皇帝崩御 第15話『宰相と皇子』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城】
皇帝の崩御――その歴史の変換ともいえる事件によって、帝国内……特に帝星ラヴァナロスの皇居シルセプター城内はハチの巣をつついたかのように混乱していた。その混乱は寝たきり状態だったとはいえ、皇帝の持つ尊厳を表しているようだった。
城内は今後の政府の発表のため右往左往する者、廊下でありながらその場に泣き崩れる者、女神メーアの名を囁きながら祈る者で溢れ、それぞれが皇帝の崩御という帝国最大の事件に狼狽えていた。
「思いの外、混乱していますね」
窓から外を眺めていたキョウガは、宰相席に腰を下ろす父の方に振り返る。ハーレイは落ち着いた様子で、普段と変わらず報告書に目を通しながら息子の問いかけに答えた。
「思った以上に早かったな。あと2年程は保つという情報もあったが」
「ローズマリーの医師でない限り、余命の推測は半分程度に収めておくべきかと」
キョウガはハーレイに進言するように頭を下げる。息子の忠告に彼は小さく笑いながら報告書を読み終えると、二次元に浮かび上がっていたディスプレイを閉じた。
「では、行くか」
ハーレイが立ち上がるとキョウガは扉を開く形で返答する。
2人は宰相執務室から出ると、ハーレイを先頭にして城内を闊歩した。
2人の姿に気付いた議員は我先にと詰め寄ってくる。今後の帝国の行末はハーレイにかかっていると言っても過言ではないのだ。皆一様に不安の顔色を隠すことなく、オロオロしながらハーレイに縋るが、彼はこれと言った具体案を出すでもなく「案ずるな」という一言と微笑みを残すだけだった。
政治を司る議事棟を抜けて、2人は皇族やその遠縁の貴族らの御所に入ると、次は上流貴族が彼の機嫌を伺うかのように微笑みかけてきた。ハーレイは彼らにも適当な愛想笑いを返しながら、足を止めることなく奥へと進んでいく。彼の行き先を察した周囲の貴族は、皆顔を顰めて離れていった。
気付けば宰相執務室から出てきた時と同じ親子2人だけになり、2人は皇居の最奥にある広い廊下に出た。広大な廊下はきらびやかではあるがどこか寒々しく、人気のない廊下の先には巨大で重厚な両開きの扉がそびえ立つだけだった。
2人だけの廊下を進みハーレイは扉の前で立ち止まると、咳払いを挟んでからその重厚な扉を叩いた。
『宰相閣下でしょうか?』
どこからともなく聞こえる無機質な声にハーレイは「うむ」とだけ答えると、2人が立つ場所は暗転する。そしてセンサーが四方から差し込んで2人の情報を解析し始めた。廊下の造形には似つかわしくない機械音が響き渡り、やがて2人の所持品等に危険物が無いと判断した機器から、再び無機質な声が返ってきた。
『承認いたしました。どうぞお入りください』
無機質な声を合図に扉はゆったりとした重みある動きで開き、2人は扉の中に歩を進める。中は異様な程広く、部屋の中心には数段のステップがあり、その上に天蓋付の巨大なベットがあった。
「……誰だ?」
ベットから起き上がった半裸の少年は、寝ぼけ眼でハーレイとキョウガの姿を確認する。
その姿を見たハーレイとキョウガは寸分の狂いもなく、全く同じ動作で立て膝をついた。
「ご機嫌麗しゅうございます。皇太子殿下」
ハーレイはニコリと微笑みながらそう告げると、半裸の少年……ランジョウは伸び切った髪を掻き上げながら2人を見下ろした。
「宰相か……」
ランジョウはそう行ってベットサイドに置かれているグラスを手にすると、天蓋によって隠れていたベットの奥から半裸の美女が現れグラスに果実酒を注ぎ込んだ。
ランジョウは有無も言わさずに美女の腰に手を回し、その身体を引き寄せながら酒を煽る。その行動はまさに堕落した貴族のようだったが、彼の端正な顔立ちと美しく引き締まった身体を見れば、まるで若くして成功した実業家のようでもあった。
「殿下、本日は大切なお話がございます」
「……左様か。キョウガ、貴様も飲め」
ランジョウはハーレイの言葉には適当に返すと、その後ろで膝まづくキョウガを指差した。そして狂ったような笑みで美女の腰からお尻へ手を移すと、美女を押しやって2人の元へと歩み寄らせてきた。
半裸の美女を前にキョウガはスッと立ち上がると、美女からデキャンタを奪い取る。そして彼女を退けてランジョウの方に歩み寄り、デキャンタのまま一気に酒を飲み干した!
「さすがは殿下。良い銘柄ですね」
キョウガはそう言ってデキャンタを差し出しと、ランジョウはそれを受け取って逆さにした。デキャンタから一滴の酒がこぼれ落ちる。中身が空になったことを確かめたランジョウは再び狂ったように笑いだした。
「ククク……クハハハハッハハハハッハ!! 良い倅を持ったな宰相!」
「恐れ入ります」
ハーレイはただそう告げて微笑む。ランジョウは負けじと言わんばかりに手にしていたグラスの酒を飲み干して空にすると、ヘラヘラしながら横に放り投げた。衝撃吸収性の高い床に落ちたグラスは割れることなく転がる。するとどこからともなく現れた従者がすぐさまグラスを片付け始めた。
「気分が良い。話してみよ」
「はっ」
ハーレイは立膝を着いたまま頭を下げ、ランジョウへと上申した。
「お父上、皇帝陛下が崩御なさいました」
「ああ、聞いている」
「つきましては皇太子殿下に皇位を継承していただきたく、殿下に上申させていただきます」
「そうか。相わかった」
ランジョウは狂気を薄っすらと残した笑みを絶やさぬままそう告げる。ハーレイはゆっくり顔を上げてその返答を確認すると、柔らかい笑みで彼を讃えた。
「殿下でしたら先代に劣らぬ大帝となられることでしょう」
ランジョウは彼の隣に戻ってきた美女の腰に手を廻しながらほくそ笑んだ。
「寝たきりで話したこともない父親と比べられてもな。ククク。だがあの歳で余を仕込んだのだ。受け継いだ精力に関しては感謝せねばなるまい」
ランジョウは隣の美女の頬を唾液塗れの舌で舐めると、美女は身体を震わせる。その反応を見てケラケラと笑うランジョウは再びハーレイに視線を戻した。
「式典などは卿に一任する。……ああ、あと前皇帝の葬儀も好きにするといい」
「心得ました。では早速」
ハーレイはにこやかな笑みを浮かべたまま立ち上がると、一礼して踵を返した。キョウガも彼の後ろに付き従うが、ハーレイは扉の前でピタリと足を止める。彼はランジョウに背を向けたまま、まるで尋問するかのように口を開いた。
「時に殿下、セルヤマ星に何かご執心が?」
「……何と申した?」
返答するランジョウのただならぬ雰囲気を背中に感じ、キョウガの顔は険しくなる。そして、彼はそのまま眼前の父の背中を睨みつけた。しかし、ハーレイは何食わぬ顔で振り返るとランジョウに微笑んだ。
「セルヤマです。本日、準惑星セルヤマで起きたローズマリー共和国のスパイ摘発ですが、我軍がスパイの情報を得た際、殿下から軍に向けて、最初にセルヤマのスパイを摘発するようにという指示があったと聞いております。殿下はセルヤマと何かご縁がありましたかな?」
ハーレイはまるで、ランジョウの行動を全て見透かしているかのようにそう告げる。
本来ならば、ランジョウがセルヤマを摘発するようにと指示を出しだ事は誰にも知られていない筈だったのだ。ランジョウは極秘に帝国軍最高司令官であるオデュッセウス大将に連絡を入れていたからである。その行動を知っている……それはまるで、彼の行動を全て把握していると言わんばかりの……いわば双方の力関係を見せつけるようなものだった。
キョウガはハーレイを咎めようとするが、背後に立つランジョウの動きが読めず動くことができなかった。彼はランジョウという皇族を上手く取り扱うことこそがハーレイとの悲願を達成する足がかりになると思っていたからだ。
ルネモルン家がガウネリン皇家に取って代わる道のりには様々な問題がある。最大派閥の政敵である皇族派は今や恐れるに足らない。最早、このシルセプター城の中はルネモルン家の色に染まっていると言っても過言ではないだろう。しかし、ランジョウがいかにB.I.S値に裏付けされた凡人であろうと、上流貴族らを除いた一般的帝国民からすればその敬意と支持力は揺るがない。歴史と文化を継承する血統にはそれだけの価値があるのだ。
そんな最後の皇族であるランジョウは誇り高くプライドの塊のような人間である。少なくとも、ランジョウの目にはそう写っていた。そんな彼を上手く利用するには、自らとの力の差を見せつけるのは得策ではないのだ。キョウガは顔を顰めたまま振り返ると、ランジョウは不遜な笑みを浮かべていた。
「……ラフォーレ」
「は?」
ハーレイは疑問符を浮かべる。ランジョウは美女の腰に回していた手を腋から滑り込ませて胸を鷲掴みながら、美女の耳を舐め回した。美女の耳から糸が引き、頬を染める美女を見てランジョウは満足そうに笑う。そしてその行為の片手間と言わんばかりにハーレイを見下しながら言葉を連ねた。
「ラフォーレとはローズマリー共和国で前元老院議長を務めたゴールベリ家の分家の名字だ。この名字は共和国内で知れた由緒正しき一族として知られておる」
「ゴールベリ家は存じております。ですが、ラフォーレとは政治に絡まぬ以上、聞き及びませんでしたな」
「フッ。当然だ。ラフォーレ家は代々ゴールベリ家の影とも呼ぶべき存在だったというからな」
「して、そのラフォーレが何か?」
「セルヤマの中にラフォーレの名字を持つも者がいると聞いた」
ランジョウはそこまで告げると、今まで引き寄せていた美女からそっと離れ、急に彼女を蹴り飛ばした!
「ぐっ……」
美女は床に倒れ込むとランジョウはゆっくり立ち上がる。そして這いつくばる美女が立ち上がれないように踏みつけると、不気味な笑みを浮かべながら続けた。
「もしも本当にラフォーレの者がいれば……共和国に対して大きな貸しを作ることができよう。そうなれば余が皇帝になりし時、ローズマリーを屈服させる材料となり得るかもしれん。このようにな」
「うぐっ!」
ランジョウはそう告げて足に力を込めると、美女は苦悶の表情を浮かべた。しかし、美女の苦しみなど興味がないと言わんばかりにランジョウは話し続けた。
「しかし、何も余は女共を全て駆逐しようと思っている訳ではない。いずれ出来るやもしれぬ交渉材料の種を撒いただけだ」
ランジョウはそう告げながらようやく足をどかせると、優しい笑みで倒れた美女に手を差し伸べる。彼女は怯えた様子を見せながらも、ランジョウの手を取り再びベットへと誘われた。
「質問の答えになったか?」
ベットに向かうランジョウは背を向けながらそう告げると、ハーレイは微笑みながら頷いた。
「理解いたしました。私めが及ばぬところで殿下がそのようにお気を回しいただいていたこと。感謝に足りませぬ」
「良い。無能な部下の手助けをしてやるのは上に立つ者の務めだ」
ランジョウはわずかに振り返りながら血走った目で微笑む。
2人の間には様々な感情が入り混じった空気が巡る。その間に立っていたキョウガは双方に対してそれぞれ違う怒りを抱きながら眺めていると、ハーレイは「では、失礼いたします」と残して扉を開いた。
◇◆◇◆
2人が出ていったのを見届けたランジョウは、抱き寄せていた美女からそっと離れた。そして顎をクイっと上げると耳元で囁いた。
「……出て行け」
その仕草を見た美女は何も言わずに隣の部屋へと向かい、入れ替わる形で2人の男女が入ってきた。
「トーマス。貴様の見立てでは奴等はまだ気付いていない筈だが?」
側近を務めるトーマスは一歩前に出ると、片膝を着きながら頷いた。
「気付いている筈がありません。もしもセルヤマに生きるあの方の存在を知れば、今やすでにセルヤマは戦火に包まれているはずです」
「宰相派のことだ……すでに始末しているということも考えられよう?」
「ホーゲン中佐が未だセルヤマを行き来しています。その可能性は少ないかと」
トーマスの隣で立膝を着く女性騎士ベアトリスが補足のようにそう告げる。ランジョウはベットに腰を下ろすと、顔の前で手を組み、何かを考えるように目を閉じた。
「その中佐本人とは連絡はとれぬのか?」
「中佐は皇族派の中でも異質な存在です。その行動や権限は我らも届かぬ場所にあります」
「手の届かぬところ……ベルフォレストか……」
ランジョウは思い出したくもない男の顔を頭に浮かべると、不愉快そうな表情で組んでいた手を解いた。
「賢兄……いや、真の愚弟の存在は余の悲願の中枢となる。良きに計らえ」
ランジョウはそう言って立ち上がると2人は無言で頭を下げる。
自らには世界を壊す権利がある。ランジョウは深紅の瞳で窓から城下を見下ろしながら、まだ見ぬ兄弟の困難と活躍を願っていた。




