第30話『生き残るべきは』
【星間連合帝国 レオンドラ星 エルフィント航宙社本社最上階】
胸元に伝わる振動は決して自分の鼓動ではない。懐に仕舞ってある端末が着信を告げる振動を行っているのだとマーガレット・ガンフォールは理解していた。しかし彼女はその通信に出るつもりはない。
ラヴァナロス星からレオンドラ星へと向かっている道中にマーガレットは端末にある設定を組み込んでいた。敵となる存在からの着信は全て振動になるようにしたのである。
胸元の振動が収まるとマーガレットは頭頂部の耳を小さく揺らしながら息をつく。連絡を寄越してきたのは恐らくシャインだろう。マーガレットは端末を確かめるまでもなくそう感じ取る。それと並行して幼馴染にして帝国屈指の識者である彼女と敵対関係になることへの罪悪感と恐怖心がその心を貪っていた。だからこそ警戒心の強い彼女が背後を取られることに気付かなかったのだ。
「背後を見せるとは余裕だネ」
誰も居ないはずの廊下でマーガレットは体をビクッと驚かせて立ち止まると、冷たい感覚が彼女の背中に伝わってくる。突きつけられた銃口にマーガレットは小さく自嘲すると、ゆっくり振り返った。
「3回は撃ててたネ」
背後には妹のシャルロット・ガンフォールは右手の物騒なブラスター銃と似つかわしくない子供らしい笑みを浮かべて立っていた。
「お見事ヨ。これで貴女に任せられると確信したワ」
マーガレットは心の中に引っかかっていた問題点が解決したようにそう口にするが、彼女の心理など読めないシャルロットは頭に疑問符を浮かべていた。
「何の話?」
「シャルロット。貴女に1つ頼みがあるのヨ」
マーガレットは広い廊下を再び歩き始めると、シャルロットは横に並んで可愛らしい笑顔で見上げてきた。
「お姉ちゃんが頼みって珍しいネ。聞くかどうかは内容によるけド」
「簡単ヨ。ウチで私が管理している海賊連合があるでしょウ? その中の1つを貴女に面倒みてほしいノ」
マーガレットは軽いおつかいを頼む様に告げるが、シャルロットはあからさまに怪訝な表情を浮かべた。
「お姉ちゃン。いつも言ってるじゃン? 私はマフィア絡みの仕事はしないつもりなノ。じゃないとお天道様の下で堂々と歩けないでショ?」
不愉快そうな表情を浮かべるシャルロットを見てマーガレットは肩をすくめてから一気に冷たい眼差しを作り上げる。そしてまるで飽きた玩具を妹に譲るかのように言い放った。
「別に海賊行為を斡旋しろって言うわけじゃないのヨ。ガンフォールの女として生まれた以上、危険は伴うものでショ? 護衛変わりに使ってみなさイ。それでも不要になるようなら処分していいかラ」
「……随分冷たい言い方ネ。お姉ちゃんぽくないわヨ」
「非情さがないとやっていけない時もあるのヨ」
妹の前ではしない表情を見せると、シャルロットは少し戸惑ったように目を泳がせている。そんな妹の姿を見つめながらマーガレットは薄い笑みを浮かべた。
まだ11歳のシャルロットは童顔のくせに出るところは出ている。そしてその無邪気な笑顔には悪い大人の悪戯心を促す愛くるしさがあった。
「そういえば貴女は……皇帝陛下から話が来ていたそうネ」
マーガレットは話を変えるようにそう告げるとシャルロットはニッコリと頷いた。
「うン。17歳になったら後宮入を所望するだっテ」
「そウ。で? どうするつもリ?」
「じいじには行かなくてもいいようにしてあげるって言われたけド、じいじに頼りっきりっていうのも嫌なんだよネ」
「じゃ行くノ?」
「行かなくていいように自分でなんとかしてみせるヨ。それが無理なら自分の美しさを嘆いて運命を受け入れル!」
シャルロットは自分の人生でありながらまるで他人事のように楽天的な口調でそう告げる。しかし、彼女なりにどうにか抵抗する覚悟はあるのだろう。それは15年間シャルロットの姉をしてきた彼女にはよく分かっていた。
「……その手助けになるかもしれないわヨ。貴女に預ける海賊がネ」
「? ……どういうこと?」
「さァ? ここから先は自分で考えてみなさイ」
マーガレットはそう言って大きな扉の前で立ち止まった。
最上階の広い廊下の突き当たり。それは即ちこの建造物の主がいる場所にほかならない。マーガレットは目の前の大きな扉に手をかざすと、彼女の生体認証が行われ、扉はその大きさに相応しい音を立ててゆっくりと開いた。
扉の中はだだっ広く壁にはテラスに繋がる大きな窓が等間隔で並んでいる。室内は絵画が飾られたりする事はおろか、装飾物のような物のも無く、まるで無機質なダンスホールのようだった。
「オ! マーちゃン! よく来たナァ!」
部屋の角から元気な声が響き渡る。広大なスペースにも関わらず、その四隅の一角だけにはふわふわの絨毯が敷かれており、旧式のモニターや敷きっぱなしの布団に小さなちゃぶ台と座椅子など生活感丸出しの物で溢れかえっている。そして絨毯の中心から半径5メートルにいくつかの椅子が用意されているだけだった。
そんな一角でダラダラと過ごしていた老人の笑顔に迎え入れられ、マーガレットは小さく頭を下げる。するとその横をシャルロットが走り抜けていった。
「じいじ! 久しぶリ!」
「んホ! シャルちゃンも久しぶリ!」
広すぎる空間を走り抜けていったシャルロットは、まるで小動物のように老人に飛びついた。
愛らしいシャルロットを胸で受け止めた老人は頭頂部の耳をパタつかせている。その姿は孫達との再会を喜んでいる祖父以外の何物でもなかった。
「アルバトロスお祖父様。お久しぶりでス」
シャルロットと違い落ち着いて歩み寄ったマーガレットは小さく微笑みながらそう告げる。
エルフィント港宙社会長にして海陽系最大マフィア、ガンフォールファミリーの頭領としてこの世界にその名を轟かすアルバトロス・ガンフォールは、その肩書には似つかわしくない雰囲気でケラケラと可愛い笑顔を見せた。
「相変わらず固いなァマーちゃんハ」
「お祖父様が軽すぎるんですヨ」
「前皇后の所に通ってた時はマーちゃんもこんなんだったヨ?」
「皇后様が亡くなって何年経ったと思ってるんですカ……」
呆れたように微笑むマーガレットとは対象的にアルバトロスはどこか悲し気に微笑んだ。
「この歳になると17年なんてつい最近の話なんだヨ。ミラちゃんだけじゃなくてマーちゃんとシャルちゃんのパパとママも逝っちゃうシ……自分より若い子達がこうも沢山逝っちゃうと悲しくなるヨ」
少し塞ぎ込むアルバトロスを見てシャルロットは心配気に彼の背中を擦った。
「元気だしテ。じいじは長生きしてネ?」
「おおシャルちゃン! マイエンジェル! じいじ頑張ル! 100歳以上生きル! お小遣いは足りてる? じいじが何でも買ってあげるヨ?」
「んーん。会社のお手伝い賃で足りてル」
熱烈な孫への溺愛ぶりをシャルロットが軽く躱すと、アルバトロスは「そっカそっカ」と言いながら拳を握りしめて天を仰いだ。
「とにかク! 死んでいった人の分も長生きしなくちゃネ! 今の僕の夢はこの会社をとっとと君達に譲っテ、亡きマイハニー&ドーターが作ってくれたパイが名物のお店を海の見える小さな丘に建てることサ!」
「すぐにでもできそうな夢ですネ」
マーガレットがそう告げると、アルバトロスは呆れたように肩を竦めた。
「飲食店の経営は難しいんだヨ! でも懐かしいなァ。若い頃にゼンジョウ君やセイマグル君とこんな話してたっケ? そこで近所の同世代と駄弁ったリ、老いらくの恋を見つけたり、若者の悩みを聞こうってネ」
「出てくる人のビッグネームが過ぎますヨ」
マーガレットはバカ話もほどほどにと言わんばかりに、ようやく椅子に腰を下ろす。そして少し真剣な表情に切り替えてアルバトロスを見つめた。
「それはそうとお祖父様。実は折り入ってお話がございまス」
「ン? なぁニ?」
アルバトロスは絨毯の上に胡座をかくと、ちゃぶ台の上でお茶を入れ始めた。
「あ、じいじ。私が入れてあげル」
「オォ! ありがとウ。孫という名の宝物」
「話してもいいですカ?」
祖父と妹のおっとり空間に戻されそうになるのをマーガレットは引き止める。そして一度咳払いをしてから改めてアルバトロスの方に向き直った。
「お祖父様。現在国が二分していまス。宰相派と皇族派……この流れは止められないでしょウ」
「えー難しい話ー?」
アルバトロスはあからさまに嫌そうな表情を浮かべて身体を仰け反らせる。しかしマーガレットは気にすることなく話を続けた。
「以前からお伝えしていたように私は皇族派に付くつもりでス。ですがその中でも今さらに二分されつつあるのでス」
「ふーン……。あぁーランジョウ君と弟の子で分かれてるのかナ?」
とんでもない事実をさも当然かのように告げるアルバトロスにマーガレットは目を見開いた。
「ご存知だったんですネ……ダンジョウ様が生きているト」
「うン。あのー名前何だっケ? 執政大臣やってた子が全部教えてくれたヨ。その情報と一緒に皇族派に付いてっテ」
「……初耳です……それでお祖父様は何ト?」
「うン。僕は他所様の家の事に首を突っ込む気はなイ。ってキッパリ言ってやったヨ!」
誇らしげに胸を張るアルバトロスを見てマーガレットは再び呆れたようにため息を付いた。
「そうですカ。お祖父様が実は皇族派であればこれ以上なく心強かったのですガ」
「残念。それが僕の生き方だかラ。でも君達がどっちかに付くのを止めたりはしないヨ。でもそうカ。そうなるとマーちゃんは叔父さんと戦うことになっちゃうネ」
アルバトロスは事も無げにそう告げる。彼の息子でありマーガレットの叔父に当たるセドリック・ガンフォールはアイゴティヤ星知事であるクリフォード・ストラスの筆頭秘書官を務めている。そしてクリフォードといえばルネモルン宰相と深く繋がっているのだ。
「身内同士で争うのは悲しいネ」
アルバトロスはまるで全て運命かのように微笑む。しかしマーガレットその笑みの深層にあるものに気付くことなく少し苛立ったような表情を作った。
「私はあの男を身内とは思っていませんが……今はその話はやめましょウ。そこで1つおねがいがございまス。私はランジョウ様に付くことを決めました。引いてはダンジョウ様側にシャルロットを付けたいのです……」
「えェッ!? そ、そんな話全然聞いてないんだけド!?」
「そうでしょうネ。今初めて言ったんだかラ」
マーガレットはそう告げるとシャルロットは頬を膨らませた。
「何そレ? 私の意見は関係なシ?」
「シャルロットにとっても悪くない話でしョ? ダンジョウ様に付けば後宮に行かないで済むかもしれないんだかラ。勿論、それは貴女の頑張り次第だけド」
ぐうの音も出ないのかシャルロットは「むぅ」と言って黙り込む。妹を言い負かしたマーガレットは続いて微動だにしない祖父の方に振り返る。そして椅子から降りて両膝を付いた。
「お祖父様。ダンジョウ様が勝てばシャルロットの後宮入りは消えるでしょウ。何よりこれは我が一族、航宙社、ファミリーにとっても悪い話ではありませン。宰相派、皇族派内の二勢力、全てに誰かがいることで必ずや我が内から勝者が出てきまス」
「……全張りカ。あんまり褒められたやり方じゃないネ」
「やり方を選べるほど余裕のある問題ではありませン」
「その通りかもネ」
アルバトロスは全てを肯定するかのようにあっさりそう告げるとゆっくり立ち上がる。そしてマーガレットの前に歩み寄ると両膝を付く彼女の肩を掴んで起こしあげた。
「思うがまマ。自分が正しいと思うことをやってごらン。その代わリ、何があっても後悔しちゃいけないヨ?」
「……ありがとウ。お祖父ちゃン」
マーガレットは決意を胸に祖父を見つめると小柄なアルバトロスは少年のように微笑みながら彼女の頭をポンポンと叩いた。
「サ! 難しい話はおしまいダ! もっと色気のある話にしよウ! 2人共彼氏の1人2人いるだロ? そういう話を聞かせてくレ!」
アルバトロスは話を切り替えるように明る気な声を上げる。
これが最後の家族団欒になろうとは誰も予想はしなかった。




