21)帰りを待つローズ
突然、ローズの頭に何かぶつけられ、液体が垂れてきた。臭いで分かる。卵だ。
「あら、ごめんなさい。こんなところにいたの。あなた小さいから、見えなかったわ」
「役立たずも、卵を割るくらいはできるのね」
「ロバート様の邪魔する以外に、出来ることもあるなんてね」
あざけるような言葉に嘲笑が続いた。見知った侍女たちがいた。以前から陰口だの嫌がらせだのしてきている三人だ。あちこちに、ローズの陰口を言って回っているのも知っている。
アレキサンダーの視察で、近習達の人数が減ったとたん、嫌がらせも陰口も酷くなってきた。三人はローズを嘲るように笑いながらどこかへいってしまった。
今日も、グレースの選んでくれた服で、グレースが編んでくれた髪だ。いつか、娘がうまれたときの練習だといって、グレースは、時々ローズの髪をきれいに結ってくれる。ローズは、優しいグレースの厚意を汚されてしまったことが悲しかった。本来、だれかが食べるはずだった卵が無駄になってしまったことも悲しかった。
ローズは、とぼとぼと、井戸のあるほうへと歩きながら涙をこらえていた。エリックを筆頭とした留守番の近習達は交代でローズの面倒を見てくれる。だが、今日のように全員が忙しい日もある。だから、教師との勉強が終わったら、サイモンのいる図書館にいって、本を読んで隠れて居ようと思っていたのに、こんなことになってしまった。
ロバートに、井戸に落ちたら危ないから、絶対に一人で使ってはいけないといわれている。王太子宮には複数の井戸があるが、大きくて、確かに子供のローズには危ない。部屋にいけば、水差しに水が汲んであるはずだ。でも、部屋に戻るまでの間に、この姿を誰かに見つかったら問題だ。
涙がこみあげてくるが、泣いているのを近習の誰かにみつかったら、心配をかけるし、誰がやったかと聞かれてしまう。ローズの後見人はアレキサンダーだ。ローズを蔑ろにすることは、後見人のアレキサンダーへの不敬なのだ。大問題になりかねない。ロバート達がいない今、留守を預かるエリック達の仕事を増やしてしまっては申し訳ない。
ロバートにもらった、ちょっと大きすぎるハンカチに、目から零れ落ちようとする涙を吸い取らせた。今回は視察だ。イサカの町に行った時とは違う。戻ってくる日は決まっている。せいぜい数日前後するくらいだろう。いつ戻ってくるか、本当に戻ってくることができるかもわからなかった、昨年のイサカの町への派遣とは違う。今日も一日我慢したら、夜になったらサラが一緒にいてくれる。一日、一日、我慢したら、ロバート達が帰ってくる日が一日、一日近くなる。
ローズは、こぼれてきた涙をハンカチで拭いながら歩いた。夕食までには、きちんと、いつものとおりにしないと、優しいグレースやサラに心配をかけてしまう。髪の毛を綺麗に拭いて、顔もちゃんと洗って、いつもどおりにする。ローズは自分に言い聞かせながら歩いていた。
「ローズちゃん」
ローズをこうやって呼ぶのは、年齢の近い小姓たちだ。ローズは泣くのをこらえるのに一生懸命で、気付いていなかった。
「どうし、何があったの。大変じゃないか」
小姓達に囲まれてしまった。ローズは、言い訳を考えていなかったから、何も言えなかった。
「大変だ、知らせなきゃ」
「執務室行ってくる」
「訓練場行ってくる」
「応接室行ってくる。入り口横第一、第二、見てくる」
「じゃぁ、二階の応接に行く」
各自、目的地を宣言し走り出そうとした。
「駄目」
ローズが叫ぶと小姓達は足を止めた。
「駄目、大丈夫だから、言わないで」
小姓達にローズは必死で訴えた。
「なぜ。大丈夫じゃないよ、こんなの」
小姓の一人が、髪の毛についた卵をそっと布でふき取りはじめた。
「こんなことするなんて。酷いよ。ちゃんと、報告しないと。今回の留守の間はエリックさんが筆頭だから」
「駄目、だって今日はみんな忙しい日だもの」
ローズは、ロバートにもらったハンカチを握りしめた。
「洗って、拭いたら大丈夫になるから、誰にも言わないで」
ローズの訴えに小姓達は困ったように顔を見合わせた。
「それこそ駄目だよ」
「ちゃんと報告するのが僕らの務めだもの」
「言ったら駄目」
ローズが繰り返した。小姓の筆頭ティモシーがため息をついた。
「わかった。ちゃんと、誰にも言わないから、ローズちゃん、髪の毛を綺麗にしよう。井戸にいくつもりだったんだよね。でも、危ないから、ここで待っていて。水を汲んでくるよ」
「おい、そんなの」
「ローズちゃんを、綺麗にするのが先だ。水を汲んできてくれ」
筆頭のティモシーの命令口調に、文句を言いながらも他の小姓達は従ってくれた。
「おいで、ローズちゃん。ここに座ろう」
ティモシーに言われて、ローズは庭に置いてある石造りの長椅子に腰かけた。
「大丈夫だからね。ロバートさん達がいない間、ちゃんと僕らが護ってあげるよ」
ティモシーの優しい言葉に、ローズはとうとう泣き出してしまった。




