その14 『ゲームの世界』について
本日は2話連続投稿です。
今回のテーマは、『テンプレ』における『ゲームの世界』について。
その5でも述べた通り、『テンプレ』の世界観とは昔ながらのファンタジーが大半で、身も蓋もない言い方をしてしまえば『ゲームの世界』をモチーフにしているのはご承知いただいているはず。
ステータス、やれ素材の剥ぎ取り、ギルドランク、ここまで並べて「俺の小説はゲームみたいなんかじゃない!」と言い張るような作者などいないだろう。
『ゲームの世界』を舞台にした作品には、大きなメリットとデメリットが存在する。
あなたが書く作品の世界観として、果たしてその『ゲームの世界』は適切なのかどうか。
本考察を通して一度お考えいただきたい。
先に言っておくと、私はこの『ゲームの世界』を舞台とした物語を書ける自信はない。
人の強さをステータスという数字で表したり、お金や名声を得るための戦闘行動がメインとなる舞台と、私が考えているキャラやストーリーとの相性がどうにも悪いのだ。
『ゲームの世界』というのは、自由が利く世界観であると同時に、実は欠点も多い。
一度メリットとデメリットを箇条書きにしてみよう。
メリット
・キャラクターの強さがひと目で分かる(成長過程が文字通り目に見える)
・戦う場所や状況に困らない
・役職(戦士、魔法使いなど)によるキャラの特徴づけが容易
デメリット
・キャラクターの強さが数字でしか表現できない
・人の命が軽く見えてしまうことがある
・役職や称号に引っ張られて、そのキャラの強さの証明が難しくなる
では、メリットの解説から。
「キャラクターの強さがひと目で分かる」のは、ゲーム世界ならではの特性と言える。
修行しました、強敵を倒しました。
それによる成長をそのまま『レベル』として形にできるのは大きい。
短い期間で一気にレベルを上げたとなると、修行の光景を描写せずとも、上がったレベルの分だけそのキャラは頑張ったんだと表現できるわけだ。
「戦う場所や状況に困らない」というのは、キャラクターを「どこでどのように活躍させるか」という悩みがなくなるということだ。
いったん町の外へ出てしまえば、いつどんな場所や状況であろうとも、周りの迷惑を考慮しなくていいので全力で戦える。町中で戦うこともあるだろうが、法整備が整っていない世界観なので、騒ぎを起こしても捕まえに来る人間や組織がいないことの方が多い。
現実世界を舞台にしてはそうもいかない。
真昼間の街中で剣を振り回すなんて論外だし、民間人がいない場所で戦おうにも、そもそもそういった場所で戦うまでのお膳立ても考えなければならない。特撮ものみたいに、爆発した次の瞬間に廃工場や放棄された工事現場に飛んでいくわけにもいかないだろう。
『法』という、バトルものにとっての最強の敵が君臨している限り、現代もので気軽に戦闘には入れないのだ。
「役職や称号によるキャラの特徴づけが容易」というのは、そのキャラの特徴を「私は魔法使いよ」の一言で8割方伝えきれてしまう点だ。
そのキャラはどんな戦い方をするのか、役職を一言述べるだけで説明がつくのは存外便利なのである。
○ラクエの第三作において、主人公の仲間をどんな編成にするかを考える際、戦士や格闘家、魔法使いなどの役職を見て決めるのと同じ理屈だ(ただかわいいからという理由で女商人を入れた私もいるが、ここではどうでもいい)。
次に、デメリットだ。
「キャラクターの強さが数字でしか表現できない」というのは、実はかなり厄介なシステムなのだ。
そもそも「ステータスが高い=強い」という方程式は、果たして生身の人間に当てはまるのだろうか。
「ゲームの世界」だからと言ってこの指摘を一蹴するのであれば、それは別に問題ないのだ。
ここで問題なのが、中途半端に現実の常識を適用させてしまい、ステータスの概念とケンカしてしまうことにある。
例えば、防御力が9999の最高値で、どんな攻撃を受けても傷ひとつ付かずに絶対に死なないキャラがいたとしよう。
だが、こんなキャラがいる世界観で、「首を斬られたら死ぬ」「心臓を刺されたら死ぬ」という常識を当てはめるととんでもないことになってしまう。防御力は9999、でも首をはねられると死んでしまう――それってもう防御力関係ないよね、というオチになってしまうのだ。
魔法や気合いで身体を硬質化しているとか、理屈を付けて証明することは可能だろうが……その設定を考えるのが面倒くさいと思うのは私だけだろうか?
「人の命が軽く見えてしまうことがある」とは、『ゲームの世界』を舞台にしている限りまず避けられない宿命だ。
当たり前だが、『ゲームの世界』なんてものは非現実の象徴みたいなものだ。
生き物のありとあらゆる情報が、ステータスと言う数字で管理されている光景。
普通の感性を持っていれば、自分自身はともかく、その世界に住まうキャラクターは総じて、人間というよりはNPC――コンピュータで作られた、自動で動くデータにしか見えなくなってしまう。
一度この認識を持ってしまうと、命というものがおそろしく軽く見えてしまうのだ。
一緒に戦ってくれる仲間が死んだ――でも、ただのデータでしょ?
自分で書いていてうすら寒くなってしまったが、読者に少なからずこの認識を与えてしまうのはかなりまずい。本気でキャラに命を吹き込んで、リアルな生き死にを表現したい作者にとっては超々高難度のミッションとなる。
なお、ゲーム世界の住人がその事実を容認できているのは、自分にレベルがあったりHPで命が管理されていることなど知らないからだ。ストーリーにその要素が干渉するようなことは一切なく、あくまでプレイヤーがゲームを楽しむために構成された情報に過ぎないので、キャラ自身がステータスの概念を自覚している描写自体がない。
よくよく思い出してみてほしいのだが、今まであなたがプレイしたゲームの住人から、レベルなりHPなりシステム面を指す台詞(「武器は装備しないと意味ないんだぜ」などの『説明』は除く)が一言でも出てきただろうか?
「役職や称号に引っ張られて、キャラの力の証明が難しくなる」というのは、中二病の考察でもあった「形から入る」現象の最たるものだ。
ギルドマスターのような組織上の役職であればまったく問題ないのだが、ほとんど自己申告でしかない戦闘職に関しては、その定義自体があまりに不確かだ。
例えばクラスチェンジ。
剣士が侍にクラスチェンジするための条件として、「刀の武器を装備する(戦闘回数などの追加条件もある)」といった作品を見かけたが、時代劇大好きな私に言わせれば「侍なめてんのか」である。
刀持つだけで誰でも侍になれるのなら、修学旅行先のみやげもの屋で木刀を買った男子小学生は、もれなく全員がサムライマスターだ。これを「形から入る」と言わずに何と言うのか。
魔法使いだってそうだろう。
ひとつでも魔法が使えれば読んで字の如く魔法使いとなるわけだが、では魔法が使えるようになった時点で、世界中の人々の役職は魔法使いで固定されるのか? これまで剣ひと振りで戦ってきた剣士でも、ひとつでも魔法を覚えた時点で強制転職なのか?
勇者なんぞ「形から入る」の典型中の典型だ。
異世界転移したばかりの高校生に、お姫さまが「勇者様、私たちをお助け下さい」と言ってくるわけだが、彼らはまだ一瞬たりとも勇敢な行いを見せていない。勇敢な者と書いて勇者なのに、その勇敢さの証明もなく勇者呼ばわりとはこれいかに。
この辺りの定義をある程度はっきりさせないと、キャラが自分の役職を名乗る際、常に「私は(自称だけど)魔法使いよ」という解釈をされかねない。
ダンジョンに入って、「お前毒も治せないのかよ、僧侶って言うから連れてきたのに!!」「だ、だって、ヒールさえ使えれば僧侶になれるもん。状態異常治す魔法がないとダメって聞いてないもん……」と、こんな認識の食い違いもいつか起きてしまうではないだろうか。
その小説の世界はゲームそのものだ、と割り切る場合については、上記のデメリットはほぼ無視してしまって構わないだろう。
「だってゲームなんだから」の一言ですべて納得もできるだろうし、作品に現実味や現実世界における常識を適用させること自体が間違いとも言える。
これは実際の紙媒体でも使われている手法で、テーブルトークRPG(TRPG)やゲームブックが該当する。“ダンジョンズ&ドラゴンズ”“ソード・ワールド”あたりが有名だろうか。
まさしく現代におけるテレビゲームのRPGを追体験するような作りとなっており、読者の選択によって様々なストーリーに分岐していく。
TRPGと昨今の『テンプレ』小説の形式は、ストーリーを読者が選択するのか、既に作者によって選択されたストーリーを追っていくのかの差異のみで、方向性は極めて近いのだ。なおTRPGの中には、作家が実際に選択したストーリーを書籍化した『リプレイもの』も発売されている。
だが、『ゲームのような世界』で、実際にあらゆる生き物が生きている世界観を作り出す場合、『ゲーム設定』は現実味を殺す敵として作者の前に立ちふさがることとなる。
一歩間違えれば死という環境下で、「こいつ倒したらレベル上がるんだし頑張ろう」という考え方は、冷静に考えればかなり破綻した意識の持ち主だ。自分の命と経験値を天秤にかけるなんぞ正気の沙汰ではない。
TRPGなどで自分がこの世界をゲームと認識しているのならば普通の行動だが、そこに生き死にの現実味を求めようとすると、ゲーム的な行動はその大半が「命知らずの変人」扱いされることとなる。もう感情移入どころの騒ぎではないのだ。
もし自分が実際に『ゲームのような、でも現実の世界』に行ったと仮定して、もう一度よく考えてみよう。
民家に入ってタンスの中を調べたらまず窃盗で捕まるし、野生の魔物が世界共通のお金を持っているわけがないし、剣を2.3振るだけで技など身に付かないし、HPが1でも元気に動き回れて0になった瞬間さっくり死亡なんて身体の作りはありえないし、宿屋に一泊するだけであらゆる怪我が完治することなどないし、そして何より、死んだら終わりだ。
なまじ主人公に現代日本の学生を持ってくるのであれば、常識や倫理観が現実の我々の認識と近いものでないといけない。「敵を倒せばレベルが上がって身体が強くなる」なんてものは『ゲームの常識』であって『現実の常識』ではないのだ。
『テンプレ』小説の最初の方、異世界転移・転生の直後で、
「ステータスオープン!」→「おー俺ってすげぇ、ステータスめちゃ高いじゃん!」
このようなやり取りがよく見受けられる。
主人公たちの『ゲーム設定』への順応が早いと言えば褒め言葉だが、違う言い方をすれば、現実を見ていないとも言える。
ゲーム好きな若者らしい思考形態と言ってしまえばそこまでだが……転移した異世界が主人公にとっての『現実』だというのなら、まず常識からかけ離れたことには疑いを持つのが正常だろう。
「す、ステータスオープン?」→「え、なにこれ、変な数字が宙に浮かんでる。名乗ってもないのに俺の名前が勝手に付いてるし、ゲームの住人になったみたいで気味悪い……」
直接口に出さなくてもいいが、自分と言う存在が『ゲーム設定』に適用されたのであれば、普通ならこれくらいの拒否反応を示すと思う。
現代日本では、マイナンバーという国民ひとりひとりに番号を付与して効率よく情報を管理するシステムが作られたわけだが、ステータスの概念はこれの比較にならない。
ありとあらゆる個人情報を、知らない誰かが勝手に数字化し、しかもスキル次第で他人の情報を覗き見ることができるのだ。プライバシー保護の観念が強い日本人が、こんな個人情報の大放出セールに耐えられるとは到底思えないのだが。
一言で解決策を述べるなら、「ゲームであっても遊びではない」という認識か。
“ソードアート・オンライン”や“ダンボール戦記”のキャッチコピーにも使われていたが、これは『テンプレ』小説にもそのまま適用していいと思う。
一見すると『ゲームのような世界』。
でもそこにいる人々、自然の動物、街並み、それらすべてはまごうことなき現実なのだ――こういった認識を作品に付与する場合、まず作者自身が「これはゲームなんかじゃない、現実なんだ」という認識で執筆しないといけないのではないだろうか。




