63)ローズと"記憶の私"
御前会議でローズが孤児院に帰るといった日。
貴族達は、ローズが思っているよりも、ローズを受けいれてくれていた。貴族の中でも身分が高く、実力ある貴族だけが参加する御前会議だ。身分が高い人たちだが、ローズが孤児であることなど、大して気にしていないようだった。
ローズは、イサカを襲った疫病の件では、自分が役に立ったという自負はある。
だが、それ以外は、単なる飾り物のように参加させてもらっているだけだと感じていた。娘のよう、孫のようと言ってくれる貴族もいるが、礼儀作法を身に付けていない孤児を相手に、彼ら高位貴族達の令嬢のようなどとおっしゃっていただいて、ローズとしては申し訳なかった。そもそも貴族の令嬢は、王太子宮に一人で歩いてきて、陳情をすることなどない。
貴族達は、様々な話をし、ローズの意見も聞いてくれる。貴族である彼らと、ローズの視点は違う。貴族達はローズの視点を新鮮だといい、ローズの話を楽しそうに聞いてくれた。もっと勉強して、賢くなったら、彼らともっと議論ができるのだろうか。少なくとも、それを期待されていることはわかった。
王太子アレキサンダーの言葉は、厳しいが、優しかった。
「勉強して将来私の役に立て。そのために必要なものはそろえてやる」
アレキサンダーの腹心であるロバートも優しく微笑んでくれた
御前会議のあと、王宮から王太子宮へと帰る馬車で、二人は、ローズに、アレキサンダーが国王となり、国を治めるときに、国王の側近として仕えることを期待している、と言ってくれた。
ローズは孤児院でシスターたちに育てられ、外の世界で生きることなど考えたこともなかった。そんなローズに彼らが見せてくれた未来は希望だった。とてもうれしかった。
だが、その根拠となっているローズの知識は、ローズのものであってローズのものでない。ローズの記憶の中にある、ローズの知らないはずの記憶だった。ローズはその記憶を、“記憶の私”と呼ぶことにしていた。頭の中に、ところどころ欠け、意味のわかるところとわからないところが混ぜこぜの本があるようなものだ。
“記憶の私”に気づいたのはリズが病気になったときだった。あの頃、特に小さな子たちが次々と亡くなった。リズを助けたくて、一生懸命シスターたちを手伝った。その時に、突然方法がわかった。藁にもすがる思いでその通りにした。何人かは助かった。
一番助かってほしかったリズは、助からなかった。一緒に育ったリズの墓の前で、リゼだったローズは泣いた。
「どうして、リズが死んでしまうの」
リズのようにまた、誰かが死んでしまわないようにしよう。大人たちのなかで、最初にリゼだったローズの訴えに耳を傾けてくれたのはシスター長だった。シスター長のおかげで、孤児院が変わったのだ。小さな子供たちの死亡率が下がった。
「助けてあげられなかった」
もっと早くに“記憶の私”に気づいていたら、リズは死ななかったかもしれない。その事実にリゼだったローズは打ちのめされた。そんなローズを助けてくれたのも“記憶の私”だった。
「亡くなった人は還ってこない。でも人の死を無駄にしないことはできる」
遠くの町の疫病の話を聞いたとき、リズや小さな子供たちが次々亡くなったあの時のことを思い出した。
「全ての人を助けることなどできない。でも、助けられる人は助ける。一人の人ができることは少ない。たくさんの人に手伝ってもらえば、もっと多くの人を助けることができる」
“記憶の私”の言葉を支えに、王太子宮の門の前に立った。
“記憶の私”の言葉通り、イサカの町は、王侯貴族、兵士たち、医師や看護師、司祭、町の人たちといった沢山の人の力で疫病を抑制した。既に、町そのものの復興も始まっている。
ローズにもよくわからない“記憶の私”のことは、いつか王太子やロバートに言わねばならないと思う。早い方がよいだろうとは思っていたが、言いそびれてしまっている。名前のことだけで、優しいロバートを傷つけてしまっていたらしいことに、ローズは反省していた。泣きそうな、悲しそうな顔に見えた。
“記憶の私”のことを言わなければならないと思うが、なんといっていいかわからなかった。
ロバートは、優しい人だ。ただ、ローズを小さい子のように心配して、過保護になって、ときどき怒る。侍女頭のサラが、庇ってくれる。サラは娘のミリアの小さい頃のようで懐かしいといって、悪夢で眠れなかったローズに添い寝をしてくれた。優しい人だ。
孤児院の外の世界は、想像していたより優しかった。
これから冬になる。既に疫病は収束し、イサカの町も立ち直りつつある。ロバートの後任として三人を送った後、町の封鎖を段階的に解除した。
今も現地には、必要な人材を適宜送っている。町の復興、正確には完全にライティーザ王国の統治機構に組み込むため、人も資金もつぎ込み続けている。だが、イサカと周辺の町を掌握できるなら、安いものだとアレキサンダーはいってくれた。自治組織の発達した交易の町イサカは、手に入れたいが、手に入れたら手に入れたで面倒な場所だったらしい。
来年、また孤児院ではマグノリアの花が咲くだろう。毎年、春の訪れを告げるマグノリアの花が咲くのを心待ちにしていた。
ずっとここにいるなら、もうあの庭のマグノリアを見ることはない。明日、庭のどこにマグノリアが植えてあるのか、庭師に聞いてみよう。ローズは、ベッドにもぐりこみ、ゆっくりと目を閉じた。
明日の朝、ロバートが迎えに来てくれて、いつもどおり図書館にいくのだ。
第一章はここまでです。
お付き合いいただきありがとうございました。
ここまででようやく、起承転結の「起」です。
本編はお休みです。幕間を3月11日~14日午前7時に更新します
王太子宮の庭(庭師は見た!)https://book1.adouzi.eu.org/n0014gv/
第二章は、3月15日7時から更新予定です。第二章も連日更新です。




