二〇一九年四月末日
※ ※ ※
「あのさ。当番だしメシ作れって言ったのは私だから、あんまり文句言いたかないけど」
「何だよ」
「見れば解るでしょ。メインがカニ玉で、副菜がカニカマとコーンのコールスロー。その隣にカニカマとほうれん草のお浸しで、極めつけはカニカマ炊き込みご飯。これは流石におかしくない!?」
「いや、何が?」
「なにが、じゃ無いよねぇ? 違うんだよ、そこじゃなく! そこじゃなくさぁ!」
厳しい冬の寒さが北に去り、麗らかな陽光が照らす春の朝。片やもっとバリエーションを増やせといい、片や数が食えるなら満足だろうと譲らない。多摩市豊ヶ丘団地の一室で起こるこの不毛な争い。価値観の相違だ、一朝一夕で解決することはないだろう。
西ノ宮ちはるがまほうを失ってからほぼ半年。厄介な居候とのルームシェアにも慣れ始め、お互い不平不満をストレートにぶつけるようになって来た。
「ふん。そういうことはちゃんと稼いでから言うんだな。お前が今、こうしてメシを食えているのは誰のお陰だ? ええ?」
居間の電話台に飾られている写真は、ちはると友人三人が舞台の上で踊るラストライブを映している。まほうを失ったちはるにご当地アイドルとしての激務をこなすことは不可能だ。彼女は昨年暮れに引退を発表し、晴れて普通の女の子に戻ることとなった。
「悔しいか? 悔しいよな? そりゃあそうだ。色んな職場を渡り歩いてるくせに、未だにボクより稼げてないんだもんな」
まほうを巡る争いが終わってすぐ、瑠梨の元にはそれまで契約していたゲーム会社からモンスターデザインの依頼が舞い込んだ。現在請けている依頼が十、うちふたつを昨晩納品済。この時点で、ちはるが半月かけて稼ぐのと同じ金額が振り込まれているともなれば――、これだけ居丈高になるのも頷ける。
「ぬ、ぐ、ぐ、くぅ……」
ぐうの音も出ないとはこのことか。今や西ノ宮家の家賃は割り勘の名目なから瑠梨七・ちはる三。少なくともカネの話をチラつかされた時点で、ちはるの側に理は無くなった。
「わかった。分かりましたよ。行くよ、仕事に行きゃアいいんでしょ」
「分かってるじゃないか。ちゃんと皿洗ってけよ」
自分が家主のはずなのに、すっかり主導権を握られている気がする。西ノ宮ちはるは出されたカニカマ料理を残さず平らげた後、粛々と皿を持ち洗い場に立った。
※ ※ ※
『――それで。上手くいってるの? あのきかん坊と暮らしてて』
「半分財布握られてるよ。共同生活なら少しは暮らしも上向くと思ってたのにさ」
『――そりゃあ考えが浅はかだったとしか。自業自得よ』
「そうかなあ。そうだよねえ……」
昼休憩で外に出て、リニューアルオープンしたピューロランドを仰ぎ見る。半年経った今となっては、ここに世界中からミサイル兵器が押し寄せたことなど誰も信じないだろう。
みら――、我妻アイムはほんの少しだけ世界を平和にした。各国の弾道弾武装はその殆どをアイム抹殺の果てに使い尽くし、ファンタマズル消滅によって何の為にそうしたのかを、誰も説明出来なくなってしまったからだ。
どの国も武装が剥がれて丸裸。お互いその事実を隠しながら、口八丁で互いに侵攻を防いで凌いでいる。期限付きではあるが、暫く戦争を起こそうとはどの国も考えないだろう。
「アヤちゃん、見たよ今週の雑誌。春も貫禄の読者投票第一位、流石だね」
「でしょお? まっ、この東雲綾乃サマに勝てるようなコなんてそうそう現れないわよ」
ちはるらとのラストライブを終えた後、綾乃はすぐにファッションモデル界へと戻って行った。怪我の治療で一月ほどのブランクを経てなお、彼女は界隈の一級線を走り続けている。まほうのチカラが無くたって、綾乃のキラキラは一切揺らぐことはなかった。
『――そういえば』と電話口の綾乃が話を切り出し。『授業の方はどう? あんた、ちゃんとついて行けてる?』
「大丈夫、大丈夫。私だってもう二十六なんだよ。今更数学や国語で躓くことなんて無い無い」
『――どうだか。あんた今、ちょっと声が揺れてたわよ』
「えっ!? あっ、やっ……そんな、ことは……」ちはるは言葉に詰まり、それよりも、と話題を変える。
「ね、ね。今度また呑みに行こうよ。ミナちゃんも、あいつも連れて」
『――そうね。けど割り勘よ。二人とも、呑んだ分ちゃんと払えるの?』
「うぐ……。善処します」
『――頼むわよ。あんたら、先立つものはない癖に、呑む量ばっかり多いんだから』
綾乃も、ここにいない三葉も。自立し食い扶持を稼いで暮らしている。翻って自分はどうか。そうありたいと思う。こうなりたいと努力はしている。だが、そこに至るまではまだまだ遠い。
「じゃあ、そろそろ休憩終わるから」
『――うん。またいつでも電話しなよ、愚痴くらいなら聞いてやるから』
結局は、地道にコツコツ積み重ねるしかないのだ。今はまず、派遣で得たこの仕事をこなさねば。ちはるは自分自身にそう言い聞かせ、気持ち新たに職場へと戻って行った。
※ ※ ※
「もぉーっ、何よこのペンタブ。あんた同じの持ってるでしょ。どうしてまた買ったの?!」
「しょうがないだろ。使い潰して感度が悪くなったんだから」
騒動の発端は、ちはるが帰宅した際玄関に置かれていた小包だった。頼んだ覚えの無いお急ぎ便。不審に思い同居人に問い質してみれば、昨日ひそかにカード払いにしていたものだという。
「別に構わないだろ。ボクのは商売道具だぞ。仕事のデキに関わるんだ。必要経費」
「にしたって五桁、万行くようなのを相談もナシにカードで買うってどうよ!? 相談くらいしなさいって!」
それぞれクレジットカードは別々に持っているが、同じ家に住んでいる以上家賃の支払いは割り勘だ。どちらかの懐が寂しくなれば、途端に滞納の危機に陥ってしまう。この女はそれを解っていない。半年もルームシェアしているというのに、一緒に暮らしているという自覚がない。
「おぉ? 言ってくれるじゃんさ。知ってるんだぞ、お前だってしれっと通販で買い込んだだろ、フツーの服にゃ絶対に使わないゴスロリ生地! あれだって四桁で済むもんじゃないだろ? えぇ?」
「ちょっ……。それは、わわわ」
まほうのチカラを失っても、魔法少女の可愛らしい衣装への憧れは消えなかった。十年ぶりくらいに手を動かし、服を作ってみたいと思うようになった。
ちはるが動揺し、大手を振って否定するのは、それを着せる相手が自分じゃないからだ。今こうして顔を突き合わせる二十六歳児。この歳になってなお中学生体型を保った花菱瑠梨に着せてあげたいと思っていたからだ。
「お前だってヒトのこと言えないだろ。ボクはお前に都合のいいマネキンじゃないんだよ!」
「べ、べべべ別にいいじゃん! 瑠梨ちゃんだって女の子なんだから、ちょっとはおしゃれしなきゃって思っただけだし!」
「それがお節介だって言ってんの! お前はなに? ボクにとってのなんなんだ!」
年甲斐もなく――、いや実際大人げないか。ふたりの主張は平行線を辿り、眉間に刻まれたシワが減ることはない。
「もう寝る! ちはるの大馬鹿! 馬鹿野郎!!」
「えぇさっさと寝なさいよ、とっとと寝ちまいやがれってんでぃ!」
互いに妥協点を見付けられることなく会話は打ち切り。二人は喧嘩別れでそれぞれの居室へと向かう。それが根本の解決にならないと分かっていながら。どうせ朝には再び顔を突き合わせるのだと解っていながら。
◆ ◆ ◆
『あなた、見て。この子、名前を聴いて笑ったの。自分の名前がわかるんだわ』
揺れる籠の中で見上げた母はとても若く、鏡写しに自分の顔を視ているようだった。あいつとルームシェアをするようになってから、度々あの頃の夢を視る。父と母が健在で、まほうも知らず、ただの子どもだった頃の夢を。
『瑠梨。花菱瑠梨。ふふふ』
母は人差し指で優しく頬を撫で、ボクの名前を何度も何度も呼んでいる。忘れていた? いや、思い出さないようにしていたのだ。本当の母は、こんなにも優しく暖かな人間だったことを。
『大丈夫。あなたのことはお母さんが護ってみせるわ。たとえ何が起きたって』
父が交通事故で死んだあの日。『死』が何か理解できずにいたボクを前に、母は確かにそう言った。
幼いボクは迷惑にしか感じなかったけれど。彼女は彼女なりに子どもを守ろうとしていたのだ。誰にも相談できず、たったひとりで。
「見て分からない? お払い箱なの。もう必要ないんだよ、あんたは」
『お払い箱? 必要ない? 瑠梨あなた何を言って……』
そんな母を。やり方はどうあれ育ててくれた肉親を。ボクはこの手で殺めてしまった。恐怖に怯えたあの顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
ありがとうも言えなくて。おんぶにだっこで居続けて。ごめんなさいと言うことさえ叶わない。ボクは。ボクという奴は――。
あぁ駄目だ。ダメだ。考えないようにと思えば思うほど、澱みがボクの脚を絡め取る。沼に落ちて、どこまでも堕ちてゆく。
…………
……
…
「はア……。また、か」
ルームシェアすると決めた時、家主のちはるは自らが使っていた玄関近くの洋室を明け渡し、自らはリビングの隣・母、父、祖母の位牌が祀られた畳部屋に移っていた。その理由がこれだ。瑠梨に、死した人間のことを意識してほしくなかったから。
彼女が夜な夜な悪夢にうなされることに気付いたのは一・二ヶ月前のことだ。住み始めた当初はそうでも無かったが、ここひと月は二日に一度は苦悶の表情を浮かべ、その身体を芋虫めいて捩らせている。
「ホント。遅すぎなんだよ、あんたは」
渋谷の事件、いやそれよりもっと前からか。花菱瑠梨は自分なんかよりも沢山の人間を殺して来た。その存在格を創造物であるヒトガタカマキリらに喰わせ、自らの欲望を満たさんが為に。
今更、そのことに罪の意識を感じているのだろうか? 逃げ延びて、父親たちのところを転々としていた時期ではなく、自分と落ち着き、人並みの暮らしを手に入れた『今』になって、とは。
(それはこいつが冒した罪だ。私が立ち入る道理はない)
死んだ人間は生き返らない。自分も彼女も、その罪を背負って生きてゆく他ない。
けれど、そうするのが難しい時だってある。お腹が減れば悲しくなるし、気落ちしていれば嫌なことばかり考える。今の瑠梨がそうだ。このまま苦しさやもやもやが積み重なれば、きっと生きていられなくなるだろう。
「本ッ当に、しょうがないんだから」
悩んで迷って廊下を彷徨い、意を決して襖を開いた。かつて自分が使っていたパイプベッドに潜り込み、怯える居候の身体を抱きしめる。
…
……
…………
『だいじょうぶ。わたしが傍にいるよ』
眩い光に目を晦ませ、目線を上向けて見れば。桃色の暖かな輝きを纏った女の子が、ボクに手を伸べながら降りてくる。
この姿には見覚えがある。裏方として、その背中を追っていた『あこがれ』のひとつ。いつも口うるさくて、その実とってもやさしい同居人が、まだまほうを使っていた時の姿だ。
『あなたはもうひとりじゃない。腹の中に溜め込んじゃ駄目だよ。泣いていいんだ。あなたは今、泣いていい』
「泣いて……いいの?」
ずっと、その言葉を待っていたような気がする。父『たち』はおろか、プレディカさえもそうは言ってくれなかった。自分は主だから。上に立つ者、創造主として、成果物に泣き言を言うなど許されなかったから。
『いいよ。好きなだけ』
せめて夢の中だけは。そうした柵を取っ払い、弱さも泣き言も受け止めてあげる。瑠梨は差し出された手を取り、魔法少女衣装のちはるをぎゅっと抱き締める。
「ごめんなさい……。お母さん、お父さん、プレディカ。ごめんなさい……」
足元にあった闇が剥がれ、心の奥底に引っ込んでゆく。瑠梨は幼子のように泣きじゃくり、ちはるの胸に顔を埋めた。
※ ※ ※
「おーい。起きろ。起きろってば瑠梨ー」
明くる日の朝。芳しい味噌の香りと肩を揺するこの声に、花菱瑠梨は顔を上げた。
「言われなくても起きる。わざわざ何なんだ」
「朝食当番。今日は私だから……。作ってあげたわよ」
西ノ宮家の朝食当番はそれぞれの体調に関わらず一日の交代制だ。わざわざ言いに来る必要はないはずだが。何かあるのかと思い返し、瑠梨はばつの悪い顔をする。
「謝らないからな。何度も言うが、ボクのは商売道具だ」
「別に。誰も謝れなんて言ってないし」
棘のある言い回しだが、お互いそれ以上言及することはなく。難しい顔をしながら居間へと歩を進める。
「お前さ。毎日の食事ってやつをナメてんだろ」
「失礼な。これでもしばらくは独り暮らしやってたんだぞ。舐めているわけが」
「いいや、舐めてるね」瑠梨は眼前に並ぶ食事から味噌汁を手に取って。「味噌を溶かしてわかめとスライス玉ねぎを加えてそれっぽくしたつもりだろうが、だしを忘れてるんだよ出汁を。こんなものを味噌汁と呼べるか」
「ぬ。ぐ……」図星である。作っている途中で無いことに気付いたが、片手鍋で沸かした湯はあぶくを噴いており、切り替え不可能だと思い押し通した。
「それにこれ。スライスするならちゃんと切れよ。くっついてんだよ、くし切りになった玉ねぎがさあ!」
「お、あ、ぐ」何があっても当番制、と決めたのは自分だ。寝坊して十分な時間が取れず、しっかり切りきれているかを確認する手間を省いてしまったのだ。
「まだまだあるぞ、ごはんは水が多くてべしゃべしゃだし、切った玉ねぎの余りで作ったな? このオムレツ、しっかりみじん切り出来てない上にきっちり炒めてないじゃないか」
挽き肉が入っていない、という不満は無理筋と引き下げたか。それにしたって不完全なのには変わらない。なまじ瑠梨自身『できる』側の人間である以上、半端なものに対する言及は辛辣になってしまうようだ。
「うっ、うっさいな小姑かあんたは! 居候でしょ? 私家主! 絶対的主権者! そんなに文句言うんなら下げちゃいますよ!」
「今日締め切りのイラストが幾つあると思ってる。こんなものでも栄養源だ。しっかり食わせろ」
語気や言動こそ荒々しいが、互いが互いの食事を残すことはない。それが味以外の部分にあることは両者共に心中で理解している。
二〇一九年四月末日。もうまもなく平成が令和にならんとする春うらら。西ノ宮ちはると花菱瑠梨、お互いに難と傷を抱えた共同生活は、なんだかんだ上手くいっているらしい。
・おわり、じゃないぞよ。
あとちょっとだけ続くんじゃ。
と言うわけで、最終話「君にスマイル☆」、あす1/27(木)・0時掲載となります。
どうぞ、さいごまでおたのしみください。




