖で釘を刺すくらいか(後者は後々の展開に響きそうだが)。
『自信』のある人間が好き勝手に動き回るには、その実結構なリスクコントロールが要求される。
王様にタメ口をきく魅力的なキャラとは、そのリスクに対し、自分なら何とかできるという『自信』があって初めて成立する。あるいは、どんなリスクであれ自分を曲げるわけにはいかないという強烈な意識を持っているかだ。
で、こういう意識は主人公と相対する王様の視点でも例外ではない。
国の代表として、その一挙手一投足は嫌が応にも強い影響力を持っている。
先程のように、下手に頭を下げたり敬語を使えば王としての立場上まずいわけだし、王の言葉は国の総意でもある。「この冒険者は強いからタメ口使ってもいい」なんて言ってみろ、瞬く間に王の威厳は失墜の一途をたどるぞ。
無論、相手(主人公)の持つ力によってはそれが適切な場合だってあるだろう。
“バスタード!”の主人公とて、その力があまりに脅威的だと世界中に知られていたから、王様(大臣だったか?)とて彼の偉そうな態度を許容せざるを得なかった。
が、『テンプレ』主人公に対する反応としては不適切と取れるケースが多い。
まず、主人公は世界的には無名の存在だ。いくら強かろうが、王様や大臣から見れば「とても強い無名の冒険者」という印象を出ない。
これが世界中に名を轟かせる勇者なり賢者なりなら話は変わるが、気ままに世界を巡る旅人な『テンプレ』主人公に対して、王様サイドから礼を尽くすには、あまりにも動機が弱いのだ。
こういったシーンに至るまでのストーリーとしては、国を滅ぼすほどの凶悪な魔物が出てきて、ギルドの依頼で主人公が討伐したというところだろう。
救国の英雄として、確かに主人公はタメ口をきいても咎められないであろう功績は残している。そのため、一応礼儀を欠いたとしても大丈夫と言えば大丈夫なのだろう。
が、それが礼儀を欠いた方がいい理由にはならない。
「俺は誰にも頭を下げるつもりはない」という信条でいるのは大いに結構だが、決してその行動はノーリスクで行えるものではない。
いかに罰せられない確証があろうとも、王様や大臣からの印象はまずマイナスとなる。『守破離』の話の通り、礼儀を尽くした方が明らかに好印象かつ今後の関係性も良好に保てるにも関わらず、あえてそれを捨てる動機やメリットがあるならいいのだが……大抵の場合はないだろう。
言っちゃ何だが、このような主人公の行動に対し、王様が「気がねなく付き合える友人が欲しかったのだ」といった返しで歓迎することなどそうはない。
もう一度言うが、王様にとっての主人公とは、ただ強いだけの見知らぬ初対面の人間だ。
初対面だろうと、人伝で色んな活躍を聞いているといった予備知識があったり、無名だろうと謁見前から見知っていた――例えば、城下にお忍びで遊んでいたところで主人公と交友を深めたとか、予め主人公の人となりを理解していたならばまだ話は通るかもしれない。
「色んな人がお前を魅力的な人物と言っていたから」「私がこの目で見てお前をよき人物と思ったから」このいずれかの心理が王様に適用されていない限り、政治的な思惑でもない限りは「気がねなく付き合える友人が欲しかったのだ」という発言が本心から出ることなどまずあるまい。
まさか一目惚れよろしく「会った瞬間私は確信した、この者は素晴らしい人物だ!」なんて心理になったわけでもあるまい。チョロイン効果を王様にまで適用させてどうする。
……と、ここまでははっきり言って考察の前座だ。
タメ口を使うことの不整合性についての考察よりも優先すべきは、どうしてこんな礼儀知らずの『テンプレ』主人公ばかりが出てくるのかだ。
目上の人間に対して礼儀を欠くことのデメリットを考えれば、あえてタメ口を貫き通す理由というのはさして存在はしない。
ご都合主義で王様までもをチョロイン化(イメージすると気持ち悪いな!)する暴挙に出るくらいであれば、たとえ完璧じゃなくとも敬語なり礼儀を払うなりした方がよっぽど整合性があるし、主人公の人物的な評価もプラスになりやすい。
下手くそな敬語でもいいのだ。年相応の少年少女ぶりが見えて、『共感性』としての魅力につながりもするのでむしろオススメしたいくらいだ。
が、こういった魅力をほっぽり出してまで『テンプレ』主人公は唯我独尊を貫き続ける。
これは……おそらくだが『自信』の対極にある心理概念、『虚栄心』によるものではないかと思われる。
この考察を発展させると割とキツい結末が見えてくるのだが……『テンプレ』というよりは、チートかつハーレムものを書かれている方、次の文章からは少々お覚悟をいただきたい。
『虚栄心』とは、周りに自分を大きく見せようとする意識のこと。
俺tueeeな光景をヒロインにこれでもかと見せつけるような場面があれば、多くの場合はこの心理が適用されていることだろう……自信ではなくてだ。
一応、『虚栄心』はどんな人にだって存在する心理だ。
他人によく見られたい、モテたい、という意識の源とも言えるのだが……実はこういう心理、自分に『自信』があればまず出てこないのだ。
よーく考えてみよう。
「俺は世界で一番強くてカッコいい!」と本心から思っている人間は、わざわざよく見られたいとかモテたいなんて心理になることはない。
だって、自分は強くてカッコいいんだから、向こうから自然と寄ってくるに決まっている。だから、こちらからわざわざアピールする必要なんてないだろう?
「よく見られたい」ではなく「よく見られるに決まっている」で、「モテたい」ではなく「モテるに決まっている」だ。
これが(極端ではあるが)『自信』に満ちた人間の心理だ。
ナルシストっぽいような気もするが、唯我独尊キャラの心理とは意外とこういうものだ。
つまりは、他人からどう見られているのかを一切意識せず、自分の考えや行動は常に正しいと信じて行動する。他人からの評価はあくまで結果に過ぎず、別に自分が意識して得たものではない。
常に自分が正しいと信じて疑わない、というのが『自信』に満ちたキャラの条件と言えよう(次回の『悪』の考察にも通じている)。
と言っても、ここまでの境地に至れる人間は極めて少数だろう。
実際には、大なり小なり他人の評価を気にしながら行動や言動を選択するものだ。
しかして、明確な『自信』を持てるほどに精神面が成長しきっていない若者の心理として、プラスだろうとマイナスだろうととにかく「注目されたい」という意識が強くなり、そのために『自信』を持った自分を演じる。
これが『虚栄心』を持つ流れとされている。
この考察のご要望をいただいた方からは、冗談交じりで「王様とタメ口きける主人公カッコいいと思ってるから?」なんてお声があったのだが……実はほぼ正解である。
この『虚栄心』の典型例が中二病だ。
その11でも触れた通り、「俺は他の奴とは違う」「俺はこんなにカッコいい」という意識のもと、周りにそれを見せつけようとするのが中二病の心理なわけだが、これは、いわば『個人特性』の偽装とも言える行動なのだ。心理上では「他人と違うあなたはカッコいい」という反応を求めるがゆえの行動となる。
で、当然だが中二病で構成された意識とは、妄想や自意識過剰などと揶揄されるものばかりで、実際は違うわけだ(まさか本当にエターナルフォースブリザードなりダークフレイムなんちゃらが撃てるわけではないだろう)。
つまりは、自分はこんなにすごいんだと思われたいがために、自分を虚飾する心理が中二病なのだ。
つまり、『テンプレ』主人公とは中二病の意識がある作者が自己投影したキャラであり、それによる承認欲求を満たすための物語が作られたのではないか――そんな邪推ができてしまう。
しかして、そう考えると色々と辻褄が合うのである。
王様にタメ口をきく理由も、他人と違うということをアピールしたかったからと考えれば、無意識だろうが動機としては成り立つ。
チョロインやご都合主義においても、同様の理由が付けられる。
主人公を否定される展開が無いのは、そもそも物語の原動力が「周りに認められたいがため」のものだから。チョロインとて、自分=主人公を評価してほしいという意識があるために作られたと考えれば心理的には説明が付く。
何の変哲のない主人公が『チート』の力で活躍し、ヒロインたちが自然と惹かれていきハーレム形成――これが『テンプレ』でも特に多いストーリーラインだろう。
ドラゴン討伐、ヒロイン救出などなど……活躍シーンは多岐に渡るかと思う。
では、考えてみよう。
その中で、純粋に主人公自身が評価されたシーンはどれだけあるだろうか?
『チート』と『ご都合主義』という神(というか作者)の力を排して考えてみよう。
要するに、ドラゴン討伐も『チート』が無ければ不可能なら除外しなければならない。
ヒロインとて、『チート』が最初から無い状態で出会ったと仮定し、ちゃんとくっ付いてくれるのかどうかを考えてみよう。ピンチを助けるにも『チート』には頼れないわけだから、颯爽と助けたから惚れられるという展開は使えないぞ。
なお、頭を撫でて惚れられるというのもご都合主義なので論外。
何かひとつでも主人公自身の行動が評価されているのならば、これ以上はいっそ読み飛ばしてもらって結構だ。きっと釈迦に説法にしかならない。
そして、ひとつたりとも評価点が出なかった場合だが……これはつまり、主人公は自分に自信がないという表れになってしまう。
判断基準としては、ヒロインを信頼しておらず、みすみす自分の弱みを明らかにしたくはないといった明確な事情があるならともかく、信頼するヒロイン相手に自分の力が『チート』で得たものであるとヒロインに白状することができないならば、ほぼ確定と思った方がいいだろう。
特に理由もなく『チート』であることを明かしたくない主人公の心理などひとつしかないのだ。
――『チート』のことを知られても、ヒロインが一緒にいてくれる自信がない。
つまり、『チート』のない自分にはヒロインを繋ぎとめるだけの魅力がないと認めてしまうこととなる。
別に悪いことではない。
むしろ等身大のリアルな人間心理として、個人的には好感が持てるくらいだ。
問題なのは、この心理になることもなく『虚栄心』を『自信』と履き違えて、いかにも唯我独尊であるかのように振る舞ってしまうことだ。
最初に出した「王様にタメ口をきく主人公」についてもう一度だけ考えてみよう。
それが王様やヒロインなど、あらゆる人物からマイナスの評価を得ることになってもそれを貫けるのか?
本来、ここでYesと言えないならば最初からタメ口を使う動機にはなり得ない。王様にタメ口=マイナス評価になる危険性くらい誰だって分かるだろうし、自分の信条を貫くためにそれを甘んじて受け入れる覚悟があるか、それを覆すほどのメリットがなければまったく意味がないからだ。
これが後々ヒロインに「王様相手にも動じない態度がステキ」という言葉を言わせたいがためなのであれば、それはもう『虚栄心』以外のなにものでもない。王様や大臣に不信感を持たれるより、ヒロインにいい格好を見せる方を優先したのだから。
こういう行動に出てしまう理由としては、主人公はとにかく不安だからだ。
意識的か無意識かはともかく、『チート』が無くてはヒロインが離れてしまうという不安をカバーするべく、自分はすごい、カッコいいとアピールを続けて必死にヒロインを繋ぎ止めようとする。
本来、中二病を卒業する心理とは、これがいかに無為なことなのかに気付けるかどうかなのだ。
こうやって分析してみると、傲岸不遜、唯我独尊という評価がどうにも白々しく聞こえてしまう。主人公は強靭な意思で突き進んでいるのではなく、不安で不安で仕方がないから、周りの目を気にしながら『チート』というメッキで覆った強い自分を演じ続けているのだ。
ありのままの自分を誰ひとりとして評価してくれない世界において、果たして『テンプレ』主人公は幸福なのだろうか? そんな思いも出てきてしまう。
根本的な疑問として、どうして主人公は『チート』に対して絶対的な信頼を置けるのだろう。
以前の考察でも近いことを述べたが、次の朝にいきなり無くなっているなど不安に思わないのか?
それを言うと、長年の努力をして身に付けた力や技とて、神様にスッと取り上げられるのではないのか? という疑問も出そうなものだが……実際に神様が好き勝手に主人公の力を操作できるかどうかは、さして問題ではない。
問題なのは、その力に対する信頼性だ。
時間をかけて、自分の行動の積み重ねによって徐々に身に付けたものというのは、「自分で作り上げてきたものを信じる」という意識となり、即ち『自信』となり得る。つまり、神様から取り上げられることもないだろうという『自信』にもなるわけだ。
が、後付けでいきなり付与された『チート』に対して信頼性を見出すのは、心理的に不可能に近い。
道理に合っていようがなかろうが、人は無意識下で自分の行動に対して費用対効果を計算している。「たくさん頑張った分だけ強くなる」「頑張って勉強したら大学に合格できる」といった意識がまさしくそれだ。
実際はどうであれ、そういう意識を当たり前に信じているから、人は努力というものができるのだ。
逆説的に考えれば、一瞬で身に付いた力であれば、逆に一瞬でなくなるかもしれない、という想定を当たり前のように考えてしまう。
テストの一夜漬けやスポーツにおけるドーピングだってそうだろう。瞬間的に身に付けた力に対して信頼を置くことなどまずない。
むしろ、そういった行動は自分に自信のない者が行うことだ。
実はこの考察、拙作“AL:Clear”を執筆する際にも一度触れている。
下記は62話の引用、主人公の心理を表現したたとえ話だ(ちょっと長いけど)。
ある日世界征服を狙う悪の魔王が現れて、世界中を恐怖のどん底に陥れました。
そんな中立ちあがったのは、ついこの間までただの村人であった勇者でした。勇者は偶然に光の女神より伝説の聖剣を託された事により、山をも砕く怪力や、光の如き俊足、賢者と評される知啓を身に付けたのです。
そして勇者は、そんな彼に導かれて集まった仲間達と共に、見事悪の魔王を打ち倒したのでした。
勧善懲悪の代名詞のような、いわゆるベタな展開ではあるが、誰もが一度は触れたことがあるであろう御伽話の世界だろう。しかし少々穿った見方をすると、ちょっとした疑問が芽生えてくるのだ。
――聖剣がなかったら、勇者って役立たずなんじゃないの?
聖剣なければ、ただの村人。物語の主人公でも何でもないその他大勢に成り下がってしまう。
それに気付かず、俺はすごいんだぞと信じて疑わない勇者であれば、それはさぞ滑稽極まりないだろう。
それに気付いて、自身の無力さを、ちっぽけさを痛感するのであればまだ救いがある。
だが、中にはこんな勇者がいてもおかしくはない。
――聖剣が無ければ何もできないだなんて、そんなのはただの言い訳だ。そんなものなくたって、俺が勇者と呼ばれるだけの力を身に付けてやる!!
作中でこの心理は単なる意地に過ぎず、周りからはおかしいだの狂ってるとも言われがちではあるが……なにせジャンルが『熱血』なのだ、意識はスポコンもののそれに近い。聖剣という『チート』に対して信用が置けないから、自分を鍛えて『自信』を持てる力を身に付けようとした、という心理となる。
『テンプレ』主人公の大半は、自分に自信がないから『チート』という安易に強くなれる力に依存した、と言える。いじめられっこなりニートなり、『チート』無しでは『個人特性』として『自信』を持てる魅力を提示できないがための解決策だったのかもしれない。
と言うわけで、長くなったが今回の総括。
王様にタメ口をきくのは結構なことだが、そうするだけの『自信』を主人公に持たせてあげよう。『虚栄心』ではなくてだ。
何かを信じるというのは、なかなかどうして難しい。
別に、信じるのは自分じゃなくたっていい。友人や家族、尊敬する人でもいいだろう。
自分であれ他人であれ、誰かを信じることができる人間は、必ず周りの人間も信頼を返してくれる。
だが自分を含め、誰も信じられない人間は、誰にも信頼されることなどないものだ。
唯一信じられるのが神からもらった『チート』だけだなんて、あんまり過ぎるだろう?




