その23 『ヘイト』の必要性とそこから繋がる小説への影響(作者視点)
次は作者視点――まずは物語を構成するための『ヘイト』の必要性を考えてみよう。
まず、『ヘイト』とは心の栄養だ。
人間が精神的に成長するために必要不可欠なものと言える。
断言してもいいのだが、物語上で最後まで一切の『ヘイト』が無かった作品において、主人公自身は絶対に成長していない。
超絶辛口であえて言うが、『ご都合主義』『主人公最強』『ハッピーエンド』とタグを並べた作品に「主人公の成長を描く」なんてあらすじが書かれていたら「じゃあ何が成長したの?」と本気で問いかけたい。
そういう意味では、『テンプレ』ほど成長物語に向いていないカテゴリもない。
『成長』が年齢を重ねて身体が大きくなりました、なんてことを言いたいわけではないのは、もうお分かりいただいているかと思う。
なお、既に成熟した大人を主人公として挿げる場合――それこそ『ハードボイルド』のように、人間的に成長しきった人間を基準に考えるのであれば、正直なところ無視してもいい話ではある。
だが、実際は10代半ばの少年少女が主人公であることが過半数なわけで、拙作とて例外ではない。
一言で述べるなら――『成長』しない若者ってどうなのよ、と思うわけだ。
ここだけ見ると、私も年取ったなぁなんて思ってしまう台詞だ。
だが……主人公が長い旅で色んなことを経験し、出会いや別れを繰り返し、でも中身はスタート時点と一緒でした。
精いっぱい好意的な解釈をするのであれば、主人公は一切ブレることのない、揺るぎない信念の持ち主だった――そう言えないこともないのだが、やっぱり無理があるような。
いや、主人公の『成長』……というより変化を望まない気持ちというのは分からなくもないのだ。
読者からの共感を得るには、主人公は当然ながら読者――要するに、普通の現代日本人の若者としての感性を持ち続けていた方がいい。
例えば、もやしっ子の主人公がマグロ漁船で旅に出て、屈強な海の男になって帰ってきたら、今後彼に共感するのも大変だろう。
「この敵の攻撃は重いな。だが海で戦ったカジキマグロに比べれば軽い軽い!」と言われて共感できるのはもはや漁師しかいない。そしてタイトルは“異世界大漁物語~勇者も魔王もまとめて一本釣り~”で決定だ。
……失礼。興が乗って暴走してしまった。
ともかく『テンプレ』作品では、普通の男子高校生として主人公が異世界転移したのであれば、その読者から共感されやすい普通の感性を崩したくないのだろう。
だが読者からすれば、色んな経験を積んでも一向に成長を見せない人間の方が共感できない気がするぞ。
身体も心も、成長にはある程度の負荷が必要だ。
「主人公の成長を描く!」と言いながら、読者離れを気にして主人公の成長を拒むというのは、完全に本末転倒だろう。
とはいえ、あらゆる読者に受ける小説などこの世に存在しない。
先の通り、読者それぞれ好みがあるのだ。最初に好物を食べたい人がいれば、最後までとっておきたい人だっている以上、100%の支持を集めるなどまず不可能だ。
この点ばかりは、読者の反応など気にせず「書きたいように書く」のが正解かと思う。
このようにストーリー面で結構な制約が付いてしまうのは、『ヘイト』の重要性を示すほんの一部に過ぎない。
むしろ本番はここからだ。
『ヘイト』の少なさは『飽き』に繋がる、というのが前回で提示した問題なわけだが、これは読者に限らず作者にも十二分に影響していく。
要するに、読み続けることに飽きるような作品は、そもそも先に作者が飽きるのよ、という話だ。
「ずっと書いてきたけど同じことばっかりやっててつまらなくなってきたなー。もうやめるか」という心理……っていちいち書かなくてもいいか。こういう心理に陥りやすいが故の『ヘイト』の重要性である。
同じ情報が延々と流されてくるだけで新しい情報が入ってこない環境――ひとつの単純な作業をずっと行っているとすぐに飽きる、というのは万人共通の心理状態として定義される。
小説で言うのならば、「新しい町に着いた→魔物襲来→チートでドカーン→感謝されつつ次の町へ」という展開をエンドレスでやった場合が近い。
「同じことばっかり書いてるなー」と作者が少しでも思ったら、その背後には間違いなく無敵のモンスター『エタ』が忍び寄ってきている。
読むにも書くにも、とにかく『刺激』がなさすぎるのだ。
特に『テンプレ』で多く起きる『エタ』としては、「始まって2~3章くらいで書きたいことは全部書いちゃった。続きを書こうとは思えないなー」という刺激の先取りがある。
例えば「1章で最強チート使って神さま倒しちゃった」という場合、高確率でこの『エタ』に喰われてしまう。単純に、書きたいものを最初に書ききってしまったのだ。
作者と読者双方に言えることだが、刺激には段階が存在しており、その状況に応じて基準となる点が設定されている。
上記のように、1章で神さまを倒すという展開があるのならば、それが見る人にとっての刺激の『基準』となるわけだ。
『インフレ』の話でも出したが、スタート時点から主人公が「神々との戦い」をするほどであれば、力を失ってレベル1から再出発なんて展開でもない限りは、見る人間の刺激の基準はあくまで神話大戦レベルが維持される。
つまり、ここから更なる刺激を作り出すには2通りの手段しかない。
「神話大戦レベルを超えるバトルを作り出す」か「バトル以外から別方向の刺激を作り出す」かだ。
単純な話として、神を倒した主人公がそのままの状態で異世界に行って、スライムやゴブリンに対して俺tueeeしたところで何の刺激も得られないということだ。第1章で刺激の絶頂を迎えてしまっているわけだから、どうあがこうが2章以降は落ちていくしかない。
それこそ神を超える魔神でも出すか、はたまた赤子でも拾って子育てに四苦八苦するようなバトルとは別ベクトルの話にでもしないと、人は物語に刺激を見出すことができないのだ。
こう見ると、『テンプレ』は『エタ』が大量発生する温床になるべくしてなったと言える。
『チート』による高性能化で、刺激の段階を序盤から一気に引き上げ。
何か(誰か)に勝利して認められるというストーリーライン以外の刺激を見出せず。
極め付けに、気ままな旅という目標地点の無い道のりを延々と進むのだから、どうやろうと刺激がどんどん足りなくなる――右肩下がりにしかならない仕様となっている。
そりゃあ長続きもしないだろう。
言っておくが、対策しようと思えばいくらでもできる。
刺激が右肩下がりになってしまうのは、最初の刺激を弱めにし、そこから徐々に強めていく――要するに、最初は弱い主人公を段々と強くしていく方向にすればいいだけで。
ストーリーラインだって、『チート』ありきの展開にしなければいいだけだ。戦いの力だけに特化させた主人公が活躍できる場が戦いしかないと決めつけなければいい。
気ままな旅も、何かしら手に届きやすい目標を最初に提示しておけばいい。「ビッグになって帰ってくる」とか「世界中の女をモノにする」でも結構だが、抽象的すぎて明確な行動方針が立てられないのでは、はっきり言って目標がないのと大して変わらない。
だが、こういった対策をとろうとすると『テンプレ』の方向から離れていくだろうし、(あんまり言いたくはないが)『なろう』読者への受けは悪くなってしまうかもしれない。
手軽にささっと読める作品が求められている以上、必要最低限の認識でサクサク進む構成や、少ない描写でもすんなり理解しやすいゲーム的なファンタジー異世界を舞台にし、てっとり早く成功を得られて読者に『幸福』を提供できるストーリーラインの方が、『なろう』における人気をとるためには適切なのだろう。
物語上における『ヘイト』とは、ストーリーラインの視点で捉えると、物語を進めるにあたっての『障害』と言っていい。
作者は基本的に執筆をする際、結末を先に決めて書き始めているかと思う。
別に作品そのものの結末だけではなくて、1話分書く場合も1章分書く場合も、その括りにおけるひとまずの目標地点を見出しているだろう。近かろうと遠かろうと、目標がないとスタートできないのは何だって同じだ。
仮に第1章が「異世界転移→チートもらう→町に着く→ギルドで依頼を受ける→魔物を倒してヒロインを助ける」のであれば、まず作者は「ヒロインを助ける」場面を目標点に設定して、その道中でチートやギルドといった場面を設置しているイメージだろうか。
勢いだけで書く、という方もいらっしゃるだろうが、その場合は「作者が書きたい場面」がひとまずのゴールとなっているはずなので例外ではない。
で、その道中に『ヘイト』を配置するということは――例えば、出会う魔物が強くて先に進めない、ギルド登録にお金がかかるが持ってない、そもそもヒロインがヒロインしてない(惚れる気配がないとか、敵対している上に強いとか)、こういう展開だ。
作者目線で行くと、こういった展開を入れるということは、目標地点に到達するまでの妨げになり……要するに書きづらくなる。
「この場面を早く書きたい!」という作者の気持ちが強ければ強いほど、こういった『ヘイト』は読者ではなくまず作者に牙を剥く。
目の前にゴールが見えているのに、その直前でいきなり障害物がドドンと現れるようなもので、書いている側としては割とやきもきするのだ。なお、現在進行形の私だと「早く主人公の新能力出したい、ライバル蹴散らしたい、でもヒロインのバトル先に終わらせないと……」である。
だからといって、そこまでの過程を疎かにしてしまうと……「話に整合性がない」「ご都合主義」「スピード展開すぎてついていけない」となるわけだ。
しかして、今日の読者目線では「サクサク進んですぐに『幸福』が得られる展開」が好まれているのも事実。奇しくも作者と読者の「書きたい場面を早く書きたい(読みたい)」という意見が一致してしまったのだ。
実際、ランキング上位の『テンプレ』作品については開始数話(2、30000文字くらいか?)の時点で何かしらの目標を達成していることが多い。ヒロインに惚れられる、強い敵に圧勝、難しい依頼を達成して多くの人に認められるetcetc……
我々はこういったスピード展開を普通に読んでいるが、よくよく考えれば30000文字など薄めのライトノベル1冊の半分にも満たないぞ(一般的なラノベ1冊で10万~15万文字だそうだ)。
あえてそういう構成にしている作者さんには申し訳ない話だが……いくら何でも早過ぎないかい?
起承転結における承に入るかどうかくらいの地点(それも作品全体ではなくて1冊での)でクライマックス迎えちゃってそこからどうするの?
この際ストーリーについてはもう何も言わないが、この先あなたはモチベーションを維持できるのか?
読者が好む展開に調整する(『なろう』では俗に『ヘイト管理』と言われるそうだが)のは大いに結構なことだけど、そんな展開で大丈夫か?
仮に書籍化されたとして、二巻以降で一巻と同じレベルかそれ以上の刺激を読者にご提供できるのか?(短編の場合はスルーしても結構です)
『飽き』と『エタ』は限りなくイコールだ。
もはや私の中では、
小説-ヘイト→飽き=エタ
なんて妙ちきな方程式が成立してしまったぞ。
読者が飽きてしまう前に作者が飽きるようでは、小説を評価するもへったくれもあったものではない。
書きたいものを書ききった後の小説とは、後日談と言えなくもないが、蛇足と言った方が適切だろう。
『ヘイト』は読者にとっては「先を読もうとする力」であるが、作者にとっては「先を書こうとする力」と定義できる。
長編を書いている作者さんならご共感いただけると思うが、1章分を書ききった時に「よっしゃー書ききれたー疲れたー!」なんて心地よい疲れとともに達成感もあるものだ。そういった小さな達成感を積み重ねながら、次の章も頑張って書こうというモチベーションへと繋げている。
『ヘイト』で妨害されながらも、頑張って、苦労して、走り続けた後の達成感とは、作中のキャラクターだけでなく作者にだって適用されるのだ。
では、ここから作者さんに本考察の根本的な命題について問おう。
――なんで『テンプレ』じゃなきゃダメなの?
言い方はひどく悪いが、別に『テンプレ』しか書けないわけじゃないだろう?
「書きやすいから」なんて理由はこれまでの考察で結構吹き飛ばしたつもりだよ?
その上、他に書いている人もいっぱいいるんだから書籍化されようにも競争率が恐ろしく高いし。
そして書籍化された後の展開は前回でも述べた通り、一緒に並んでいる書籍と見分けが付きづらくて埋もれる可能性が高い。
……割と真面目に、自分の胸に手を当てて考えてほしいのだ。
読者からの人気にこだわりすぎるあまり、自分が書きたいものを書いているんじゃなくて、読者から注目されやすい作品を書かされているのではないか?
悪いわけじゃない。
人気があって嬉しくない人なんていない。
だが、『なろう』ランキングであれ書籍化されるであれ、最初だけ人気が出るのが『テンプレ』の傾向だ。
仮に作者が「書籍化されて何十巻も続けて人気が出る名作としたい」なんて目標を立てている場合、『テンプレ』はむしろ不利だ。
改めてここで述べておくが、『テンプレ』とは、多くの人がこぞって使っているからこその『テンプレ』だ。
お手本通りに書くという事は、その時点で『テンプレ』を作った人のモノマネをしているということだ。
よって、他の人より頭ひとつ飛び抜けて成功したいと思っている人であれば、まず手を出さないはずなのだ。
……だったら、なろう『テンプレ』の人気事例としてよく挙げられる“無職転生”や“この素晴らしい世界に祝福を!”などはどうなんだ、というご意見も出そうなのでここで述べておく。
ああいった作品は既存の『テンプレ』に乗っかったのではなく、『テンプレ』というカテゴリを作った人――要するに先駆けであったからこその成功だ。『テンプレ』を広く世に知らしめた立役者と言ってもいい。
つまり、現在の『テンプレ』で走るということは、つまりこういった先駆けの作品が起こした波の後ろについていくということだ。
既に世に出ている作品をそのまま模倣したところで、名作など生まれるわけがないだろう。
一度考えてみてほしいのだが、あなたはその作品をどの目標まで持っていきたいのか。
『なろう』ランキングで1位をとれればいいのか。
書籍化されて一巻が刊行されれば満足なのか。
それとも、「ラノベと言えばコレ!」と言われるまでに日本中を席巻するような名作にしたいのか。
高くたって低くたっていいと思う。
別に私みたいに「人気は度外視で、ただ世の中に形として残しておきたい(書籍化のお誘いが来たらラッキー♪)」程度の意識だろうといいではないか。
ただ、創作である以上、当然だが「人とは違うものを」書こうとする意識がないとまず成立しない。他人の作品と同じような内容だと分かっているのに書き続けられるならむしろ驚きだ。
『王道』や『テンプレ』という言葉に隠れてはいるが、大半の作品は、結局のところ既存作品のモノマネでしかないものの方が多い。
「読者が『ヘイト』を嫌っていて、それに従った方が書きやすいし人気が出るから」という流れが成立してしまっているが、それでいいのかと考えるのはすべて作者次第だ。
長く書き続けるのであれば、自分自身のモチベーションであれ、書籍化やアニメ化といった遠大な野望を抱くであれ、その作品を書き続けた先を見据えてみてほしい。




