その13 『テンプレ』における理想の主人公像について【問題提起編】
今回は、『テンプレ』における主人公の有り方について。
はっきり言って、既に自分の中で作品の登場人物のキャラクター性が固まっている方は、ここは読まなくてもいい部分となる。
今回はあくまで、『テンプレ』なストーリーを進めるには、主人公にどのような性格付けをした方が書きやすいのか、という考察に収まることになるからだ。
つまり、ストーリーや能力設定を先に作り終え、どんな性格の主人公を投下すれば違和感なくサクサク進んでくれるのか、である。
ストーリーを先に作り、キャラ設定を後回しにするやり方自体は特に問題ではない。私も基本的にはそちら寄りの書き方だ。
ただ、ストーリーを決めて、その物語を進めるための『役割』をキャラに付与するにあたって、性格付けは適当に済ませられるものではない。
例えば、最終的に「主人公をかばって死ぬ」というポジションのキャラを作るのであれば、主人公大好きで自己犠牲の精神に満ちた人格であれば、どの場面に差し込んでもまず大丈夫だろう。
だが、主人公が大嫌いで自己中心的な性格であれば、「お前なんか嫌いなのに、身体が勝手に動いちまった……」と言わせるまでには、その結末に至るまでの動機付け、これまでの主人公とのやり取りを通した印象の変化など、ストーリーの展開にも気を遣う必要が出てくる。
人を助ける、助けない。
強い敵を倒したら自慢する、何も言わずに隠れる。
自分の力を隠す、隠さない。
物語には無数の選択肢があり、キャラクターは常にその内のどれかを選択し、進んでいく。
しかし、その選択が「そういうストーリーだから」と作者によって決められるのではなく、「そう考えたから」とそのキャラクター自身の判断で決定されないといけない。
キャラの意思を無視してストーリーの都合に引っ張ってしまうと、読者からは「このキャラがなんでこんな行動をしたのか分からない」という感想が出てくることになる。
つまり、作者が想定しているストーリー展開に沿う形で判断してくれるキャラクター、というのが執筆活動のやりやすさとしては理想的だ。
例えばハーレムものの小説を書こうとしているのに、色々と枯れ果ててしまった老人を主人公にするわけにもいかないだろう。当然、欲求の強い若者を主人公にした方が話は通る。
『テンプレ』小説の主人公には、よく『感情移入』のしやすさが求められると聞く。
読者がなるべく共感しやすいように、あまり個性が強くない――言うなれば『普通』の学生を主人公に挿げることが多いようだ。
その2で挙げた『のっぺらぼう』をあえて作り出し、細やかな気持ちの動きは読み手に一任するという選択肢をとっているとも言える。
これはこれでTRPG(テーブルトークRPG)やゲームブックのような感覚で読み進められるので、選択肢として悪いわけではない。なお、TRPGとゲームブックについては後々別の考察でも取り上げる。
だが……現実問題として、ありとあらゆる選択肢に対して読者に「どうしましょうか?」と聞くわけにもいかないだろう。結局のところ、物語を進める以上は選択するのも作者の仕事だ。
とはいえ、『のっぺらぼう』はまともに動かせないというのはこれまでの考察で挙げた通り。
では、どうすればいいのか?
最も手っ取り早いのは『自己投影』だ。
要するに、作者自身が主人公になったつもりで物語を進めていく、まさしく役割を演じるである。
だが、これは自分で上手く書けたと思っていても、なかなかどうして共感は得られない。
あんまり言うべきではないのだろうが……小説家という道を選ぶという時点で、我々作者は一般的な読者とは感性が違っているからだ。
世の中全体で見ると、小説家など圧倒的少数派であり、同じ目線で共感してくれる人など限られているのだ。
と言うか、普通の人と同じ感性で創作活動をするってどうなのよ、とも思う(あくまで私見なので同意しなくても結構だ)。
よって、作者の方は「自分の感性は普通だ」なんて思わない方がいい。
もし「あなたは普通だよ」と誰かに言われたとしても、小説家としては個性がないということでむしろ問題ではなかろうか。
実際に一番多そうなのが、「理想の自分」だろうか。
作者自身が「こんな人間になりたい」と思い描いた理想の自分。それを主人公として投下する。
これはこれで結構書きやすい。「どうするべき、どうあるべきが理想なのか」という疑問は、人間なら誰しも考えるからだ。
だが、理想というのは「あらゆる選択肢で正解を選び取った自分」でもあるので、往々にして失敗しないのだ。
そりゃそうだ。失敗する自分の姿に誰が憧れようか。
ヒロインが常に喜ぶ言葉を投げかけ、未来予知に等しい閃きで仲間の窮地を救い、常に毅然とした態度で誰からも慕われる。
間違えない、誤らない、いつも正しい道を行く――だが、そんな奴はいない。
本当に一切の間違いも侵さない人物がいるのであれば、それは物語における神くらいだろう(神だって間違えそうなものだが)。
これは断言するし、いくら批判してもらっても結構だが……間違わない人間を、私は絶対に人と認めない。
よって、「理想の自分」もやりすぎたら不適切になるというわけだ。
……これは蛇足だが、「理想の自分」は敵役として挿げると意外に面白い。先の考察における『ライバル』、特に怨敵タイプにすると、いわば「神への反逆」とも言える大作に化けそうだ。
「自分の周りにいる人を参考にする」、個人的にはこれをオススメしたい。
既に完成された人格に、流石にその人の内面までもは分からないだろうから、作者自身の推測も交えてキャラとして成立させる。
「こんな時、あの人だったらなんて言うんだろう?」、と具体的なイメージができるので、ストーリーに引っ張られて言わされている発言は自然と少なくなってくれるはずだ。
ただ、ストーリー展開通りに動いてくれるかどうかは別の話になってしまうので、少々扱いづらいのかもしれない。
と、色々と挙げてはみたが、最終的には「一から自分で考える」ことになるとは思う。
では、ここで本題。
『テンプレ』小説を書くにあたって、どんな主人公が一番書きやすいのだろうか。
その2において『テンプレ』のストーリー例を作ったはいいが、その時私は「こういう物語を辿る主人公の人格が想像できない」と書いた。
それは私が年を食ったから、若者らしい視点を想像できなくなっているだけかもしれないが……だからと言って、そんな『テンプレ』な生き方を選択する主人公はどういう人格なのかと聞かれて、パッと答えられる人なんているのだろうか?
少し思ったのだが、目的のない気ままな旅というのは、現代的に表現するなら「自分探しの旅」が最も近いと思われる。
だが、異世界人としての感性ならともかく、転生・転移によって異世界に来た現代日本人の感性で、ホイホイ「自分探しの旅」をしたいだなんて思うのだろうか? しかも無期限で。
乱暴な例だが、対人恐怖症で引きこもりのニートに対し、強制ならともかく、自己判断で、その日暮らしで家無しの旅ができる行動力があるとは思えないということだ。
作者として、早く旅に行かせて活躍なりヒロインと出会わせたいのは分かる。
だが、肝心の主人公がその旅に行こうとしないのであっては問題なのだ。
だからと言って、取ってつけたように「俺、旅に出るよ。世の中をもっと知りたいんだ!」と言わせても違和感バリバリだし、割と重要な人生の分岐点をなんとなくで決めているようでは、この先主人公に対して心配の気持ちしか出てこない。
よくある『テンプレ』主人公の設定としては、「夢想家」「家族や友人との別れをすぐに割り切れる」「基本的に考え方は自分本位」「人生に刺激を求めている」「お人よし」あたりの要素がほぼ該当している。
ここでは、少なくとも「夢想家」はほとんど例外なく確定となる。
異世界転移や転生なんて非現実極まりない話が出ているのに、まるで動揺しない、すぐに違和感なく受け入れる時点で「夢想家」を否定することは不可能に近い。「ゲーム脳」とも言えるのかもしれない。
間違っても、このような設定を付与した主人公に現実主義者なんて真逆の感性を付けようとしないように。
「家族や友人との別れをすぐに割り切れる」は、これだけで主人公の人格が8割方固まりかねない重い部分だ。
両親の人格があまりに酷かったとか、家族に対し憎悪を抱く主人公であれば話も変わるが……そういったドロドロとした環境は『テンプレ』では滅多に見ない。あくまで普通の一般家庭としてのそれで考える。
まず、大事な人との別れに対して精神的な負荷を感じていないということは「自分は自分、他人は他人」という冷めた感性が根底に存在している。大事な人なんていないという主人公は、なおのことこの定義に当てはまる。
実はこれ、「ふと日本の家族のことを思い出すたびに、胸がぎゅうと締め付けられる」といった、少しでも寂しさや悲しさを見せる描写があれば回避は可能なのだ。「自分では割り切っているつもりでも、実際は悲しいと感じている」という『無自覚な愛情』に変換でき、一気に好印象に転換できるのでぜひオススメしたい。
だが、こういった描写が一切ないと、作者の思惑はどうあれ、主人公は本心から「家族や友人をそれほど大事に思っていない」と解釈されることとなる。
人としてどう、という問題ではないのだ。
こういう人は確かにたくさんいるだろうし、常に己を律する冷静さを印象付けることも可能ではある。自分を客観視して物事を判断できるタイプと言おうか、感情よりも理屈で動く性格の人間に多い。
しかしこういった人格がベースとなると、『テンプレ』主人公にありがちな、「深く考えず勢いで行動」「神からもらった『チート』を気がねなく使う」「行くあてのない旅に出る」といった、理性よりも本能的な――行き当たりばったりな判断で動くことが少なくなりやすい。
「基本的に考え方は自分本位」は、おそらく『テンプレ』において該当しない主人公は絶無に等しい。というか、目的の無い旅に出る時点で自分本位だからだ。
重ねて言うが、人としてどうかを問うているわけではない。
あくまで行動判断の基準が『テンプレ』とずれる可能性を示唆しているのだ。
この要素を否定できるのは、『チート』を手にしてまず「どのように使えば誰かの役に立てるのか」と考える主人公くらいだろう。例えば主人公に「育ててくれた両親に恩返ししたい、そのためにこの力を使うんだ」といった言動が出てくるのであれば、ここは無視してもらって結構だ。
といっても、他人本位な感性を持つ人間はどちらかというと少数派だろう。
「~~がしたい」という願望や欲求は、自分本位に物事を考えないと発現しない希望である。これはむしろ、『テンプレ』に則った旅に出るためには必須要素と言える。
「人生に刺激を求めている」とは、「俺も異世界に行きたい」といった、異世界転移や転生をポジティブに捉えている場合の感性だ。これもまた、当てのない旅に出るためには欠かせない要素だろう。
その反面、『安心』や『安定』――つまるところ、退屈を極端に嫌う流れになる。
変わり映えのしない学園生活に嫌気がさして、なんて文が冒頭に出る『テンプレ』の主人公はごまんといる。
異世界に行って考えが変わることもあるだろうが、少なくとも、いきなり所帯持って村でほのぼの生活を送るキャラクターではあるまい。
「お人よし」な主人公も多い。
人を助けるのに理由を求めない、「助けたいから助けた」なんて言動が出るならコレだろう。
だがこれは、意外と他の要素とケンカしてしまうことになる。
まず、「人生に刺激を求めている」とはほぼ確実に噛み合わない。
「お人よし」とは、円滑な人間関係――つまりは和を求める。外部からの不用意な刺激で人間関係が崩れるのを怖れる性質となり、「人生に刺激を求めている」人物とは、いわば学校における委員長と不良の関係みたいなものだ。
「基本的に考え方は自分本位」とは、少し難しいがやりようによっては共存できる。
「お人よし」という考え方を、「他人からよく見られたいだけ」という自己欲求に持っていけば、言い方は悪いが『偽善者』としての自分本位に変換できる。ちなみに拙作“AL:Clear”の主人公、日野森飛鳥はこの『偽善者』タイプにあたる。
うーむ。どちらにせよ軽いノリの作品には向いていなさそうだ。
と、典型的な『テンプレ』主人公を少し掘り下げるだけで、これほどまでに性格や判断力に幅が出る。
100作品中100人の主人公が、誰もが無条件で女の子に好かれて、誰もが当てもない旅に出るなんて選択をするとは考えられないわけだ。
こうなったら、ストーリーの流れから逆算して主人公の性格付けを行うしかあるまい。
『テンプレ』における主人公の環境を考えてみると「ヒロインからは必ず恋愛対象として見られる」「弱音を吐かない」「他人から悪い印象を受けない(明らかな敵からは除く)」「目上の人相手に緊張しない」「頭の回転が速い」「欲望に忠実」……こんなところだろうか。
これらをすべて、あるいは大半を満たしていればいいわけだ。
――うん、無理じゃね?
ここで一度執筆を止めて2.3時間くらい考えてみたのだが、これらを満たすような人間像がぜんっぜん思いつかん!!
ぶっちぎりで難しいのが「ヒロインからは必ず恋愛対象として見られる」だ。
性格も好みもタイプも違うであろうヒロイン諸君を片っ端から心底惚れさせて、かつハーレム環境を容認させるような男ってどんな奴だよ。死にそうなところを助ける吊り橋効果だけでヒロインを落としていくにも限界があるぞ!!
ヒロインもヒロインで、誰も彼もが主人公に一目惚れして「強いオスには惹かれるもの」とか言うのか? サバンナに住むライオンじゃあるまいし!!
「欲望に忠実」は別に簡単なのだ。
据え膳食わぬは男の恥とも言うし、自分に正直という点では美徳でもあるだろうから。異世界はその辺の倫理観が薄いことが多いから成立もするだろう。
ただ、これと「他人から悪い印象を受けない」との共存とかどうやるんだよ! これで周りが「こいつは強いし、欲望に正直なところが気に入った」とか言ったら、それこそ世界中がサバンナのラ(以下省略)
そんでもって「目上の人相手に緊張しない」「頭の回転が速い」とか、それこそ『ハードボイルド』の領域だし!!
10代半ばの若造ができる境地じゃないよぅ……よっぽどの修羅場潜り抜けてこない限りはさぁ……
「弱音を吐かない」も……まぁ、強がりという意味では問題ないだろう。
たださぁ、強がりだったら「欲望に忠実」と絶対共存できないよぉ……我慢なんてできないんだから。
むしろこれを考えている私が弱音を吐きたいわ!!
だって、もう本気ですべての要素に該当しているのがサバン(しつこい?)
……もうさ、今までの考察の中で初めて匙を投げたくなったんですけど。
どんだけ業が(むしろ欲か?)深いんだよ『テンプレ』主人公。人の皮を被った百獣の王にしか見えないわ……
結局、『テンプレ』って言うのはご都合主義という現実味を排除しきったものなんだから、そこに登場するキャラにも現実味を求めるのは間違っているとでもいうの?
これはこれで真理なのかもしれないけれども……納得いかん。
感情の赴くまま書いたので、色々と文章が荒ぶってしまったのはご容赦いただきたい。これほどまでに、まったく考察ができなかったのは今回が初なのだ。
おそらく、ここが分水嶺――小説に求めるものに対しての分かれ目なのだろう。
架空のものと割り切り、読者を楽しませるためのエンターテイメント性を追い求めるのか、架空のものの中にも現実味を求めるのか。
万人に受ける小説なんてありはしないのだから、人それぞれ異なる感性で好きな方を書けばいいだろうと。
ただ、それを認めたらこの考察のすべてが無意味と化す。
書きたいものを書けばいい――聞こえはいいが、これは体のいい『思考放棄』だ。こんな結論を認めるわけにはいかない。
悩むことを諦めて小説が書けるかー!!
と、言うわけで。
この時点では「『テンプレ』に適したキャラクター作り」の結論は、いったん保留にする。
また色々な方向から別の考察を重ねた結果、新しい回答が出てくることを祈りつつ……おそらくこの考察に決着を付けることが、このエッセイ(なのかどうか最近不安になってきたが)の最終目標になりそうである。
いずれ【回答編】をやります。
ええ、やりますとも!!




