第40話『相容れない女達』
【ローズマリー共和国 パルテシャーナ星 ゴールベリ邸】
ローズマリー共和国内の名家であるゴールベリ家の邸宅はその名に恥じぬ豪華絢爛な造りをしており、当主であるエリーゼ・ゴールベリ元老院議員の趣味が美術品の収集ということもあって、彼女の私室には国内外の見事な美術品が並んでいる。そんな自室で雑務をこなしていたエリーゼはふと手を止めて顔を上げた。美の集合体とも言える彼女の室内に異物が紛れ込んできたからである。
エリーゼの目に映るティーセットが乗るカートを押して入ってきた少女の姿はこの豪華絢爛な室内には不相応だった。このゴールベリ邸に従者となれるのは、優れた所作を身につけ尚且、エリーゼの厳しい審査を通った者だけである。ましてや彼女の部屋に立ち入るとなれば、その中でも更に優秀な者に限られるのだ。しかし、その時に室内に足を踏み入れたのは少女の佇まいはたどたどしく、外見もリボンという形で誤魔化した眼帯を付けた醜さがあった。
「貴女にはグラハムの家に行くよう命じた筈だけど?」
エリーゼは明らかに不機嫌そうな溜息をついて苦言を呈すと少女は足を止める。そして彼女も不服そうな面持ちでエリーゼの方に向き直った。
「私もゴールベリ家に入るのは好ましいとは思っておりません」
リボンのような眼帯をつけた少女……ゴールベリ家の汚点でありエリーゼの姉の娘であるフィーネ・ラフォーレは不満気な表情を浮かべている。気の弱い娘かと思ったが物怖じせずそう告げるところを見ると意外と度胸は座っているらしい。
姉とは違うフィーネの一面を見つけたエリーゼだったが彼女への鋭い視線を緩める事ない。そして次の厳しい言葉を口にしようとしたところで無遠慮に彼女の私室の扉が開いた。
「私が連れて来たんスよ!」
開く扉の勢いに見合った元気な声が響き渡る。聞き慣れているそこ声色にエリーゼは再び溜息混じりにかぶりを振った。
「コックス遊撃長。色々聞きたいことはあるけど、まず何故貴女もここにいるのか教えてもらおうかしら?」
側頭部にハートの編込みという奇抜なヘアスタイルのミランダ・コックスはズカズカと室内に足を踏み入れてくる。彼女はフィーネの横で立ち止まると肩に手を回して昔から変わらない笑顔を見せてきた。
「パパに休暇あげたのは先輩じゃないッスか! それで今日は私が先輩をお守りしに来たんス!」
普段エリーゼを護衛するグラハム・コックスの娘にして、帝国留学時も同時期だった女学校時代の後輩ミランダは海陽のように明るい笑顔でそう告げる。エリーゼは彼女の返答に納得すると次の質問を口にした。
「なるとほどね。じゃあ次の質問をさせていただくわ。この神聖なるゴールベリ家の屋敷に何故その子を連れて来たの?」
エリーゼはフィーネを一瞥してから尋ねるとミランダは驚いたような表情を浮かべた。
「何言ってんスか先輩!? パパから聞いた話ッスけど、この子は先輩の姪っ子ちゃんらしいじゃないですか! となれば同じ血を持つ人がいる家でいっぱい学んだ方が身になると思ったんス!」
「それは血縁上の話よ。戸籍上は抹消してるわ」
「でも今の戸籍は仮登録状態ッスよ? いずれは迎え入れてあげるつもりなんでしょ~? ホラ、先輩って昔から優しいし! いいおばさんだね!」
ミランダはそう言って言われるがままのフィーネの頭をクシャクシャに撫でると、聞きたくもないお世辞抜きの称賛を始めた。
「この子物覚え良いんスよ! 流石先輩の姪っ子ちゃんスね! ちょっと怪我してるけど顔も可愛いし将来は私の夜伽役やってもらっちゃおうかなって! あ、大丈夫! まだ手を出しちゃいないッスよ!」
「ミランダ。貴女は昔から仕事は出来るけど頭が悪いのが玉に瑕ね」
エリーゼはそう告げて眼鏡を外すと、小休止と言わんばかりに目頭を押さえながら背もたれに身体を預ける。するとミランダの細い目は笑顔で益々細くなった。
「ちょっと~言いますよね~! 昔っから先輩は好きな子イジメちゃうタイプだから」
「その馬鹿の一つ覚えとも言えるプラス思考も相変わらずね……まぁいいわ。良い機会だから教えてあげる。その娘には今後は我が共和国の為に役立ってもらう予定なのよ」
エリーゼはそう告げると整頓されたデスク上にある引き出しから映写機を取り出して蓋地の前に放り投げた。床に落ちた映写機から球体のホログラムとその中に多くの資料が浮かび上がる。その起動を確認したエリーゼは次にフィーネの方に視線を送ると彼女は残っている片目でその資料を凝視して顔を顰めた。
「……帝国との国交正常化……」
浮かび上がる資料の中身を理解したのか、隣でニコニコ笑うミランダと違いフィーネは神妙な面持ちになっている。その表情から察するにそれなりの教養を持ち合わせているようだった。
「これこそが私が元老院議員になった目的よ」
エリーゼはそう言ってフィーネの反応を探るが、彼女は意外にも真っ直ぐにこちらを見つめながら淡々と告げた。
「意外でした。議員は帝国との交流を望んでいるようには見えなかったので」
「あらそう? 何故そう思ったの?」
「この屋敷の従者がすべて女性に統一されているのも然り、ゴールベリ議員は男卑感情が御強い。恐らく心を許されている男性はグラハム・コックス様だけです。その男卑感情に限ればマルグリッド・チェン議員と同じだと思っていました」
エリーゼが嫌う保守派筆頭のマルグリッドと比較する。その見え透いた挑発から揺さぶりをかけようとする手法にエリーゼは思わず笑いそうになった。しかしその若さを鑑みると筋は悪くもない。エリーゼは小さく微笑んだままフィーネの意見に同調してやった。
「そうね。私は男性を嫌悪しているわ」
その同意にフィーネは驚きもしなければ憤りもしない。そしてただ単純な疑問を告げるかのように再び口を開いた。
「そのようなお方が男女共生観念を持つ帝国と交流をしたいと思うことは意外です。私の考えは間違っていますでしょうか?」
「いいえ。間違っていないわ」
エリーゼは再び彼女の回答を認める。流石に今回ばかりは予想外の反応だったのかフィーネの眉が小さく動いていた。そんな若輩者の仕草を弄ぶかのようにエリーゼは微笑を保ったまま立ち上がった。
「嫌いな国と交流を持つ。その理由は単純よ。……まず、我が共和国は医療技術、生体技術、それらの分野以外では帝国に大きく劣っている。これは変えようのない事実なの。ソレくらいは理解しているわよね?」
エリーゼはそう言ってフィーネに徐々に歩み寄る。急に立ち上がったエリーゼの風格に圧倒されているのかフィーネは小さく後ずさりしながらもなんとかその場で立ち止まっているようだった。そんな小物を見下ろしながらエリーゼは話を続けた。
「マルグリット・チェン等保守派はその事実から目を逸らして共和国は帝国と対等であると思い込んでいる。全てはくだらないプライドからくるものでしょうね。でもそんなものに拘っている間にも帝国内のルネモルン政権一党独裁政権が続き、その力が更に強まればいずれこの国は帝国に蹂躙される。今の私達には彼等に我々が勝つ術はない」
エリーゼの説明をフィーネは険しい表情で聞いている。その隣のミランダというとよく分かっていないのか頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。しかしエリーゼからすればこの件を彼女に話しているつもりはなかったのでフィーネに向けて話し続けた。
「我々が帝国と対等になり立場を逆転するには時間を要する。今は耐える時……こちらが提供できる情報や技術は可能な限り帝国に提示し、向こうからも大きな情報を得てその技術を吸収する。でもその時にこの国が今のような無能だらけの議員で溢れていたら意味がないの。その技術を有意義に活用できる優秀な人材を集める必要があるのよ」
エリーゼはそこまで告げて心の中でシャイン=エレナ・ホーゲンの名前を思い浮かべる。そして冷徹な目で微笑んだ。
「優秀な人材を集め、帝国の技術を吸収した時、共和国はようやく帝国と肩を並べることが出来る……そしてその時にこそ私達は改めて帝国に喧嘩を売る事ができるのよ」
その言葉にフィーネの表情が歪んだ。国交正常化を謳いながら最終的には喧嘩を売るという行動に混乱しているのだろう。いや、それ以上に子供ながらに戦争のイメージが出来ているのかもしれない。
「帝国と戦争をするのが……貴女の目的なんですか?」
フィーネの問にエリーゼは鼻を鳴らす。そして愚問と言わんばかりに彼女の方に向き直った。
「いずれにせよ戦争は必要事項なのよ。海陽系は広い。でも資源に限りはある。このまま蹂躙されるなり国交を正常化するなりすれば、我が国の医療技術を得た帝国の出生率が上がって人口爆発が起きるでしょう。その時にどちらが多くの資源を獲得するのか……分かる? このまま行けばいずれは戦争が起きるのよ。私達の行く道は2つ。現状を維持して帝国に滅ぼされるか、いずれ来るであろう帝国との闘いに勝利するかのどちらかなのよ」
エリーゼの言葉にフィーネは険しい表情を浮かべている。その顔を見てエリーゼはまたしても小さく笑ってしまった。
彼女の計画内ではフィーネが戦後の心配などする必要など無い。その不要な心配をしている少女が滑稽に見えたのである。
「貴女が総心配する必要はないわ。帝国と戦争になるのは長い目で見ても数十年後……でもその時に貴女に用はない。むしろ役に立ってもらうのはその前よ」
「……前?」
フィーネは険しい表情を保ったまま不可解そうな声を上げる。その疑問に答えるかのようにエリーゼは優しく告げた。
「計画通り進めば……いえ2年後には確実に貴女を帝国に送るつもりよ。現皇帝陛下の側室候補としてね」
「……側室……候補」
フィーネの表情が明確に歪むのを見つめながらエリーゼは冷たく微笑み続ける。そして彼女に背を向けるとデスクに戻って腰を下ろした。
「貴女には帝国との国交正常化の懸け橋になってもらうわ。帝国側も世論を気にしてゴールべリ家の名を持つ者を無下には出来ないはず。それに聞けば現皇帝陛下は好色家らしいし、多少の傷物でも愛でてくれるでしょうよ」
「……成程、処女を大切にしておけと仰ったのはそのためですか」
フィーネは全てを察したかのようにそう告げる。その表情には恐怖や絶望よりも屈辱に対する怒りの感情の方が大きく見て取れた。しかし彼女の意思などエリーゼには関係のないことである。
「そう言う事よ。よく覚えていたわね。ミランダ、これで貴女が勘違いしていたことへの回答にもなったでしょう? この子の戸籍を今は仮にしているのはそのためよ。時期が来たらゴールベリの名を戻してあげるわ」
エリーゼはそう言ってミランダの方に視線を移す。彼女は相変わらず細い目でにこやかに微笑んでいるようだったが、明らかに先程までの明るさは消え去っている。その証拠に彼女はいつもより低い声量で言葉を連ねた。
「……つまり、先輩は姪っ子さんを帝国に売るってことですか?」
「言葉が悪いわね。違うわ。その子には共和国発展のための礎になってもらうのよ」
「先輩は分かっていませんね……帝国のオスどもがいかに野蛮かという事を……」
「あら、自分は知っているとでも言いたげね。貴女が私よりも早く留学から戻ったことと関係があるのかしら?」
エリーゼの含みを持たせた言葉にミランダはハッと息を呑むと過呼吸になりながらその場に膝を付いた。胸を抑えて蹲るミランダにフィーネが駆け寄る。そんな憐れなミランダをエリーゼは席から立つことなく冷たく見下ろした。
ミランダには拭いきれない過去があった。エリーゼと共に帝国に留学した少女時代……彼女の滞在していたクリオス星である事件が起きたのだ。それは共和国との交流に異を唱えるタカ派の一部軍人等が滞在先の施設を襲い、そこに居た少女等は軍人らに手籠めにされたという悍ましいものだった。帝国側はその事件の全貌をひた隠し共和国側に多額の口止め料を支払ったこともあって、この件が公けになることはなかった。エリーゼが知ったのもEEAの長官になってからである。
そんな憐れな後輩に同情しながらもエリーゼは不快感を隠そうとはしなかった。彼女にとって穢れた男と姦通した時点で不快な対象と変わりないからである。
「随分と辛そうね。フィーネ・ラフォーレ。貴女はコックス遊撃隊長を連れて屋敷に戻りなさい。そしてこれからはコックス邸でいろいろ学ぶこと。……いいわね?」
エリーゼは通告のようにそう言い放つと、ミランダの肩に手を添えていたフィーネはスッと立ち上がる。その表情は先程までのものとは違う。まるで何か決意したかのような凛とした佇まいは17歳の小娘とは思えない厳かな雰囲気があった。
「……ええ、その方がよさそうです。そして私も私なりの考えでやらせていただきます」
「良い心構えね。好きになさい。……でも覚えておくことね。貴女如きの覚悟1つでどうこう出来るほど世の中は甘くはないわよ」
エリーゼの言葉を受け止めるようにフィーネは視線をずらさなかった。エリーゼは少し満足して小さく微笑むと視線をデスク上の書類に落として告げた。
「分かったら行きなさい。いつになるか分からないけど次に会うと時はそのセンスのない眼帯を付けない事ね」
「……失礼いたします」
フィーネはミランダに肩を貸して起き上がらせる。すると絞り出すような「先輩」というミランダの声がエリーゼの耳に入った。
「……何?」
エリーゼは視線を向けることなく返答する。視界の隅にはスコルヴィー星人のように顔を真っ赤にしたミランダの姿が僅かに写っている。彼女はフィーネの肩を借りながら何とか自立すると細い目を少し釣り上げながら告げてきた。
「先輩は昔から頭はいいけど先が見えないのが玉に瑕ッスね」
「……」
フィーネにも劣る挑発めいたセリフにエリーゼは表情を変えることなく小さく息をつく。そして片手を上げて追い払うかのように手を振った。
2人が去っていく後ろ姿にチラリと視線を投げかける。自分の思い描く未来の為の犠牲……それは出来うる限り彼女等のような穢れた存在でなければならない。エリーゼはそう思いながら再び書類に視線を戻した。




