第37話『寄生か転生か』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城 宰相執務室】
宰相執務室に隣接する会議室……誰も居ないその空間に設置されていたドーナツ型の円卓に腰を下ろすキョウガ=ケンレン・ルネモルンはふと目を開いた。宰相の秘書とあれば激務に変わりないので、このような待機時間を睡眠に当てるのは彼なりの処世術でもあったのだ。
「お疲れのようですネ」
人が入ってくる気配は感じ取っていたのでキョウガは別段驚くわけでもなく声の方に振り返る。
そこに立つ帝国軍中将テセウス・ガイムランの姿を確認すると、彼はキョウガが口を開く前に続けざまに言葉を連ねた。
「聞けば宰相閣下があれほど手広く動けるのは筆頭秘書官が雑務から計画案など一切を行っているからとカ……私のような軍人には分かりかねる疲労でしょうネ」
薄暗い会議室内に足を踏み入れるテセウスから労いの言葉をかけられたキョウガは椅子に座り直すと小さく会釈した。
「そのようなことは……どうぞお掛けください」
キョウガはそう言って彼に着席を促すと、テセウスは軍帽に手をかけて腰を下ろした。
テセウスが軍帽をテーブルに置くと、その頭頂部から彼の大柄な風貌には似つかわしくない可愛いらしい丸みがかった耳が現れる。
キョウガはテセウスが腰を下ろすのを確認すると、背筋を正して普段使っていない表情筋を動かしながらぎこちなく微笑んだ。
「私の疲労などガイムラン大将閣下と比較になりませんよ。おっと失礼。辞令はまだでしたね。ガイムラン中将」
歯に付くような見え透いたお世辞を告げてみる。しかしテセウスはキョウガの予想通り少し怪訝な表情を浮かべていた。
「……嬉しいお申し入れですガ、いささか急ですナ。帝国軍大将の定員はすでに満たされていると思いますガ?」
「お聞きではないですか? 帝国軍元帥オデュッセウス・ポルチェノフ大将閣下が今期をもって勇退なさるそうです。つきましては新たな大将と新元帥の選抜を行わねばなりません。無論、新たに大将に選ばれる方も元帥候補となりますが」
「私に元帥になレ。そう仰るのですかナ?」
「私は一介の秘書官に過ぎません。ですがもしもそうなれば……宰相閣下はお喜びになるでしょう」
テセウスの牽制にキョウガは本音と建前を織り交ぜた折衷案ともいえる答えを返す。
しかし当のテセウスはまだ不服そうな雰囲気を纏っていた。
テセウス・ガイムランという男は出世欲はおろか向上心というものが無かった。
彼が中将という地位にまで上り詰めたのは何事にも首を突っ込まなかった事が大きく起因しているのだ。任務に置いて無茶な行動をしなかったおかげで大きな怪我から逃れ、出世競争にも参加しなかったせいで蹴落とし合いに巻き込まれることもなかった。
取り立てて成果を上げたわけではないが、大きな問題もおこなさない。
退役する将官が自身の後釜に据える際に厄介な人間を選べば、隠居中に任命責任を問われる可能性もある。
そんな厄介ごとから逃れるため……要は無難な人選によって彼は今の地位まで上り詰めてしまったのだ。
「(……だからこそこの男は利用しやすい)」
キョウガはそう思いながら不満気なテセウスの顔を見つめる。
そんな欲のない男を引き入れれば決して反旗を翻すことがない。このテセウスという男とアイゴティヤ星知事であるクリフォード・ストラスは最低限以上の能力と自らの地位に対する保身的な考えを見込まれて宰相派に引き入れられたのだ。
「(……問題はこの男よりも宰相の方だな)」
キョウガは心の中でそう思いながら視線を宰相室に繋がる扉の方へと移す。
皇位の簒奪を狙い始めて数十年……前皇帝が重篤となるというチャンスを物にできなかった男が、ここに来て簒奪を諦める時が来てしまうのではないか。
キョウガとしてはそちらの方が懸念材料としては大きかった。
ハーレイが皇位を諦める事は彼の計画が頓挫する事を意味していたからである。
『フェフェフェ! 随分と楽しそうな雰囲気だもんね』
いきなり響き渡る薄気味悪い笑い声にキョウガは珍しく感情を露わにして不快感を示す。
すると円卓の一席にゴーグルをした不気味な男……デセンブル研究所所長ノヴァ・ホワイトが姿をホログラムとして浮かび上がった。
「ホワイト所長。応答許可を出した覚えはありませんが……」
キョウガは別段苛立ちを見せるわけでもなく、単純な疑問としてそう告げるが、ノヴァは気にすることなく不気味な口を開き続けた。
『フェフェフェ! 細かい事は意にしなくていいもんね! それより宰相はまだだもんね? 今日は面白い結果が見えたから早く教えてあげたいんだもんね!』
「……宰相閣下でしたら……どうやらいらっしゃったようです」
キョウガは少しため息混じりにそう告げると立ち上がり、それに倣ってテセウスも腰を上げる。
キョウガが眺めていた宰相室に繋がる扉が開くとハーレイの姿が現れる。
その姿を見てキョウガは小さく安心した。ハーレイの堂々たる姿を見れば彼が皇位簒奪を諦めるなどとは言い出さなく感じられたからだ。
「ご苦労さまです。慰問式典はいかがでしたか?」
キョウガは労いと同時に今まで確認していたであろうセルヤマ星の慰問式典の様子を尋ねると、ハーレイは他愛のないものを見たような微笑を浮かべて頭を振った。
「問題もなければ面白味もないものだった。特別話すこともなかろう。何より中将と所長を待たせるのも悪かろう。皆楽にしてくれ」
ハーレイがそう言って腰を下ろすのを見届けると、キョウガとテセウスは腰を下ろす。
そしてハーレイはノヴァの方を見つめて声をかけた。
「所長。ホログラム越しとはいえ話すのは久しいな」
ハーレイは極めて友好的な口調でそう告げるとノヴァは不気味な笑い声で応えた。
『フェフェフェ! ついこないだまでお客さんが居たから話せなかったもんね』
「ほう? 客とは?」
『それは言えないもんね!』
まるで子供のように無邪気に笑うノヴァを見てキョウガは眉間にシワを寄せた。
「(デセンブル研究所に客? ……あの過酷なヴェーエス星に行くとなれば軍需産業の関係者……さしずめライオット・インダストリー社の者か?)」
キョウガは頭の中で考えをまとめながら不気味に笑うノヴァを見つめた。
テセウスやクリフォード同様にこのノヴァという男も出世欲のような野心は持ち得ていない。
ただ、この男が他の二名と大きく異なる点がある。
それは純粋に自らの欲望のままに研究する探究心があるところだろう。
彼には元皇后直轄護衛騎士団という経歴があるが、それも武器開発のための資料集めであり、皇后に忠誠を尽くしているわけでもなく純粋な一科学者としてしか生きていなかったのだ。
『それはそうと、見てほしいもんね!』
キョウガの推察など知る由もなくノヴァは喜々としながら、こちらの返答を待たずに機器を操作する。
するとテーブル中央に海陽惑星系宙域の宇宙地図を浮かび上がった。
浮かび上がる宇宙地図の所々には無数の光が記されている。
その数は数える気にもならない程膨大な量で、軽く見積もっても数億の箇所が光っていると言えただろう。それらの光を指しながらノヴァはヘラヘラと説明を続けた。
『これが粒子サイズに散らばった意識情報だもんね。これを全部集めて、あとはその情報から肉体を生成すれば……フェフェフェ! 面白い! 面白いもんね!』
「ようやくここまで辿り着いたな。再誕までどれくらいかかる?」
宇宙地図を眺めていたハーレイはどっしりと構えたままそう尋ねると、ノヴァはニヤニヤ笑いながら答えた。
『ここにある全ての情報粒子の回収に恐らく10年。肉体の生成は何度か試してるけど、確実性を求めるなら5年ほどかかるもんね!』
「15年か……前回報告にあった20年から大幅な縮小だな」
ハーレイはそう言ってニヤリと笑うとキョウガの方に振り返ってきた。
「……延命の必要があるようだ」
「ええ。そのために本日はテセウス・ガイムラン中将をお呼びしたのです。中将、お願い致します」
キョウガがそう告げるとテセウスは小さく会釈してからとあるデータを中央のホログラムに送り込む。
すると、とある戦闘空域の映像が浮かび上がった。
映し出された映像はジュラヴァナ星宙域で起きたものであり、そこには宇宙海賊と交戦する神栄教の精鋭部隊の姿がある。映像が動いたことを確認したテセウスは説明口調で映像の解説を始めた。
「先日、神栄教の自衛団でもある神聖ザイアン隊と宇宙海賊……ホーン・ファイトと呼ばれる一団との戦闘が確認されましタ。こちらはザイアン隊に潜入させた諜報員から回収したものでス」
映像を見る限りザイアン隊の方が圧倒的に優勢だったが、やがて深入りした部隊は待ち構えていた海賊団に襲撃を受け壊滅状態に陥っていく。ザイアン隊は新しい部隊なだけあって戦場での判断はまだまだらしく、指揮官との差は明らかだった。
「素人目でも分かる。深緑のCSが凄まじいな」
その光景を見ていたハーレイは感心したような声を上げる。
するとそれに呼応するようにテセウスは手持ちの資料を見ながら説明を続けた。
「はッ。こちらは海賊団の名を冠するホーンファイトの異名を持つ宇宙海賊でス。単騎戦闘力で見れバ、恐らく帝国軍の一軍に匹敵するやもしれませヌ」
テセウスがそう補足するとザイアン隊は劣勢に追い込まれ撤退行動を始めた。
しかしどの行動も全て後手に回っており、ザイアン隊の指揮官らしきCSが殿を努めようとしていた。
「……勝負は見えている」
キョウガがそう呟くと同時にザイアン隊方面から青白いCSが現れる。
その神々しいCSはザイアン隊を囲っていた海賊の包囲網を一瞬で突き破ると、ホーンファイトと一騎打ちを繰り広げ始めた。
「……この青白いCSは?」
「こちらはライオット・インダストリー社から送られた最新式CS。着用者はご子息コウサ=タレーケンシ・ルネモルン枢機卿でス」
ハーレイの問にまたしても完璧な説明口調で返答したテセウスの言葉を聞き取ると、ハーレイは再びキョウガの方に視線を向けてニヤリと残酷な笑顔を見せてきた。
「倅など一人いれば良いと思っていたが……価値はあったようだ」
「……身体的遺伝子上の子息でしょう?」
「そうだな。身体はルネモルンとはいえ、ここは違うのだからな」
キョウガの言葉にハーレイは自らのこめかみを指差しながらニヤリと笑う。
そんなルネモルンの姿をしたグリオルス・ラフレインを見つめながら、普段は無表情なキョウガは小さく笑ってみせた。
「全機脳転移という最大の賭けに勝った貴方ならば、必ずや大願を成就させることが可能でしょう」
キョウガの言葉にハーレイ……いや、グリオルスは拳を握りしめる。
「全機脳転移の再調整は?」
「今暫くお待ちを。私としては現皇帝の評価を下げ、閣下に皇位を禅譲なさってからの方が安全かと思います」
「禅譲後だと?」
グリオルスは怪訝な表情を浮かべる。
恐らく……いや、間違いなく帝国民らの反発を恐れているのだろう。
しかしそんな彼の不安を取り除くかのようにキョウガは小さく頷いた。
「これは保険です。確かに女神の再生が上手くいけば、閣下は歴代皇帝が成し得なかった初代女帝オドレーが残した命題を果たすという事実が生まれます。さすれば帝国民はおろか、海陽系全域の神栄教信者の心を掴むことが可能となりましょう。しかし仮に女神の再生が失敗に終わった場合……その時は皇位を禅譲された後にコウサに転移することでコウサの脳とハーレイの身体を抹消し、その後継者としてコウサとなり変わった貴方様が皇位に就けば良いのです。
皇位を託されたハーレイは僅かな在位で非業の死を遂げる……その意志を継ぎ彼の息子であるコウサが皇位につく。奴ならば生まれ持ったB.I.S値と若くして枢機卿に上り詰めたカリスマ性がある。不満を申すものは居ないでしょう」
「……む、……フフフ、相変わらず見事な筋書きだな」
キョウガの丁寧な説明にグリオルスは一転して微笑みを浮かべる。
そんな彼に補足するようにキョウガは小さく会釈した。
「民衆が欲するのは現実よりも奇跡とドラマです。私はそれを作り上げたに過ぎません」
「見事なものだな。そしてだからこそ分かりかねることがある。なぜお前はそれだけの策略性を持ちながら私に尽くすのだ? 本当の父であるハーレイの仇である私にな」
グリオルスの言葉にキョウガ思わず苦笑した。
それはグリオロスだけでなく自分に対しての自嘲に近かったのかもしれない。
「会ったこともない人間を父とは思えと言われましてもね。弟であるコウサに関しても奴は私の唯一の肉親である母を家から出させた原因、そしてやつの性格上利用することはあっても引き入れるつもりにはなれません。ここから選ぶ道は限られます。勝ち目のない反旗を翻し貴方に抵抗するか、もしくは私の力を認めてくださる貴方に忠義を尽くして安定を選ぶか。
私はそこにいるテセウス中将やクリフォード・ストラス知事同様、危険を犯して大成するより安定の道で小成を狙う男なのですよ」
キョウガは自分語りのように言葉を連ね終えると、グリオルスは満足気に微笑んだ。
「それでいい。ここまで忠義を尽くしたお前にはそれ相応に報いるつもりだ」
「はっ。閣下は思うがまま覇道を歩みください。塞がる障壁は全て我らが排除致します」
キョウガはそう言って頭を下げると、それに倣ってテセウスも頭を下げる。
会議室内では状況を面白おかしく眺めるノヴァの笑い声だけが響き渡っていた。




