皇帝崩御 第10話『惨劇 前編』
【星間連合帝国 準惑星セルヤマ タルゲリ教会】
冬の入り口となれば寝具は凄まじい力を発揮する。まるで母の胎内のような温かさに包まれる布団の中にいると、誰しもが胎児のように膝を抱えてしまう。それを楽園と呼ぶのは大袈裟過ぎるという事は無いだろう。
「ダンジョウ。起きろ」
そんな楽園から引き釣り出そうとする悪魔の声にダンジョウは布団を頭から被ることで犯行の意思を示す。しかし悪魔の声の主は否応なしに飛び上がると、ダンジョウの身体の上に乗りかかってきた。
「エ゛フ゛ッ゛!」
声にならない呻き声を上げ、ダンジョウは顔半分だけを布団から出して睨みつける。寝ぼけ眼のダンジョウが確認できたのは、彼の身体に交差するように寝転ぶタクミだった。
ダンジョウは抵抗の意味を込めて再び布団を被る。すると、タクミは呆れたような声で諭すように語った。
「無言で抵抗するんじゃない。何より僕が無意味にこんな起こし方をすると思っているのかい?」
含みある物言いにダンジョウは再びそっと顔を出すと、タクミは横になり片手で頭を支えながら、ジッとダンジョウの方を見つめていた。
ダンジョウは渋々目を擦ると、寝ころんだままグッと背伸びをした。
「何だ? 揉め事か?」
「セルヤマに出入星規制が出たらしい」
「あ? 出入星規制だぁ?」
出入星規制といえば、惑星内で病源菌のバイオハザードが起きた時や、外惑星からの外来動植物の異常発生が確認された時に行われるものである。しかし、ダンジョウはタクミの物言いと仕草から、それらに該当する理由での規制ではないと察することができた。
「何で?」
ダンジョウの問いを聞いたタクミは体を起こしてベットに座ると、10代とは思えないウエストの上で腕を組みながら天を仰いだ。
「動植物の異常発生や病原性ウィルスの流行も耳には入っていない。となると考えられるのは人間の隔離だろう。つまり、犯罪者の鹵獲が最大の目的だろうね」
「犯罪者……先光団が絡んでんのか?」
「いや、先光団はそこまでの事を引き起こす存在じゃないさ。せいぜいセルヤマの警備軍が動く程度だ」
タクミの言葉にダンジョウは納得しながらも、妙な引っ掛かりを感じていた。
これまで彼らが立ち上げた先光団は数々の不正や平穏を脅かす存在を駆逐してきたが、その中には犯罪まがいの行いも含まれている。現にタクミやフィーネはセルヤマの政治を司る行政当局や他惑星の大使館の中にハッキングしたりしているし、ダンジョウやビスマルクは暴力という目に見えた力を奮ったこともある。そんな彼らが関係無いとなれば、余程の何かが起きているということだ。
ダンジョウは思い立ったように立ち上がると、寝間着用のシャツを脱ぎ捨てて冷えた空気の中で普段着に着替え始めた。
「タクミ。オメーはビスマルクを呼んでババァが来るのを待ってろ」
「君はどうするつもりだい?」
「フィーネのところに行く。昨日のアイツちょっと様子がおかしかったからな」
「彼女が? それは君が怒らせたからだとビスマルクに聞いているけど?」
「そういうことじゃねぇんだ。とにかく、ちょっと行って来る」
ダンジョウはそう言い残してタクミに目配せすると、彼が頷くのを確認して部屋から飛び出した。
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【星間連合帝国 準惑星セルヤマ スラム街】
蛇口から出る水は氷のように冷え切っていて、シンクに落ちた瞬間に薄い氷の膜が張り出していた。フィーネが薄い氷の膜をそっと掬うと彼女の体温で氷の膜は徐々に溶けていく。昨夜は遅くなったにも関わらずスッキリと目が覚めた。その理由はダンジョウと話せたからに違いない。
ポットに水を注ぎながら右腕に光る赤いブレスレットを見つめる。初めてのプレゼントが初めて好きになった人からだという事実が彼女の心を暖かくした。
ポットを火にかけてフィーネは寝ている母を起こさないようにそっと歩く。それでもスラム街の古い家ではギシギシと音が鳴り、彼女は軋む音を最小限に抑えながら椅子に腰を下ろした。読みかけの本を手に取りそっと開く。朝だというのにどこか外は騒がしい雰囲気があったが、スラム街は時間を問わずに酔っ払い同士の喧嘩が度々起きているので、彼女は気にすることなく本を読み続けていた。
しかし、その日はいつもと少し違った――
本を開いているというのに中身が全く頭に入ってこない。その理由はどこか嫌な空気が外から伝わってくるからだ。フィーネは怪訝な表情を浮かべながら隙間風が差し込む扉の方に視線を送る。すると、ひび割れた扉の隙間から差し込む光が徐々に何者かの影によって遮られていった……
フィーネの怪訝な表情が警戒心へと切り替わった瞬間、扉が音を立てて開き、無数の武装した帝国軍人達がなだれ込んできた! あっという間に占領されたリビング内でフィーネは眉をひそめる。
「何か御用ですか?」
フィーネは両手を上げながら毅然とそう言い放つ。すると1人の指揮官と思しき男が歩み寄ってきた。
「名前を聞いてもいいかな?」
「……フィーネ・ラフォーレです。貴方方は?」
家を占拠した男達の姿を確認して、フィーネは努めて冷静に尋ねる。
彼らは武装していた。下手に逆らえばその銃口を向けられるかもしれない。冷静なフィーネを他所に兵の1人が携帯型のセンサー機器を操作してフィーネの方に向ける。すると彼女の個人情報が浮かび上がった。
「フィーネ・ラフォーレ、16歳、性別は女性、この地区に母と2人暮らし。片親申請は行われていません」
正確に説明する兵の隣でもう1人の副官と思しき兵が冷静に口を挟む。
「こちらの家から昨晩、例の宛先に連絡が行われています」
「女だけの住まいってだけで決定だ! バーンズ中尉! もういいでしょう!?」
別の兵が声を荒げると、指揮官と思しきバーンズという軍人はどこか不服そうに頷きながら指示を出した。
「連行しろ。それと母親を探せ」
バーンズの指示を合図にフィーネは無理矢理腕を引っ張られ外へと連れ出された。
寒空の下、頭の回転が追いつかないままフィーネは動揺と恐怖が入り混じった表情で家の中を振り返る。母の寝室の扉に男達の手がかかった瞬間、スラム街に銃声が鳴り響いた!
「――――ぐっ……!」
扉を開けた男が前のめりに倒れ込む。次の瞬間、フィーネの母は絶叫しながら銃を乱射し始めた!
「あぁぁぁああぁぁっぁあーーーーっっ!!!!」
一瞬にして狂気の戦場と化したスラム街に悲鳴と銃声が響き渡る。連行されていた兵が咄嗟に展開した盾によって、フィーネは何とか無事だった。しかし、母の放つ銃弾は確実に何人もの兵達に襲いかかり、何人かは血を流して倒れていた。
混乱する中で一陣の風のように1人の男が走り出す。先程バーンズと呼ばれていた指揮官と思しき男は、銃弾の隙間を掻い潜るようにして母に接近していく。そして間合いに入ると、腰に携えていた弧を描く片刃の剣を引き抜き、母の持つ銃を切り払った!
「あっ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!!!!!」
母のうめき声が響き渡る。切り払った銃は天高く舞い、フィーネの眼前に無機質と有機質が入り混じった落下音を響かせながら落ちてきた。
「――ッ!」
トリガーには母の指が残っていた。その空想上でしか見たことがないグロテスクな光景にフィーネは思わず嗚咽を漏らしながら目を背ける。
恐怖のあまりフィーネは目を閉じていたが、呻き声が広がる方へと恐る恐る振り返ってゆっくり目を開ける。そこには千切れた手を抑えながら悶え苦しんでいる母の姿があった。
「お、おかあさん……」
今まで見たことのない母の姿にフィーネは絶句する。そんな母を見下ろしていたバーンズは歯痒いような……屈辱的な表情を浮かべながら踵を返し指示を出した。
「連行だ。抵抗が激しいようであれば拘束しろ」
母は痛みからくる苦悶の表情と雑に引き起こそうとする兵士らによってさらに発狂していた。
「おい! いい加減にしろ!」
「ローズマリーの魔女がッ!」
強制的に立たせられるが、母は力なく倒れ込む。まるで歩く気も無いように、彼女はみっともなく泣き叫びながら藻掻いていた。
「もういい! 殺せ!」
1人兵が銃口を向けると、母は益々動揺して叫びながら暴れ回った!
「おい! 待て!」
バーンズが制止する声も届くことなく、兵士の1人が銃口を母のこめかみに突き付ける。
フィーネは動揺しながら、ブレスレッドを撫でてハンマーナックルへと変形させると、腕を掴んでいた兵士の顎にアッパーカットを撃ち込んでいた!
「あぐっ!」
ヘルメットをも貫通したフィーネのハンマーナックルには薄く血が滲んでいた。しかし、彼女はそんなことに構うことなく母のもとへと走り出す!
「お母さん!」
悲痛にも似た声でそう叫ぶフィーネだったが、その声が届くことはなかった。兵士がトリガーに指をかけた瞬間――フィーネの眼前に鮮血が舞い、その顔は返り血で真っ赤に染まった。
何が起きたか理解できない。昨晩まで普通に話していた母の姿が消えた。フィーネの目の前にあるのは首から上を失い、噴水のように血を吹き出す胴体だった。頭が吹き飛んで肉塊とかした胴体は、その体勢を維持することもできずドサリと倒れる。血だまりの中、フィーネは恐怖によって呆然としながら、徐々に悲しみに襲われて瞳に涙を浮かべた。
「あ゛ーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」
絶叫と同時にフィーネは拳を振り回す! 不意を付かれた兵らの何人かの身体を掠めるが、フィーネの拳は届かず、まるで子供をあしらうかのようにフィーネを嘲笑する声が聞こえた。
「何だ? このガキも死にたいのか?」
「コイツもスパイの一味だろ?」
涙を流すフィーネは何とか一矢報いようとその腕を振り回す。しかし、その腕は何者かに捕まれ、彼女は動かない腕の先を睨みつけた。
「何をしとるか」
先程の指揮官とは違う男がフィーネを見下ろす。空に浮かび始めた海陽の逆光でその表情は掴みきれないが、男は明らかに不愉快そうな声を発していることは理解できた。
「中佐、これは……」
バーンズは男の方に駆け寄るが、男は振り返ることなく手を差し出して彼を制した。
「クヌカ・バーンズ中尉。作戦遂行中は司令と呼ぶように伝えたはずだ」
「……失礼しました。ジルギラン・ミッドウィル司令」
フィーネは周囲を見わまして驚愕する。バーンズと名乗る男が率いた兵士らは武装とはいっても簡易的なものだった。しかし、この司令と呼ばれるジルギランが引き連れていた兵が身に着けていたのは、CS(Combat Suit)と呼ばれる戦闘スーツ……言わば戦場へ赴く者の装備だったからである。
「中尉。ここは私が預かろう。君は次の地点へと向かいたまえ」
ジルギランはフィーネの腕を掴んだままニンマリと微笑んでそう告げる。バーンズは再び苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて敬礼した。
「……了解いたしました。行くぞ」
彼はそう告げて踵を返すと部下達を引き連れて大型の軍用エアカーに乗り込んでいく。簡易武装していた兵が全員乗り込むと、軍用エアカーは走り出していった。
先程と一転してCSを装備した兵に囲まれたフィーネは、エアカーが巻き起こした土煙の先を見てハッとした。そこにはスラム街の住人達が何事かと辺りを囲んでいたのだ。
「……貴様には見せしめになってもらおう」
まるで凌辱するような笑みを浮かべたジルギランの不気味な声がフィーネの耳に届く。すると、ジルギランは懐から銃のような形状をした何かを取り出した。ブラスター銃でも実弾銃とも違う大筒のその機械を見て、フィーネは背筋が凍るような寒気に襲われた。




