第6話『権力者の本質は我田引水』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城 宰相執務室】
星間連合帝国とローズマリー共和国の会談……つまり新たな協定の締結はまたしても先送りに終わった。会談を終えた帝国首脳陣は様々で、またしても検討を余儀なくされてウンザリとした表情を浮かべる者がいれば、ミリアリア・ストーン元老院議長の論法を素直に称賛する者もいた。
外は既に闇に包まれており、高層階にある宰相執務室の窓からは地平線まで続くビル群の光と、夜空に広がる満天の星空、そして無数の小惑星帯に設置された環境管理システムの点滅が見て取れた。
「一度、空気を入れ替える必要があるようだ。30分程の小休止を入れる」
帝国宰相であるハーレイの言葉を合図に会談に参加していた首脳陣、その秘書官や官僚等が小さく息を付きながら一堂に立ち上がる。彼等はハーレイに一礼して宰相執務室を後にしていき、あっという間に室内には彼と息子であり秘書官であるキョウガの2人だけになった。
「よく口の回る女性ですね」
タブレットを操作するキョウガはミリアリアの事を揶揄しながらそう告げてくる。しかしハーレイは別段気にする素振りも見せず、宰相席に体を預けながら大きく息をついた。
「口の立つ者でなければ出世は出来んものだ」
「彼女は閣下の前に立ち上はだかる存在になりえますか?」
キョウガの問はハーレイにとって愚問に近かった。だからこそ彼は思わず口角を上げてしまった。
「凡庸な人間は世を維持することしかできん。しかし真の才覚者は世を動かすものだ」
「彼女は前者だと?」
「少なくともあの女は現状維持を望んでいる。後者であればこの機を利用して我が国に対して優位になるよう図るものだ。最もその野心と実力が伴わん愚者もいるがな」
ハーレイはそう言って共和国側の末席に居た厚化粧の女を思い出す。共和国内でもタカ派であり、先のスパイ摘発時にはEEAに利用された彼女はまさにハーレイが言う愚者に当てはまるだろう。
「では、共和国側は取るに足りませんか」
キョウガは無表情の中に安堵したような雰囲気を醸し出す。その表情にハーレイは微笑みを返しながら小さく天を仰いだ。
「今のところは、な。……だが共和国の細胞培養技術が得られぬのは少し厄介だ」
ハーレイはそう言って体を起こし上げると、キョウガはまるで心を読んでいるかのように今後の交渉材料の模索をした。
「いかがします? 共和国側が告げてきた自傷行為などの件を無視したとなれば世論が共和国に靡かねませんが?」
「世論はいくらでも操作はできる。厄介なのは奴等が正論を武器にかざしていることだ」
ハーレイはそう言って立ち上がると窓から外を眺めた。
宰相執務室はシルセプター城の上層階に位置している。そこから見下ろす光景は壮観だった。その場所からは闇夜が無くとも小さすぎて地上にいる人々の姿は目に捉える事は出来ず、空中を走るエアカーが飛び交う空路は僅かに見て取れる程度である。その場所は正に今のハーレイが手に入れた地位の高さを表しているようだった。
「……共和国の技術が得られない場合……件の実験はどうなる?」
ハーレイは眼下から視線を外すことなくキョウガに尋ねると、彼はタブレットを操作してからすぐさま顔を上げた。
「デセンブル研究所の話では20年はかかるとのことです」
「20年か……まずは長寿薬に力を入れる方が先決となりそうだ」
ハーレイは自嘲するようにそう告げるて振り返るとキョウガは肩を竦めていた。
ハーレイという男の目的……それはこの帝国の最高位である皇帝の座にある。しかし、彼がその地位を得ることは今のままではあり得ないことだった。皇族であるガウネリン家には3000年に渡りこの帝国を統治してきた伝統と何物にも代えがたい血統があるからだ。これまでの帝国史で無論、皇位に付くには心もとない者など暗君と呼ばれる皇帝が統治していた時代もある。そんな闇の時代を乗り越えたからこそ、帝国民にとってガウネリンの名は強大だったのだ。
「神栄教は?」
「問題ございません。コウサの話では神栄教徒の数は今やローズマリー共和国を含めても海陽系の6割以上を占めているかと」
「そうか……やはり、王を超えるは神だけのようだな」
「神の名と共に我がルネモルン家の名があれば」
キョウガの捕捉にハーレイは薄い笑みを浮かべる。
神話の名にあった最高神をこの地に呼び戻す。
誰もが一度は思い描く絵空事を実現する事が出来たなら……。ハーレイは自らの目的を再度噛みしめると、小さく頷いてからキョウガに指示を出した。
「会議の再開と同時に通達せよ。帝国軍の全権の承認欄は無理だが、我が国の最高軍事惑星クリオス星の軍の派遣権利を共和国に与えるとな」
ハーレイの決断に理解を示しながらもキョウガは少し懸念材料を抱えたような表情で尋ねてきた。
「よろしいのですか? 軍上層部……特にクリオス星から反発を招きかねませんが」
「大事の前の小事だ。反発があればその時は共和国の言葉を借りれば良かろう。軍の連中も我が手中にあることを示す良い機会かもしれんしな」
「承知しました。その方向で次の段階のプランを組みなおしましょう」
タブレットを操作しながらそう告げるキョウガを見て、ハーレイは思い出したように補足した。
「ああ、それともう1つ。検討していたジュラヴァナ星の自警団に関して公的支援を認めると伝えよ」
「コウサが言っていた件ですね。神栄教に自警団ですか……」
キョウガはどこか不安そうな表情を浮かべるが、ハーレイは相も変わらず心配性な息子に少し呆れながらも諭した。
「今発足しても戦闘経験の無い部隊の処理などどうとでもなろう。何より、公転周期的にはジュラヴァナ星は共和国の星々と密接する機会が多い。いざという時はクリオス星の軍が抜けた穴を埋め合わせてもらおう」
「承知しました」
キョウガはそう告げて納得したような表情を浮かべると、再びタブレットに目を落として顔を上げた。
「宰相閣下、今しがた入った報告が1つ」
ハーレイは再び宰相席に腰を下ろす。そしてキョウガの方に身体を向けながら頷いた。
「何だ?」
「準惑星セルヤマ発の宇宙船が爆発事故を起こしました」
「……ほう? それで?」
「乗客の搭乗リストにクロウ・ホーゲン……賢兄の偽名がありました」
「搭乗リスト……乗っていたことは確実か?」
「ゲートを通過しています。搭乗は確実かと」
「そうか……存命の証明が死とは嘆かわしいことだ」
ハーレイは悲しみを一切感じさせない表情で憐れみを見せながら口角を上げた。
「一先ず、宇宙船の爆発事故は悲報としか申し上げようが無いな。すぐさま皇帝陛下にお伝えしろ。……そうだな、慰問などされてはいかがかとな」
「承知しました」
キョウガはそう告げると、小さく頭を下げて宰相室を後にしていった。
1人になった部屋の中でハーレイはデスクに備え付けられた機器を操作する。
そして皇族派のリストを確認しながら、ダンジョウ=クロウ・ガウネリンの名前が入った箇所を灰色に変換した。
皇族派リストに載る有力者のほとんどは灰色になるか宰相派へと轡替えした色に染め上げられている。残っている中で懸念すべき人物は建国以前より皇族に使えるナヤブリ家のベルフォレスト・ナヤブリ、カルキノス星の若き知事のアンドリュー・レオパルド、そしてレオンドラ星次期知事と呼ばれているアリータ=アネモネ・テンペストくらいである。
「(ベルフォレスト・ナヤブリか……ランジョウにも見放されたこの男がこれからどうということもない……注意すべきはこの2人だけでよかろう)」
ハーレイがそう判断すると宰相室に着信音が鳴り響いた。デスクに浮かび上がる発信者の名前を確認したハーレイは「フーッ」と息を吐き宰相の顔に戻す。そして通信を受けると、確認していた皇族派のリストを表示したまま再び業務に戻った。
浮かび上がる皇族派リストの中にシャイン=エレナ・ホーゲンの名前は未だに残っている。そのことにハーレイは気付きはしても気には留めていなかった。




