第9話『奇々怪々なる皇帝陛下』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城 皇帝私室】
シルセプター城は変わった。城内にはそう口にする人間が居たが、正しくは変わったのは皇族居住区と呼ばれていたエリアだけである。数世代前まで城内にある皇族の居住区には10を超える皇家が暮らしていた。しかし皇族の数が著しく減った現在そこで暮らすのは皇帝だけである。
皇居へと繋がる通路を歩きながら、ハーレイは顔を顰めて鼻先で手を振った。皇居の敷地からは噎せかえるような甘ったるい匂いが充満していたのだ。甘美と怠惰が入り混じったような空気に身を投じながら、ハーレイはようやく皇居の入り口とも言える庭園に足を踏み入れる。その美しい庭園には我が物顔で歩く夜伽の女性で溢れかえっていた。
「(……相変わらず甘ったるい匂いだ)」
夜伽役の美女たちの姿は卑猥で、冬の時分にも関わらずすぐさま着脱が可能な装いをしている。この皇居の主は毎夜の如く美女を並べて様々な遊びをしているというのは城内で周知の事実だった。皇帝の傘の下で何不自由なく暮らすこの夜伽役達は、美女というだけが美徳であり、頭は空っぽの女性だらけに見えた。現に美女たちは宰相であるハーレイのことなど全く気にも留めていなかったのだ。
「……ふ、多趣味なものだな」
ハーレイは思わずニヤリと笑う。夜伽役の美女達の種族はラヴァナロス人に限らず、美形しかいないというフマーオス人をはじめアイゴティヤ人、カルキノス人、クリオス人、レオンドラ人、ヴェーエス人、果ては聖星であるジュラヴァナ人や隣国のローズマリー人、さらに差別対象でもあるスコルヴィー人までもが揃っていた。
噎せかえるような美女たちの香りの中をハーレイは歩き、やがてハーレイは皇帝の私室に辿り着く。扉の前では護衛にもならない半裸状態の美女が横たわっていた。
「淑女方、陛下に取りなしてもらえるかな?」
ハーレイの言葉の中に隠された最大限の嫌味に美女たちは全く気付くことなく、ニヤニヤ笑いながら立ち上がる。そしてハーレイの前に道を作ると、手動で扉をゆっくりと押し開けた。
甘い匂いが強さを増した。この皇居に溢れかえる匂いの根源がここにあるとハーレイは知っていたが、それでもこの思わず彼は顔を顰めてしまった。
「……ふぅ」
ハーレイは小さく息とつくと、ゆっくりと室内に足を踏み入れる。薄暗い室内の壁は一面重厚なカーテンで覆われており、その隙間から僅かに海陽の光が差し込んでいる。目が慣れれば中の造りが徐々に姿を現していくが、室内にあるのは天涯付きの大きなベットだけだった。
「……誰だ?」
ベットの先から気怠そうな声が聞こえる。ハーレイは匂いに耐えながら無理矢理笑顔を作るとベットにもう一歩だけ歩み寄った。
「陛下、ハーレイ=ケンノルガ・ルネモルンにございます」
ハーレイがそう告げると、ベットの上にいる男の引き締まった上半身がカーテンの隙間からはいる光りに照らされて露になっていく。
「……ハーレイか」
星間連合帝国皇帝ランジョウ=サブロ・ガウネリンは、明らかに不調そうな表情でハーレイの顔を捉える。甘ったるい匂いの中に隠れるアルコールと樽の香り……どうやら彼は二日酔いのように見受けられた。
「ご機嫌麗しいようで何よりです」
ハーレイは膝まづきもせず、そして明らかに的外れな言葉を敢えて告げると、ランジョウは頭を支えながら不気味な笑顔で振り返った。
「そう見えるか?」
「ええ、6日前よりは」
「ククク……相変わらず嫌味な奴だ。余にもう少し力があれば不敬罪で殺してやるものを」
「残念ですな。陛下は愚行を行えぬようで」
「貴様を殺すことが愚行か……ククク」
ランジョウは一頻り不気味に笑い続けると、ベット上で身体をずらしながらヘッド部分に背中を預けて漆黒の髪を掻き上げた。
「して何用か?」
ランジョウの瞼はまだ開け切っていない。その証拠に彼の深紅の瞳はまだ薄っすらとしか確認できず、何よりも同じベットに複数人の美女が横たわっていることにランジョウ自信が気付いていないようだった。ハーレイは小さく微笑みながら横たわる女性がいることを視線で合図すると、ランジョウは眉間に皺を寄せながら女性に目をやった。
「ん? ああ……」
ランジョウはそう一言置くと、徐に美女の一人をベットから蹴り落とした。ベットからの落下とその音に驚きながら目を覚ました美女達は戸惑いながら立ち上がる。床に転げ落ちた美女はハーレイの姿と自身が全裸である事を認識すると慌てて床に落ちていたガウンに手をかけようとした。
「今日は暑いな……そう思わんか? ハーレイ?」
海陽が出ているが季節は冬……その日は特別に寒いとも言えないが温かくもなく、日常的な冬の日である。しかし、現皇帝の言葉にハーレイは微笑みながら頷いた。
「ええ。少し暖かいようですな」
ハーレイの回答にランジョウは満足感を滲ませた不気味に笑みで美女を見つめた。皇帝の方に振り返ってはいないが美女もその言葉が何を意味するか理解したのだろう。美女は屈辱的な表情を浮かべながら生まれたままの姿で起立した。
「隠すな。よく見てもらうがいい。貴様達もだ」
そう言われた美女は胸元と下半身を隠そうとする美女はその言葉で手をどかす、そんな彼女に続いてベットの上にいた他の美女たちも横に並んだ。
屈辱と羞恥に苛まれる美女達を見てランジョウは満足気にケラケラ笑った。
「クカカ! 喜べ宰相! 気分がいい! 話を聞いてやろうぞ!」
ランジョウは狂王と呼ぶに相応しい笑みを浮かべながらそう告げる。狂った王の所業は見るに堪えないものだった。しかし、ハーレイは決して動じることはない。むしろ彼からすればランジョウが狂王であればこそ自らの計画が遂行しやすくなるのだ。その証拠にハーレイは笑みを保ちながら言葉を連ねた。
「訃報がございます。準惑星セルヤマにおいて旅客機の爆発事故が起きました。つきましては陛下には弔文の作成、そしてセルヤマへの慰問していただければとのご提案を持ち馳せ参じました」
ハーレイの言葉にランジョウは歪んだ笑みを僅かながら消し去る。しかし、それは亡くなった犠牲者への弔いの為ではないとハーレイは気付いていた。理由は分からないが、ランジョウの表情には自身の思惑にイレギュラーが起きたような不愉快さを感じさせたからだ。
「ほお……セルヤマか……」
ランジョウはそう呟くと僅かな瞬間に考えるような素振りを見せた。
「…………同……とを……る連……多……だ……」
「は? 何でしょうか?」
小さな呟きを聞き取れずハーレイは聞き返す。しかし、ランジョウは一転して狂気を失ったような薄い笑顔を作った。
「よかろう」
ランジョウはそう言ってサイドテーブルに置かれたグラスを手に取ると、僅かに残っていた酒を煽り喉を潤す。そして空になったグラスを放り投げると、全裸で立つ美女達の前でグラスが砕け散った。
「足を運ぼうではないか。セルヤマへ」
扉から差し込む僅かな海陽の光を砕け散ったグラスが反射して天井を照らす。その乱反射を眺めていたランジョウは何かを考えるような……何も考えていないような表情を浮かべてからニッコリと微笑むとベットの上で立ち上がった。
「この目で確かめねばな」
彼が何を確かめようとしているのかハーレイは知らない。いや、知る必要もない。ハーレイにとって彼は自らの計画のための捨て石であり見せしめでしかないのだ。
「感謝いたします陛下。セルヤマの民もさぞかし喜ぶことでしょう」
ハーレイはまるで朗らかな老人のような笑みを浮かべる。そして、結局一度も片膝を付くことなく皇帝に背を向けて皇帝の寝室を後にした。




